(230809b) 例えば、宗教に於ける知恵の実(リンゴ)の禁止について。

宗教に於いて、(キリスト教などなど)、
知恵の実は、リンゴだとされています。

しかし、長い間は、信仰どおりの反応でした。私は。

でも、神様って、そんなに知恵を身に付けた信者ではダメなの?
神様って、全知全能で、頭は果てしなく良くて、
僕達がどんなに利口になっても、頭が良くなっても、
僕達では神様に、追い付けないんじゃないの?

等という疑問が湧いてきました。

彼ら信仰の中に居る信者は、
この疑問には、「悪い疑念が湧いている」等と言うでしょう。
でも、マトモに応答してくれないんです。
全知全能ならば、どのような質問にも、真正面から応えても答えても、
大丈夫なんじゃないでしょうか?

神様ってそんなに、ちょっとくらいの疑念でも差し挟まれたら、
すぐに信仰が崩壊するような、弱っちい人なの?って思わないだろうか?

だとすると、全知全能という言葉自体が、実はハッタリでは無いか?
と思ってきます。考えられるようになって来ます。

リンゴ(知恵の実)を食べた程度で、
信仰が崩壊するような弱っちい信仰ならば、そんなの要らない。
単に、神様はスゴイ。神様は恐ろしい。などなどの恐怖心理に基づくのが、
信仰ならば、そんな恐怖心理(信仰)など要らない。
と思う様になった。

うまく言えていませんが、そんな事(疑念)が湧きました。

うまくは言えません。

とりあえず、
以上です。