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異文化と共に

今日でspring term の授業全てが終了し、あとは今学期の授業のエッセイ提出と修士論文執筆を残すのみとなった。
授業の振り返りはまた時間があれば行おうと思うが、今回は「海外で生活をすること」というテーマで書いてみる。

僕にとってこの留学は初めての海外生活。
その振り返りを例えてみると、日本国内で引っ越しをして馴染むまでのパワーをイメージしてみると、それとはまた違う種類のパワーを使っている印象がある。いつもと違う動きをした時におこる筋肉痛のようなものかもしれないが、そんな可愛いものではない。
その中でいくつか印象強かったものを挙げてみる。

まずは、「食」から。
僕は今まで生きてきた中で、食に困ったことは一度もない。ひもじい思いもすることなく、料理も抵抗なくやれるレベルにはあることから、不自由なく、むしろ恵まれていたと思われる。(決して裕福であったということではない)
そのためからか、イギリス生活でもあまり不安を抱くことなく暢気に構えていた。しかしまず最初の壁にぶつかる。

冷蔵庫に置くスペースがない。

うちの寮は、Faltmate10人で3つの冷蔵庫をシェアすることになっている。コロナの影響で出国が遅れたり(僕もその一人)、イギリスに入国しても出国する国によっては隔離期間が必要であったりと、全員がいっせーのーでで寮に入ることにならない。

そのためか、早く入寮した人が冷蔵庫の好きなスペースを好きな分だけ陣取っていた。これについては自然な成り行きであり仕方ない。
しかし、流石に人数が増えてくれば、誰かが気を利かせて冷蔵庫のスペースを分けてくれるだろう、さすがに共同生活だから冷蔵庫のシェアルールくらいあるだろうと多寡を括っていた。

冷蔵庫のスペースができるまでは、保存が必要な食べ物を保存することができないので、スーパーで多くの買い物はできず、学内のco-opでサンドイッチやパン、ドーナツを買って飢えを凌いでいた。それでもいつかはスペースを分けてくれるだろうという考えでいたものの、事態は一向に変わらないのである。

もういい加減気付くべきであった。
答えは「場所をくれ」と言うことが必要なのであった。
そして冷蔵庫シェアのルールなど存在しなかったのだ。(←実はこれが後々後を引くことになる)

誰かが何かを分けてくれるだろうという甘い考えはここでは一切通用しないのだ。ここは日本ではなく、異国の地である。そしてFlatmateは全員国籍が異なる。今までの当たり前が通用しないのだ。ということは自然に頭に思い浮かぶ選択肢は「生きる」か「死ぬ」である。自分から欲しいものは取りに行かなければならない。

そう、戦争である。

ここで僕は(自分の中だけで)冷蔵庫戦争と名付けた。
まず自分の陣地を獲得するために課題と戦略が必要だ。


課題となっていたのは、僕は助けをあまり外に求めない性格であった。きっと「アイツ困っていない」と思われていたのだろう。
僕はシェアする気もなく、Flatmate全然気を遣ってくれないなと、正直な話では彼らを悪く考えていた(反省してますmm)が、彼らは困っている人間には助けや助言を行う非常に優しい性格を持っていたのだ。
その時は既に冷蔵庫スペースがない状況で2週間が経とうとしており、食事も限界を迎えようとしていた。もうここは助けを求めてみようかと、年長のPhDの女性に勇気を出して頼んでみた。

結果はあっさりとスペースを分けてくれた。
冷蔵庫の棚一段の半分。
思ったよりも少なかった。

本来であれば、均等にスペースを分けると冷蔵庫と冷凍庫のそれぞれ一段分のスペースがあるのだが、たったのそれだけである。
しかしその時はスペースができたことの嬉しさと、コミュニケーションへの自信の無さから、それ以上の交渉は行うことができなかった。


でもまずは一歩前に進んだのである。
そして僕は生きることを選んだのである。

以降買い物にも行くことが可能になった。食事のバリエーションも増えた。モノクロだった食事の時間が、少しずつ彩り始めた。

だが人間はよく深いものである。
というか、明らかに保存スペースが足りない。
さすがに食材の長期保存として冷凍庫は欲しかった。
そのために次は戦略を練る必要があった。

考えた戦略はルール決めである。
その頃、Flatmateの中である問題が発生していた。
それはキッチンのゴミ捨てルールが決まっておらず、気づいた人が捨てに行く方法を取っていたため、不公平なやり方となっていた。また人によってはゴミ袋を交換したものの、肝心のゴミをそのまま隣に放置させ、異臭事件を発生させた者もいた。


この問題において僕はルールが無いことに異常さを感じぜずにはいられなかった。そこで、僕はflatmate meetingをセッティングし、そこでゴミ捨てルールを決めようと提案した。幸運なことに皆は快諾してくれて、数日後その打ち合わせをすることになった。
ただ僕の本心はそこではなく、冷蔵庫の公平な配分であったので、しれーっとそれも議題に追加したのである。


数日後、meetingが開催された。
議題であったゴミ捨てルールは皆で話し合い、週ごとの当番がゴミを捨てに行くということに決まった。こんなあっさり決まることがなぜ今まで放置されてきたのか、むしろ最初に決めるでしょ、と違和感を抱くしかなかった。(これはこれで当たり前だと感じていたことが、ここではそうではないことを感じたものの一つ。)

だが僕の本題はここからだ。
中心の話題が収まりかけた時、僕が他に打ち合わせしておきたいことは無いかという提案をすると共に、冷蔵庫の配分ルールはどうなっているのかと質問してみた。


反応はあまり感触が良いとは言い切れなかった、それは何故だかわからなかった。
反応薄い...これは失敗だったかと考え始めたそのとき、あるflatmateが、「あなたはスペースが欲しいのか」と聞いてきたのだ。


待ってました、僕はその言葉を1ヶ月間待ち続けていたのだ。

僕はその時に藁をもすがる思いがこもった、渾身の「yes」を放ったことが鮮明に記憶に残っている。たぶん今後あのような「yes」は一生出てこないだろう。

僕の作戦とそのflatmateのおかげで無事、冷蔵庫と冷凍庫のそれぞれ一段を分けてもらうことができたのだ。これで料理に彩りどころか、華やかさもプラスされるであろう。

これで僕の中での1ヶ月に及ぶ冷蔵庫戦争は幕を閉じた。



僕の中だけでは。

そう、実はこの時点でまだ冷蔵庫の配分ルールが決まっていない。
これが後々、他の者も巻き込んだ冷蔵庫戦争を勃発させることになるだろうとは誰もが知る由はなかった。
(続きは書けるときに)



こんな長々と書いてみたものの、端的に言えば自分から場所が欲しいと言えばよかったという一言に尽きる。
簡単なことに感じるかもしれないが、その時の僕にとっては簡単に発することができない一言だったかもしれない。
知らない場所で知らない相手とこれから共同生活を始めようとする時に、相手を気遣わないといけない。もし言い合いになったときにうまくコミュニケーションを取る自信もない。うまく合わせなければ。
そんな思いから自分を我慢させてしまった。


辛い思いの中でその必要性を感じた一言は、自分を主張し生きねばならないという教訓まで昇華させることになるくらい自分の中で重く、強さを構成する要素の一つとなったかもしれない。


だいぶ話が逸れてしまった。もう完全に食文化の話ではない。
まあいい。
無理矢理こじ付けるのであれば、食の保存は大事であるということだろう。
(違うか。)


話が落ち着いたのと、疲れたので、続きはまた書けたら。


僕のいる場所は最近晴れ間が続き、暖くなってきた。
綺麗な花が至る所で咲き始め、海鳥は絶えず鳴き続け、海は静かに波を重ねる。
たまには途方もなく積み重ねられた自然の美しさを感じるのもいいだろう。

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