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サッカー人生振り返り「②中学生編」

6年間所属したSHIBUYA CITY FCを退団し、一つサッカー人生の節目なのでこれまでのサッカー人生を振り返りたいと思います。

『中学生編』

FC東京のジュニアユースに合格して、「自分はJリーガーになる」と決意しました。

プロの選手と同じエンブレムの入った練習着やユニフォームを着るのがとても誇らしく、毎日の練習に全力で取り組みました。

FC東京に入ると、運命的な出会いがありました。
当時のGKコーチである浅野コーチとの出会いです。

練習会の時から「この人に教わりたい」と思っていましたが、実際に入団して指導を受けることでGKとして100倍成長できました。

何よりも徹底して基礎技術を大切にする考え方で、その時の教えは今の自分のGKとしての柱になっています。

そしてGKコーチとして指導をする時にも、この時の教えを一番大切にしています。

浅野コーチの指導を受けてきた先輩達がとにかく基礎技術が上手くて、毎日一生懸命練習すればこうなれるんだと、身近に最高のお手本がありました。

月に一回、高校生のユース選手とも合同で練習する機会を作ってくれて、現清水エスパルスの権田選手とも一緒に練習していました。

優しくて、GK上手すぎて、大尊敬してる先輩です。

そんな偉大な背中の先輩方を追いかけて、本当に必死に練習しました。

学校のテストが近づくと、テスト前1週間とテスト期間中は休んでOKというルールだったのですが、3年間1日たりとも休まずに練習に通いました。

電車で1時間ほどかけて通っていたのですが、練習を休まなくていいようにその移動時間を活用してテスト勉強をしていました。

努力の甲斐もあり、中学3年生に上がる時にはナショナルトレセンと呼ばれる、日本代表に最も近い全国的な選抜に選ばれる実力になりました。

「高校に進んでも、このままユースに昇格してプロの道まで駆け抜ける」そう信じて疑いませんでした。

ところが中学3年生の夏の進路面談で言われたのは、「ユースには昇格できません」と。

本当に頭が真っ白になりました。
正直、ナショナルトレセンに入っていてユースに昇格できないなんて有り得ないと思ってました。

当時の自分を客観的に今振り返ると、「平均的な能力は高いけど特に目立つものがない」という評価だったのかなと思います。

当時チームメイトでユースに昇格した選手の代表例が現ヴィッセル神戸の武藤嘉紀。彼は平均値が高いわけではなく、圧倒的な武器がありました。

本当に何が起きたか分からず、その場では現状オファーがきている高校をいくつか伝えてもらって、帰り道の記憶は全くありません。

翌日、冷静になって現実を受け止めて考え始めました。
「あ、俺プロになれないかも」と初めて自分を疑いました。

落ち込んでいても仕方ないし、進路を決めなければいけないので、前を向いて色んな高校の練習参加に行きました。

正直、当時の自分は高校サッカーをめちゃくちゃ舐めてました。当然ユースに上がるつもりでいたので、高校なんて選びたい放題だと。笑

流通経済柏、前橋育英、山梨学院、国学院久我山、桐光学園、そして中学から通っている桐蔭学園。

実際に全ての高校からオファーをもらいましたが、余裕で当たり前のことだと思ってました。トガりすぎている。

監督と直接話すことができた桐光の面談で、
「1年生から自分を試合に出しますか?」
「特待生での入学は可能ですか?」
と直接交渉しました。トガりすぎている。

結局、特待生を勝ち取ったこと。大学進学にあたり指定校推薦枠を沢山持っていること。1年生から試合に出すと言う言葉をもらえたこと。全ての条件が揃った桐光学園に進路を決めました。

この時には、プロになれないかもしれないから勉強もしっかりやって将来選択肢を持てるようにという考えになってました。

ユースに上がれなかった一方で、進路選択には全く困らなかったのはユースに上がるための努力をしてきたからだと思います。

進路も落ち着き、最後の大会。
全国高円宮杯で全国3位で終わり、高校サッカーに舞台を移します。

〜教訓〜

①サッカーでも仕事でも何でも、誰にも負けない圧倒的な武器を持て。丸くなるな、星になれ。笑

②報われない努力もある。けど、その努力は無駄にはならない。

③評価をするのは自分ではなく、他人。客観的に自分を見ることの重要性。

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