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退任にあたって、"元担当記者"より 駒大・大倉孝一監督が示してくれた「礼明慮」

駒大硬式野球部の大倉孝一監督が退任した。かつて女子野球ワールドカップを4回制した名将は、在任13季で東都1部優勝ならず。苦しむシーズンが多かったものの、6度戦った入替戦では1部昇格2回、1部残留3回(、2部降格1度)と強さを見せた。また、そのキャラクターで大学野球ファンからも愛されたのではないかと思う。
駒大在学中にスポーツ新聞部に所属した私にとっては、2年次だった2017年に"初代大倉監督担当"として取材させてもらうなど、とてもお世話になった方である。

大倉監督が大切にしていたのが、「礼明慮(れい・めい・りょ)」。就任直後、選手へ最初に伝えたことであり、当時の取材でこう話している。
「簡単に言えば、礼は礼儀作法。挨拶をする。これは人と人がコミュニケーションを取るツール。例えば先輩だから礼をするとかではなくて、おはよう、お疲れ、こんにちは。そういう表現がものすごく出来る力をつけよう。
明は勢いだったり、開き直りだったり、前向きさだったり。これは人間の明るさ。明るくないと、ネガティブになったり、前向きにならなかったりするから、明るさという力をつけよう。
慮は、慮る。心を配る、気持ちを配る。そういうことが見える人間になる。
これを至る所で質を上げていく。これを身につけた人は成長する準備が出来ている人なんだと話した」

この礼明慮を大倉監督は監督自身の姿勢で、行動で、示してくれた。礼・明・慮、はっきりと区別できるものではないが、それぞれ簡単に分けて振り返ってみたい。

寮入口に掲げられた「礼明慮」の前でポーズを取る2019年幹部達(左から平野英丸、菅力也、鈴木大智、上野翔太郎、石毛孝尚)

【礼】

大倉監督を一言で表すなら、コミュニケーションの人だと思う。
頭ごなしに叱ることが野球の指導だと思っていた時期もあったそうだが、女子野球と出会って「180度変わった」という。交換日記等も使いながら、ベンチ入り、ベンチ外に関わらず選手と対話を重ね、選手を理解するよう努めた。

監督曰く、その多くは「たわいもないこと」。
「めちゃめちゃ真剣に長い話をするとかじゃなくて、寮の廊下ですれ違う、飯を食う、球を拾う、そういう時に声をかけて、そういうところでの表情だったりを見たりする」
何気ない会話も全てコミュニケーションだった。

そう広くない監督室に4年生全員を呼び、ぎゅうぎゅう詰めの中で一緒に酒を飲んだこともある。大倉監督就任初年度(2017年)に主将を務めた米満一聖さん(元・東海理化)は当時
「野球の話だけでなく、人としての話や、楽しい話もした。最初はすごく緊張したけど、その時は監督じゃなくて、いいおっちゃんみたいな感じだから、今は別に(笑)。そういうところから監督をどんどん信頼していった」
と振り返っている。

(2022年、ヨーク開成山スタジアムにて)

私も祖師谷グラウンドに練習を見に行くたびに、いつも監督の方から近寄ってきてくれて「今日はどうした?」などと声をかけてもらった。最も取材予定等はなく、授業の合間等ただ時間が出来たからということも多かった。最初は「そうか、ゆっくり見ていけよ」だった監督の反応も次第に変わり、最終的には「おまえ他に行くとこないんか(笑)」になったが、それでも変わらず声をかけてくれた。

選手や私をイジることもあれば、冗談を言ったり、ボケたりすることもあった。2018年春季リーグ戦のある日。硬式野球担当の新入部員達を連れて、試合前の監督に挨拶に向かった。
「うちの新入部員です。よろしくお願いします」
「おお、そうか!どうも、部長の大倉です。よろしく」
だが、よくわかっていない上に緊張している新入生達は真面目な顔で「よろしくお願いします」と返すばかり。
「いや、違うよ、監督だよ!よろしくね」
と自ら言わせてしまった。横で見ていた自分もとっさに反応出来ず、実力不足を思い知らされた。

試合中の大倉監督(2022年)

【明】

大倉監督の就任直後、まず驚いたのは練習の雰囲気が一気に明るくなったことだった。愛媛県松山市で行われた2017年春季キャンプ。アップでダッシュをするだけでもたくさんの声が出て、盛り上がっていた。そして、それを選手のすぐ横で見て、選手を引っ張るように積極的に盛り上げていたのが監督自身だった。「自分はこうなりたいんだ、チームをこうしたいんだという思いがあれば、その集団は活気が出ると話した」という。
選手達自ら盛り上がれるようになってからは監督が前に出る場面は減ったものの、ところどころで飛び出すボケやツッコミはさすがだった。

特に印象に残っているのは、2019年10月20日。1部残留をかけた最終週を3日後に控えたシートバッティングでのこと。外野手がフライを地面近くで捕球した直後、大倉監督が「落ちただろ!」と声を張り上げながら三塁コーチスボックスを出ると、グラウンドは笑いに包まれた。
この2日前の対亜大3回戦、駒大は微妙な判定に泣いている。1点リードの4回表1死一、二塁、ライト前への打球に緒方理貢(現・福岡ソフトバンク)が頭から飛び込んだプレーを審判は一度アウトと判定。だが、すぐさま三塁側ベンチを飛び出した亜大・生田勉監督から「ワンバウンドしていた」と抗議を受けて協議した結果、判定が覆りヒットとなった。ヒットエンドランで走者は共に大きく飛び出しており、併殺でチェンジのはずが一転、1死満塁からの再開に。直後に3点を失い、逆転負けで勝ち点を落としていた。
チームにとって嫌なはずの記憶も、笑いに変える。「笑う門には福来るが俺のモットー」という監督らしい場面だった。

「落ちただろ!」と叫ぶ大倉監督。背後では高嶋賢佑がいち早く笑い出している。

殻を破ることも教えてくれた。監督が寮の風呂で一緒になった選手に歌を歌わせるのは聞いていたが、私も同じような経験をしたことがある。
2017年ある日の練習。いつものように監督が声をかけてくれ、今日も特に取材予定はないと答えた直後だった。
「そうか。じゃあ応援せえ」
応援?と思ったら、
「頑張れって言うてみい」
「頑張れぇー!」
シートノック中のグラウンドに向かって、力の限り叫んだ。一瞬練習が止まり、新垣道太コーチと選手達が一斉に一塁ベンチ横の自分を見た。そして「なんだ、あいつか」というような若干の笑いが起きた後、すぐノックに戻っていった。グラウンドに散った選手が同時にこちらを向く、あの光景は忘れられない。他にも何回か同じような経験をさせてもらい、度肝はついたんじゃないかと思う。3年次以降、他大学の監督に何回か取材を褒めてもらったが、本来ビビリの私があまり臆せず取材が出来るようになったのは間違いなく大倉監督に鍛えてもらったおかげである。

練習中に自ら打撃投手を務めることもあった(2017年)

【慮】

自分が良い学生記者だったとは思わない。初対面の人とすぐに仲良くなれるようなコミュニケーション力は持ち合わせていないし、話を聞くにしても理解は遅い方だと思う。特に最初は、表面的なことばかり聞こうとして、もっと深い部分の話をしている監督となかなか会話が噛み合わなかった。そういうことじゃないんだよなぁというような少し困った顔をされたのは、一度や二度ではない。3年を経ても、監督のことがなんでもわかるようになったとか、そんな感覚は全くない。

それなのに、監督にはとても良くしてもらった。どんな試合の後でも、何を聞いても、嫌な顔をせず取材に答えてくれた。春季キャンプに行けば「ボールには気をつけろよ」と前置きをした上で、「好きなところで見ていい」と練習中のグラウンドに入れてくれたし、祖師谷でも屋内練習を室内練習場の窓から覗き込んでいると「そんなところで見てないで、中で見ろ」と言ってくれた。
練習中ふらっとスタンドに来て横に座り、雑談をしてくれたこともあれば、寮食堂での選手取材中にさっき買ったばかりというロールケーキを持ってきてくれたこともある。「やべ、賞味期限3日前だったわ」という冗談が、監督らしかった。
卒業後も覚えてくれていて、声をかけてくれる。

私はいわゆる教え子ではない。新聞部という少し特殊な立場だったとはいえ一般学生にすぎず、言ってしまえば、部外者である。そこまでするメリットは特段なかっただろうに、良くしてもらった。感謝しかない。

室内練習場で染谷康友を指導する(2019年)


駒大を卒業して4年が経とうとしている。駒大硬式野球部は今も自分にとって大きな存在だ。リーグ戦の結果は気になるし、硬式野球部OBと話す時は互いの近況よりも先に、硬式野球部が勝った負けたの話が出てきたりする。日々の仕事等の中で、硬式野球部や東都で学んだことが生きていると感じることは多い。

先日久しぶりに祖師谷グラウンドに向かった。コロナ禍で行っていいのかわからなくなり、足を運ぶのは卒業以来初めて。被った代どころか、入れ替わりの代すら、もういなくなってしまった。
「おまえどうした!俺に会いに来たんか!」
もしかしたら半分冗談のつもりだったのかもしれないが、目的はまさにその通りだった。
「そんなところにいないで、こっち来いよ」
バックネット裏に手招きされた時は、一瞬あの頃に戻ったかのようだった。だが、白くなった髪と、プレッシャーから解放されたのか少し穏やかになった表情が、時間の経過を物語っていた。

最後に色紙を書いてもらった。あくまで記者だから、と大学時代にはしなかったが、残念ながらもう記者ではないし、ここで何もしないと後悔する気がした。
「駒澤大学 大倉孝一 礼明慮」と書いてもらい、それで終わったはずだった。だが、受け取りながら「ありがとうございます。額に入れて飾ります」と言った途端、「なんでよ!(笑)貸して」と裏も書いてくれたのが最高に大倉監督だった。

色紙の表裏。額に入れてしまったため、裏はもう見れません。

在学当時、引退取材や卒業取材で、「礼明慮」が印象に残っているという選手は多かった。そして、今、私自身もそうなのだと思う。普段からすごく意識しているというわけではないが、ふとした瞬間に思い出す。硬式野球部OBの言う「大学時代に野球部で学んだことが、社会に出て役に立った」とは、例えばこういうことなのかと実感する。大倉監督に関わらせてもらえたことは、大きな財産となっている。

大倉監督、ありがとうございました。そして、7年間お疲れ様でした。

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