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ごめーん、いままで黙ってたけど、私じつはプロの小説家なんだ

こんにちは。たつたあおです。

はい、タイトルの通りです。
Twitterではずーっとナイショにしてたんですが、じつは私、プロの小説家なんです。

「プロの小説家でした」と言った方が正確かな。今現在は小説で原稿料や印税もらってるわけではないので。

子どもが生まれた時、執筆時間もないし、自分の能力に限界も感じていたので、「もう筆を折ろう」といったん引退したのです。

ちなみに別の筆名なので「たつたあお」で検索しても出てきません。

「とても上手ですね!」「プロみたい」とほめられるたびに、ちょっぴり罪悪感を感じながら「いやいや、そんな。プロだなんてめっそうもない」と謙遜しておりました。

いままで秘密にしててごめんね~。


なんで秘密にしていたのか

 1.剣城あきらへの愛を語るためのアカウントだから

このnoteに紐付けられてるTwitterアカウントは、もともと「キラキラ☆プリキュアアラモード」の剣城あきらへの愛を存分に語るために作ったものなんですね。

ただただ、日々「あきら、あきら、あきら~!!」と騒ぎたいがために開設。
最初は誰もフォローせず、ひとりであきらへの愛を壁打ちしていましたが、そのうち少しずつ相互フォロワーさんも増えていきました。

TLに流れてきたイラスト等で「二次創作」なるものを知り、pixivの存在を知り、pixivには小説も投稿していいことを知り、「え、私もあきゆか書いてみたい」と執筆したのが、こちらの作品です。


 2.「この程度でプロだったの?」と思われたら恥ずかしい

久々に書いた小説は、本当に楽しかった。ドキドキしすぎて執筆中に4キロ痩せたくらい(笑)

が、十年ぶりに書いた小説は、やはりプロ時代に比べると本当につたなくて……。

「この程度でプロだったの?」と思われたら恥ずかしいし、今は小説でお金稼いでる訳じゃないしな……と躊躇して、ずっと言えずにいたわけです。

むかし、まだ著作のない芸能人が自分を「作家」と名乗ったことに対し、ある女性作家が「まだ小説を書いてもいない人間が軽々しく『作家』を名乗るな。文章オンリーで食べていける人間だけが『作家』と名乗っていいのだ」という趣旨のことをおっしゃっていたんですね。

この言葉が呪縛になって、プロ時代にも自分を「作家」と言えなかったくらいなので、原稿料も印税ももらってない状態で「作家」「小説家」なんてとても言えなかった、というのもあります。


 3.また挫折するのが怖かった

商業での最後の本を出版した直前、私は子どもを出産しました。

妊娠中も執筆していたし、里帰り直前まで著者校したり。
小説家は家にいてもできる仕事なので、頑張れば子育てしながらでも続けられたのかもしれません。

でも、実際はとてもむりでした。

時間も気力も体力もすべて赤子に捧げなければならなかったし、そもそもその頃、私は自分の能力に限界を感じていました。

自分の引き出しの少なさや、きっちりと取材しないと気が済まない頑なさ、気の弱さ。

わたしがのろのろ取材してる間に、同時期にデビューした作家さんたちはバンバン著作を出し、版を重ね、ドラマ化に雑誌・新聞連載。それに比べて私は……と落ち込みました。

そういった様々なものが足枷となって、小説を書けなくなっちゃったんですね。
たぶん、出産していなかったとしても、遅かれ早かれ書けなくなっていたと思います。

その挫折経験のせいで、自己評価はだだ下がり。
「小説家なんて名乗っても、また挫折するんじゃないか」という恐怖感がなかなか拭えませんでした。


じゃあなんでいまさらカミングアウトしたの?

 1.みんな「作家」って名乗ってるじゃん

上に書いたとおり、とある女性作家さんの言葉の呪縛で、プロ時代にも「作家です」と名乗れなかった私。

が、今冷静にまわりを見てみると、商業で本出してない人だって、自分のこと「作家」って言ってるじゃん!
いいんじゃん、別に。誰が「作家」って言ったって!

たしかに、今私は小説で食べてる訳じゃないけど、一応商業で複数冊本出したし、むかーし、Kindleで出した電子書籍(たつたあお名義じゃないよ)が今でもちょびちょび稼いでくれてるし、子育て中にもライティングやコラムでお金もらってたし、私が「作家」とか「小説家」って名乗っても、ぜんぜん問題なくね?

……と、唐突に思ったわけです。ゆうべ。ほんと唐突に。とつぜん憑きものが落ちました。


 2.年を重ねて引き出しが増えた

かつて私から執筆時間も気力も奪っていった出産・育児ですが、振り返ってみればそのおかげで引き出しがぐんと増えました。

子育て自体も引き出しのひとつですが、うちは子どもが持病を持って生まれ、入院手術を繰り返したこともあり、そっち方面の知識も増えました。

ちなみに、その時の経験を活かして書いたのがこの小説。

「子どもの手術では麻酔に香りをつける」とか、みくちゃんが手術室に向かった後のあきらの両親の行動とか、自分が経験したからこそ書けましたね。

あとは、公的な手続きとか保険、税金、金融関係、今どきの幼稚園や学校の雰囲気、PTAのあれこれ等々。パートでいろいろな仕事もしましたし、子育て中義母が倒れたので、介護方面の知識も増えました。

女性の時間を奪っていく「見えない家事」の数々が、小説家としての血となり肉となったわけです。

「引き出しが少ない」と、若い頃は自分に自信が持てませんでしたが、「あれ、けっこう今は引き出し持ってるかも?」と思えるようになりました。


 3.小説がうまくなってきた

2017年から2020年の間、不調な時でも、毎日一行は小説を書き続けてきたわけです。

二年半書き続け、復帰第一作の「紫の髪飾り」と比べると、今の方が断然上手くなってる。文章力も構成力も。小説筋力がついてきました。

昔は原稿用紙100枚以上の中~長編ばかり書いていましたが(公募は100枚規定が多いし、350枚以上の長編書かないと本にならないから)、最近は短編やショートストーリーのコツもわかってきました。
どうやったら、言葉で語らず行間に雰囲気を盛り込めるか、とか、読者にカタルシスを感じてもらうためにはどうしたらいいか、とか。

2019年12月20日に、pixiv編集部さんと書泉百合部さんによる「百合文芸座談会」が開催されたのですが、その時点でわたしが応募していた作品が二作とも、おすすめしてもらえたり「素敵だった」とコメントいただけたのも自信になりました。

ちなみに、はじめてpixivに投稿した一次創作も、編集部さんにとりあげていただいています。

pixiv小説編集部さん、ツイートなどを拝見していると、皆さんかなりの読書家のようですし、たしか「ノスタルジックオルゴール」をとりあげてくださった方は「小説編集の経験がある」とおっしゃっていました。

百合文芸の最終的な結果はどうなるかわかりません。
が、いままでオリジナル小説五本投稿した中で、三本が見巧者にとりあげてもらえてるのって、わりと自信持ってもいいのでは……? と思ったわけです。


 4.また挫折するかもしれんけど、なんとなく続けられるんじゃない?

挫折して十年小説が書けなくなった経験は、けっこう根深いものがあって、「これから先も書けなくなるんじゃないか」という恐怖は常につきまとっています。
この先介護だって来るだろうし、自分の体調も心配だし。

でも、こうやって創作復帰して二年半の間、ちゃんと毎日書いているわけです。文庫本換算で三~四冊分くらいにはなるはず。

仕事して、家事や育児しながら一年一冊以上のペースでちゃんと書けてるんだから、これから先もちゃんとできるんじゃないかなという気がしています。

たとえまた挫折しても、今回みたいに復帰できるかもしれないしね!

というわけで、今までTwitterの自己紹介でも「小説家です」と書けなかったんですが、これからは堂々と「小説家」を名乗ろうと思います。問題ないやろ! 今後小説で小金くらいなら稼げるかもしれんし!

いつかまた、商業出版できるように頑張る!

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