自己成長の先、貢献2.0を考える

自分の成長よりも貢献することを強く意識しよう、というのには大きな落とし穴があって、

就業前の若い頃からボランティアなどの経験を恒常的に行っている人の中には、会社勤めにおいても「誰かへの貢献」が常に先にあって、そもそも「自分の成長の先に誰かへの貢献がある」などと考えていない人もいる。

私がそうだ。

自分軸が確立していないままに他人を軸にして思考も行動も起こしてしまう癖がついていた。

誰かに貢献できていればそれでいいと思っていた(思おうとしていた)が、その間に自分の価値をどれだけ高めることができたか?

最近に至るまで考えたこともなかった。

誰かへの貢献とは、たとえば職場のゴミを拾う、コピー用紙の補充をしておいてあげる、誰かのミスを埋める、人が困っていることを代わりにやってあげる。
このように陰で働き、誰かのためになる行動は、今もこれからも「悪いことではない」と思う。

だけど、それに終始していては結局のところ自分は何も変わらないし、成長もない。相対的な自分の価値も高まらないだろう。

会社でそういう過ごし方をしてきて、改めて自分の成長を考えた。

改めて、貢献ということの意味を考えた。

・・・

いや、そもそも、自分のやってきたことって貢献になってる?

ゴミを拾う目的はなんなの?
なんで自分が今、コピー用紙を補充するの?
なんのために代わりにやってあげるの?

誰かの何かを処理してあげること。

誰でもできることに自分の時間をひたすら費やすこと。

正直、それをいつまで続けていても、将来的に面白いことではない。

かつて、部下が忙しいだろうからと代わりにやってあげたことに本人が気づいておらず、後日「暇だった」と言っていたことがある。
5年、10年働いている職場の仲間がコピー用紙の置き場すら知らなかったことがある。
ゴミを拾う姿を見せても誰も真似してくれなかった…

色々悲しかったけど、そもそもの課題設定の誤りに気付いて、自分は変わったのだ。


1ヶ月後、3ヶ月後、半年後、一年後、・・・
仲間にどうなっていてほしい?
職場がどうなっていてほしい?
そのために自分はどうしたらいい?

そういう自問をできるようになり、自分の立ち回り方が変わった。

誰かへの貢献とは?

人に影響力を持たない貢献は貢献にあらず。
忙しいときに自分から上司を頼れない部下を作ってしまったのも、落ちているゴミを拾えない仲間を生み出していたのも、ぜんぶ自分だった。

そんな風に気づけたときから、本当の貢献を考えられるようになった。

誰かへの貢献1.0→自分の成長(今回の気づき)を経て、貢献2.0に挑む。

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