知られざるヨーヨー大国

〈この文章は2016年にビッグコミックオリジナルに寄稿したものです。〉

 秋葉原にあるヨーヨーの専門店スピンギアがつい先日、開店十周年を迎えたという。日本初のヨーヨーショップとして中野ブロードウェイでオープンしたのが平成一八年、物珍しさはあるものの、こんなにもニッチな商売で採算が成り立つのかとも思われたが、この十年で店舗は拡大し五年前に秋葉原に移転した。他にも愛知、北海道に大阪と、各地でヨーヨーの専門店が誕生している。そして昨年には、アジアでは初となる世界大会が秋葉原で開催され、世界中のヨーヨープレイヤーがオタクの首都に集結した。日本は知られざるヨーヨー大国なのである。なぜこんなことになったかというと、ふた昔ほど前の平成九年、大手玩具メーカーのバンダイが展開したハイパーヨーヨーブームの名残なのである。そもそも、ヨーヨーというのは江戸時代から昭和初期、更には一九七〇年代のコカコーラヨーヨーブームと、周期的に流行っては廃れる遊びなのだけれど、二〇世紀末のハイパーヨーヨーは、何万人という小中学生が熱狂した史上最大のブームだった。しかも平成十年にはラスベガスで行われた世界大会で、鈴木良一という日本の中学生がチャンピオンになっている。アメリカの大人たちと競いあっての世界一である。つまり、ヨーヨーというのは子供が大人と同じルールで競いあって世界一になれる競技だったのだ。これをきっかけに、世界大会には毎年のように日本の少年たちが参加して輝かしい記録を残すことになった。けれども、当たり前の話だけれど誰もが世界チャンピオンになれるわけはなくて、実質二年ほどでハイパーヨーヨーのブームは完全に終結してしまい、何万人といた少年たちはヨーヨーから離れてしまった。流行りが終わると廃れるのは速い。特にヨーヨーの場合はブームが終わると消耗品である糸が手に入らなくなってしまい、ヨーヨーを続けられなくなるのである。僕が経験したコカコーラヨーヨーの時もそうだった。ところが、ハイパーヨーヨーの場合はネットの創世記と重なっていたのが幸いした。ごく一部のヨーヨー少年たちはできたばかりのインターネットで連絡を取り合い、海外から消耗品や最新機種を取り寄せてヨーヨーを続けた。スピンギアも、ネット通販から実店舗を持つに至ったのである。そしてヨーヨー少年たちのうち、何人かはプロのストリートパフォーマーになり、またある者は優秀な日本の町工場と手を組んで、高性能な競技用ヨーヨーを作るブランドを設立した。彼らは、二〇年近い年月をかけてヨーヨーと共に生きてゆくための方法を模索したのである。こういった背景があるから、ヨーヨーはトッププレイヤーとエンドユーザーの距離が極端に近く、各地の専門店では、世界チャンピオンが近所の子供に初歩的な事を教えるという微笑ましい景色がよく見かけられる。そこで手ほどきを受けた少年が、いつかまた同じように世界タイトルに挑むのである。こんな文化、ちょっとない。

〈追記〉
この後も日本のヨーヨー文化は発展し続け、近年は3Dプリンターで自家製のヨーヨーを作る人も増えている。
秋葉原にあったスピンギアは高円寺に移転して、首都圏では初の路面ヨーヨーショップとなりました。

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