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唐招提寺

早朝に東京を発って雨の西ノ京に着いた。薬師寺の、平山郁夫の大唐西域壁画を納めた玄奘三蔵院の公開最終日に滑り込むため前日に奈良行きを決めて壁画を見、駆けつけたその勢いのまま薬師寺大伽藍をまわってしまった。まだ解体修理のベールの中にねむっていた東塔を見送って唐招提寺の森へむかうころ、雨が強くなりはじめた。

南大門をはいると、両側から深い緑が覆いかぶさる清浄な砂利道がのびている。視線の焦点に石灯籠があり、われわれの注意を集めたその先で、大地が水平に隆起している。基壇が、世界を上下に二分して結界をきり、八本の柱が決然とたちあがって、大屋根が、鴟尾が、雨を切っている。

それら諸要素の不動の調和からなるこの金堂が、しかしふと、いまわずかな速度成分をもって運動をしているのかもしれない、と感じたのは、雨が一段と強まってきたからかもしれない。金堂は、雨の中、あるいは重たい湿気を含んだ大気の中、一種の励起状態にあるのではないか。

流体中にある物体はその体積に比例した浮力を受け、流体中を移動する物体は、その表面積に比例した揚力を獲得する。であれば確かにこの堂は、いつにも増して大屋根に浮力を得、揚力を得て、、

と大真面目に考えはじめたが、なるほどそもそもこの寺院を開基したのは、何度目かの大海の波頭を越え渡来した、かの鑑真大和上であった。若き日の和辻哲郎は、それにかけてこの大屋根を、"大海を思わせるような軒端の線のうねり方"、といった。

だからまずこの堂の完全無欠さを、波頭を乗りこなすような運動感覚に近いものとして考えてみるとどうか。

波間を行く舟が備える、剛健であるがしなやかに波頭をかわす、鍛錬された身体の筋質。この堂は、丘の上で四肢を構える"私達のギリシア"(堀辰雄)ではない。支力の意志に満ち満ちているかのように見えたエンタシスの八柱は、不断に揺らぐ重力と反重力の趨勢の中を鮮やかに泳ぎぬく、やわらかな筋繊維の束、であるのだとすれば。

雨のなか金堂はその体躯全体にいよいよ活力を漲ぎらせ、類いまれな泳力で、天平以来の時空の海を飛翔してきたかのようだった。

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