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「俺の話は長い」からの熟考

私が好きなドラマのひとつに
「俺の話は長い」がある。
主人公(生田斗真)は6年間無職で実家暮らし。
そこに家のリフォーム期間の3ヶ月だけ仮住まいをしに戻ってきた姉(小池栄子)の家族とひとつ屋根の下で暮らすことになり、それぞれが抱える問題や葛藤に対して前向きに生きていくヒューマンコメディーである。
TVerで期間限定で配信をしていたので、ワクワクしながら観てしまった。

生田斗真の感心してしまうほどの長台詞と早口、
ニヤニヤしてしまうような皮肉や屁理屈は勿論なのだが、
一人一人の問題が他の誰かの言葉だったり、行動だったりに感化されて、
冷たいものが温まっていくような様や、問題に対して周りが咎めるのではなく、ゆっくり答えを見つけていけばいいのではないか、という雰囲気が好きだった。

最終的に生田斗真が就職面接に出向くシーンでドラマは終わるのだが、
それに向かう際に小池栄子が生田斗真に向ける視線や表情がすごく良くて何度観ても泣いてしまう。

そして、生田斗真は6年間ずっとやりたいことややろうと思える事を見つけられずにいたけど、やっと「もしかしたら、これならしっくりくるかもしれない」と思えたチャンスに出会い、それさえも最初は躊躇していたが、元カノからの「やれ!」と言う一言や周りからの声もあり、最終的に面接に向かったのである。

その「やれ!」という言葉がやけに今の私にも響いて、
自分事かのように捉えてしまった。
というのも、働き方を変えたことで、だいぶ生活にゆとりはできたのではあるが、元々副業なりもう一つ収入源を増やすことを目的としていたのに、何もできていない自分にもどかしさを感じ始めていた時だったから、何気なく好きなドラマが配信されていたことで見始めたものの、この出会いは宇宙の意志が働いていたのではないかと思うほど、今も私に刺さった。

その他にも、大好きなジェーン・スーさんがこんなことをthreadにあげていたりもした。

言葉や瞬発力に頼らず、継続的な行動で自分に自分を信用させるしか手がないとわかった。具体的には目の前のことを手を抜かずにやる、新しいことを怯まずにやる、勢いに任せずじっくり考えて頭を使うことをめんどくさがらずやるなど。
(中略)めんどくさくてやらないこと(熟考や行動)を「私らしさ」にスライドしない、も結構大事かも。

@janesu112 より

私は熟考するのが苦手なタイプで、あらゆることに対して深く考えることを避けてきたように思う。でも、それは仕事に忙殺されていて、ただ目の前にある業務を成敗していただけだったのだと気づいたのは、今の生活時間軸を取り入れてから。その成敗は頭を使っているわけではなく、常に8割くらいのパワーでその場しのぎに乗り切っていた感じ。つまりは本気で向き合うことすらできる余裕もないし、それ以外にも重なるように仕事が降ってくるしで、テトリスだったら瞬殺状態だったような環境だった。

あの頃もそれはそれでそんな自分が好きだったんだけど、
今は物事に対して深掘りすることに興味を持ち始めているから不思議である。
例えば、自分の「好きなモノ」に対して「なんでこんなに惹かれるんだろう」とか。例えば、「私に長いこと彼氏ができないのはどうして?」には「過去の人間関係や、過去の恋愛の経験、幼少期の記憶」などを思い起こして、そこに障害があるのではないかと考えてみたり。

そんなこんなで、
“継続的に続けられる自分が夢中になれることを見つけて、それに対して全力で向きあい熟考し、それをアウトプットできるような事を今からやれ!”
が、今の私に来ている宇宙からの課題のような気がしている。

芸術家は直面した疑問に向き合い、その答えを作品として残す、
と聞いた事あるが、そんな感じだろうか。

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