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東京の陰の象徴「渋谷川」のすべて(庵野秀明と小沢健二と欅坂46からなる水系について)

あの時 風が流れても変わらないと言った二人の
心と心が今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度

三輪明日美「あの素晴らしい愛をもう一度」
作詞:北山修

誰も気づいてないこの渋谷川
涸れることもなくずっと変わらぬまま
人の暮らしの中で溢れた水も溢れた涙も海へと運ぶよ

欅坂46 ゆいちゃんず(今泉佑唯と小林由依)「渋谷川」
作詞:秋元康

幾千万も灯る都市の明かりが生み出す
闇に隠れた汚れた川と汚れた僕らと

小沢健二「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」
作詞:小沢健二

0 はじめに

東京の暗渠の代名詞である渋谷川。日本を代表する女性アイドルであった欅坂46が2016年に発売した1stシングルで渋谷川をフィーチャーしたことで、その名前はより一層に知られるようになった。時代はそれから遡ること18年前の1998年。庵野秀明監督の実写映画の中で、4人の女子高生は渋谷川を歩いていた。そして、90年代を代表するシンガーソングライター小沢健二は、活動復帰後の2018年に、90年代当時のこととともに渋谷川について暗に歌った(と、思う。)

1 君は知ってるかい?あの渋谷川

今から約8年前の2016年4月6日。秋元康が総合プロデュースを務める女性アイドルグループの欅坂46が、デビューシングル『サイレントマジョリティー』で鮮烈なデビューを飾った。表題曲「サイレントマジョリティー」のMVは、CD発売に先駆け3月16日に公開され、それまでの一般的なアイドル像とかなり異なる楽曲、表現、世界観などから大いに話題になった。

「サイレントマジョリティー」MVは、かつての東急東横線渋谷駅ホーム及び線路跡地であり、現在は渋谷ストリームが建っている、再開発真っ只中の渋谷駅工事現場にて撮影された。

「サイレントマジョリティー」作曲のバグベアによると、欅坂46デビュー曲のコンペティションにおいて示された方向性は〈渋谷〉〈服飾系〉であったという。また、示された方向性を元にバグベアが渋谷や原宿の裏通りをイメージして制作した楽曲が後の「サイレントマジョリティー」であるという。

欅坂46のデビューシングル『サイレントマジョリティー』は、デビュー曲のコンペで示されていた通り、全面的に〈渋谷〉をテーマに制作された。表題曲「サイレントマジョリティー」MVは、渋谷駅工事現場をメインに、渋谷駅ホーム、西武渋谷店、渋谷川に架かる稲荷橋、渋谷区桜丘町さくら通りなどで撮影された。また、ユニット"ゆいちゃんず(今泉佑唯と小林由依)"が歌う「渋谷川」はカップリング曲として収録されている。アーティスト写真においても、全体アーティスト写真が渋谷区にある國學院大學の屋上で撮影され、個人アーティスト写真が渋谷川の内部で撮影された。CDジャケット写真も、個人アーティスト写真と同様に渋谷川の内部で撮影された。

欅坂46「サイレントマジョリティー」MV
渋谷区桜丘町さくら通り

その後も、2ndシングル収録の平手友梨奈ソロ楽曲「渋谷からPARCOが消えた日」、1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』アートワーク、1stアルバムのリード楽曲「月曜日の朝、スカートを切られた」MVなど、欅坂46は渋谷にフォーカスを当てた活動を度々行っている。2020年の改名の瞬間においても、新しいグループ名である〈櫻坂46〉を渋谷のスクランブル交差点のデジタルサイネージ上でサプライズ発表していた。改名後の櫻坂46としても、6thシングルのアートワークに渋谷が採用されるなど、渋谷は、グループにおける象徴的な場所〈聖地〉として現在も扱われている。

しかし、そもそもグループの名称になっている〈欅坂〉は、渋谷と特に関係のない坂の名称である。欅坂46という名称は、六本木けやき坂が由来になっており、オーディション時の仮称であった鳥居坂46も、改名後の名称である櫻坂46も、同様に六本木の実在する坂に由来している。

ちなみに、坂道シリーズの第1弾であり、欅坂46の姉分である乃木坂46の名称は、最終オーディションの会場が乃木坂にあるSME乃木坂ビルであったことに由来する。千代田線乃木坂駅で撮影の1stアルバム『透明な色』アートワーク、千代田線乃木坂駅の発車メロディに採用の「君の名は希望」、毎年1月に乃木神社にてお披露目される成人を迎えたメンバーの成人式など、乃木坂46の聖地として機能している乃木坂に対して、六本木けやき坂は、欅坂46の聖地として機能していない。

では、六本木にグループ名の由来となった坂があるにも関わらず、グループの方向性として〈渋谷〉の地が選ばれたのは何故だろうか。

個人的には、これまでにない革新的でカウンター性のある女性アイドルグループを作りにあたって、最先端の新しい流行の発信地であり、再開発の最中にあった若者の街〈渋谷〉がイメージに重なった、あるいはイメージを重ねた、のではないだろうかと考える。

櫻坂46 6th Single『Start over!』
初回仕様限定盤 TYPE-A 表ジャケット写真

2 渋谷

日本の首都にあたり、世界有数の世界都市である東京。1958年の首都圏整備計画において、都心機能の分散を目的とする副都心が策定された。渋谷は、東京の三大副都心の一つとして、新宿と池袋と肩を並べる街である。

日本有数の繁華街である渋谷は、PARCOの旗艦店である渋谷PARCOが1973年に開業したことなどをきっかけに、渋谷に若者が多く集まるようになり、最先端のファッションや音楽、流行、文化の発信地である若者の街とその地位を現在まで確立させた。

現在のJRにあたる日本鉄道が、1885年に渋谷駅を開業させたとき、渋谷駅周辺は田畑が広がる東京の郊外、田舎の地域であった。その後、東急玉川線を皮切りに複数の路線が乗り入れる東京郊外のターミナル駅として発展した渋谷駅。1923年の関東大震災をきっかけに、震災の被害が大きい下町から、郊外の山の手エリアへの転居が増加したことで、渋谷駅の利用者数は更に増加した。

渋谷を一瞬でも訪れれば分かることであるが、渋谷は坂が多く起伏が激しく、道路や建物の構成も非常に複雑な入り組んだ街であることが分かる。

渋谷と同じ三大副都心の一つであり、最大規模の東京の副都心である新宿は、江戸時代には江戸と甲府を結ぶ甲州街道の宿場として栄えた地域で、武蔵野台地の東に位置している。中でも新宿駅は、東京の山の手エリアにける最も標高の高い場所に位置しており、言わば、東京における山の上の街である。

対して渋谷は、その武蔵野台地を侵食する渋谷川(隠田川)と宇田川の合流地点に位置している、文字通り〈谷〉の街である。谷底に位置するために坂の多い地形となっており、その上、道路は放射状に伸び、小道も多く存在しているという特徴から、新宿や池袋などの山の手の高台の街と比べて発展が遅れてしまったと考えられている。しかし裏を返せば、他の地域より発展が遅れたからこそ、若者の街としての現在の渋谷が成立しているとも考えられる。

3 渋谷川

前述の通り、渋谷は武蔵野台地における渋谷川(隠田川)と宇田川の合流地点の谷に出来た街である。では、渋谷のどこに渋谷川があるのだろうか。

現在、渋谷川の起点とされているのは渋谷駅の南、渋谷ストリームからすぐ近くの稲荷橋地点である。渋谷川は広尾と麻布を経由して芝公園の南を通り、最終的には東京湾へと流れ着く。現在、と書いたのは、渋谷川の起点が歴史の中で何段階かの変遷を辿っているためである。

現在の渋谷川の起点である稲荷橋から渋谷駅の方を見ると、渋谷川が渋谷の地下から流れていることが分かる。稲荷橋より上流は現在全て暗渠となっている。しかし、かつての渋谷川の流れは地上の名残から把握することが可能である。いわゆる〈裏原宿〉の中心の通りの一つとして、原宿・表参道と渋谷を結ぶキャットストリートがあるが、キャットストリートの本来の名称は、旧渋谷川遊歩道路という。その名の通り、暗渠化された渋谷川の上に作られた遊歩道である。キャットストリートを含む渋谷川の暗渠の地上部分には、いくつかの橋脚がそのまま残っており、かつて地上に川が流れていたことを確かめることが出来る。そうして渋谷川の暗渠を辿っていくと、JR千駄ヶ谷駅の北にある新宿御苑に辿り着く。実際、渋谷川の源流は新宿御苑の中にあります。また、渋谷川水系は多くの支流を持っており、明治神宮御苑にある清正井や、目黒の白金自然教育園なども、かつての渋谷川を構成する源流の一つである。

このように、かつて大小様々な川の流れによって構成され東京の地上部分を流れていた渋谷川。明治の時代に入ると、渋谷川と宇田川の合流地点である宮益橋までの渋谷川上流は隠田川と呼称されるようになり、渋谷川という名称は宮益橋より下流を指す名称となった。

現在、渋谷スクランブルスクエアの東棟がある場所には、2020年まで東急百貨店東横店が存在していた。その東京百貨店東横店が開業した1934年。渋谷川は大都会の地下の暗闇に埋もれていくこととなる。というのも、その東京百貨店東横店の東館が、宮益橋の直下数十メートルを暗渠にしてその上に建てられた建物であるからだ。また、東京オリンピックの3年前の1961年には、宮益橋までの上流の区間、宮益橋から稲荷橋までの下流の区間のいずれも暗渠となった。この時、宮益橋から稲荷橋の区間は、河川法において河川として扱われていたが、宮益橋までに至る上流の区間は、暗渠化のみならず下水道化も行われ、この時点で渋谷川の起点は宮益橋地点となった。

そして現在も続く渋谷駅周辺再開発に先駆けて、2009年には、宮益橋から稲荷橋までの区間が下水道に変更となり、稲荷橋を起点とする、暗渠区間の持たない現在の渋谷川となった。

渋谷川のみならず、かつて東京都心部を流れていた多くの小川は、都市の発展とともに、具体的には関東大震災後の復興期や高度経済成長期の時期の開発の中で、その殆どが暗渠化され、更には下水道化され、河川としての実体を失ってしまった。東京が世界有数の世界都市へと輝かしい発展を遂げる中で、地下へ隠され河川から下水道(=汚れた川)へと変えられてしまった東京の暗渠は、いわば東京という煌びやかな大都会によって生まれた影であり、かつて新宿から渋谷の地上を流れていた渋谷川は、東京の陰の象徴ではないだろうか。

4 あの素晴らしい愛をもう一度

乃木坂46の妹分として誕生した欅坂46。乃木坂46が〈清楚〉〈お嬢様〉〈儚い〉といったイメージが持たれているであろうことに対して、欅坂46は〈革新的〉〈反抗的〉〈クール〉〈意思〉といったイメージが持たれていたであろうか。しかし、鳥居坂46としてオーディションを開催していた時、秋元康は実際のその後の欅坂46のようなグループを作ろうという企みは持っていなかったそうだ。オーディション後に、デビューを控え様々な準備を進める中で、メンバーの中に自然とそういったコンセプトを見出したと。恐らく、コンセプトの一つとしての〈渋谷〉はその後に決まったものではないかと考える。

渋谷をコンセプトに、渋谷川をフィーチャーした欅坂46のデビューシングル『サイレントマジョリティー』は、明らかに一つの映画を想起させる。それは映画『ラブ&ポップ』である。

映画『ラブ&ポップ』ポスター

庵野秀明は90年代を代表するコンテンツであるTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の生みの親だ。1997年7月19日に公開された劇場アニメ『新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に』を以て『エヴァンゲリオン』シリーズを完結させた庵野秀明は、翌年1998年1月9日に、自身初の実写長編映画である『ラブ&ポップ』を公開した。

映画『ラブ&ポップ』の原作は1996年に刊行された村上龍の同名小説。同年の流行語大賞に「援助交際」が入賞するほど、90年代の日本では「援助交際」という概念がかなり一般化していたらしい。そして若者の街である当時の渋谷は援助交際の拠点であったらしい。『ラブ&ポップ』は、渋谷を舞台に、女子高生側から援助交際を描いた作品である。

最先端の流行の発信地である若者の街の渋谷は、一見するととても煌びやかな都会の街である。しかしどんなものにも表と裏はあり、光がある限り影は生まれてしまう。様々な事情からルートから援助交際というものは発生してしまう。『ラブ&ポップ』の主人公の女子高生は、夏休みの沖縄旅行を目前に控え、仲間とともに水着の調達のために渋谷を訪れていた。主人公はデパートの店頭に飾られていた約12万のトパーズの指輪に出会い、一目惚れしてしまう。衝動に駆られた主人公は、閉店時間までの限られた時間の中で、そのトパーズの指輪をどうにか手に入れるために、援助交際という一つの手段を選択する。その日は、1997年7月19日のことだった。

映画『ラブ&ポップ』
左から二番目は仲間由紀恵
映画『ラブ&ポップ』
映画『ラブ&ポップ』

『ラブ&ポップ』は庵野秀明の初監督実写映画という側面の他に、日本初のフルデジタル制作作品という側面でもよく知られている。家庭用ビデオカメラの映像の質が、技術の進化によって、映画館のスクリーンの大画面でも耐えられるレベルに到達したのではないか、と考えた庵野秀明ら。映画用のフィルムカメラと比べて随分と小型な家庭用ビデオカメラであれば、例えオール渋谷ロケ撮影であろうと機動力を損ねることはない。女子高生役を用意して、援助交際の様子をドキュメンタリー的に撮影すれば、庵野秀明監督自身がカメラを構えることも可能、制作スタッフが援助交際の相手役を兼ねることも可能である。これらのことから低予算で制作することが可能である判断し制作された映画が『ラブ&ポップ』であった。

日本初の全編フルデジタル制作映画である『ラブ&ポップ』だが、唯一、35mmフィルムで撮影されたシーンがある。一日とするには余りにも濃厚すぎる、主人公にとっての様々な出会いや経験を描く映画のエンディング。主人公とその仲間たちである4人の少女を演じる俳優4人は、稲荷橋地点で渋谷の地下から地上へ露出する渋谷川に足を踏み入れ、映画の中の女子高生として、暗渠のトンネルから太陽の元に向かって歩き進める。このエンドロールのシーンだけが、唯一の35mmフィルムで撮影された映像である。当時にとっても現在にとっても目に荒く映るであろうデジタルカメラの映像から35mmフィルム映像に変化することで、観客は開放感のようなものを視覚的に感じられる。渋谷という煌びやかな最先端の都会の光を浴びる当事者でありつつ、渋谷の影で蔓延る援助交際の当事者でもある主人公の女子高生たちは、長い一日の後、渋谷川の暗渠から渋谷の街へと顔を出す。川は海に向かって流れる。暗渠となった渋谷川上流から地上へ露出する下流へと歩みを進める彼女らの歩みの遥か先には、海が待っている。

ちなみに、『ラブ&ポップ』のエンディングシーンの当初の予定は、夏休みの沖縄旅行を謳歌する主人公4人らの映像であったらしい。

映画『ラブ&ポップ』エンドロール
欅坂46 1st Single『サイレントマジョリティー』
初回仕様限定盤 TYPE-B 裏ジャケット写真

5 汚れた川は再生の海へと届く

庵野秀明がアニメーター/ディレクターとして『新世紀エヴァンゲリオン』などの作品で一世を風靡した90年代。小沢健二もまた、90年代を代表する作家であった。小沢健二は1989年にデビューしたフリッパーズ・ギターのメンバーとして音楽家のキャリアをスタートさせる。1991年にフリッパーズ・ギターを解散させた後、1993年7月21日にデビューシングル『天気読み』を発表し、同年9月29日には『犬は吠えるがキャラバンは進む』という名盤を1stアルバムとして発表する。スチャダラパーとコラボしたシングル『今夜はブギー・バッグ』が大ヒットし、続く2ndアルバム『LIFE』は彼の代名詞的作品として現在も機能している。そんな当時の彼は、軽快な知的な立ち振る舞いやファッションから〈渋谷系の王子様〉と呼ばれていたという。そんな彼は『ラブ&ポップ』が公開された1998年に活動を休止し、拠点をニューヨークへと移す。

1998年のシングル『春にして君を想う』リリースと活動休止後、アルバムの発表やコンサートを不定期に行っていた小沢健二だが、シングルは長らく発表していなかった。2017年にシングル『流動体について』をリリースし、これを以て本格的に音楽活動を再開させた小沢健二は、2018年、『流動体について』に続くシングル『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』をリリースする。

「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」収録
小沢健二 アルバム『So kakkoii 宇宙』ジャケット写真

『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先』は、行定勲監督による映画『リバーズ・エッジ』の主題歌としてリリースされた。映画の原作者は小沢健二と親交のある漫画家の岡崎京子であり、主演の二階堂ふみと共に3人での会談を経て、小沢健二が書き下ろした楽曲である。

映画『リバーズ・エッジ』ポスター

楽曲「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」では、駒場図書館、原宿、日比谷公園、下北沢珉亭、シェルターなど、東京にある様々な場所の名称がそのまま登場する。それらの固有名詞と具体的な物語描写の歌詞から、90年代当時の小沢健二と岡崎京子の友情について、2018年現在の小沢健二が歌う楽曲であることが伺える。しかし、恐らく意図的ではないだろうか。「汚れた川」と「再生の海」だけは、抽象的にボヤかされて歌われるのである。

幾千万も灯る都市の明かりが生み出す
闇に隠れた汚れた川と汚れた僕らと

小沢健二「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」
作詞:小沢健二

記事冒頭でも引用したこの歌詞部分は、「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」の歌い出しである。この時点では「汚れた川」という場所は、「汚れた川」という情報以上の情報を持たない。

駒場図書館を後に君が絵を描く原宿へ行く
しばし君は消費する僕と消費される僕をからかう

小沢健二「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」
作詞:小沢健二

続いて、駒場図書館と原宿という具体的な場所の名前が登場する。駒場図書館は渋谷の西に位置していて、原宿は渋谷の北に位置している。「汚れた川」と歌った直後に渋谷からほど近い二点が歌われることで、「闇に隠れた汚れた川」は渋谷川のことを指しているのではないかと解釈することが出来る。

初めて会った時の君
ベレー帽で少し年上で言う
「小沢くん インタビューとかでは
 何も本当のこと言ってないじゃない」

小沢健二「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」
作詞:小沢健二

かつて、軽快で知的な立ち振る舞いなどから渋谷系の王子様とされたらしい小沢健二だが、世間のイメージの小沢健二と実体の小沢健二には乖離があったのだろうか。外からのイメージと内の実体の乖離。それは表に出ていない一般人の自分ですら抱える悩みである。表に出て芸能のようなことをする人達にとっては、それはより一層深刻な問題として立ち顕れるのではないか。欅坂46は、アイドルらしからぬ世界観や表現の活動から、真偽不明の様々な噂や印象が付き纏い、結果、その〈欅坂46〉という看板を取り外さなければならなくなったのだと思う。庵野秀明もその作風から様々な考察や解釈が空中を飛び交い、時々表に立ってそれらを否定したり訂正したりなどしている。

小沢健二は音楽家で、岡崎京子は漫画家であるが、共に90年代を代表する一世を風靡する作家同士、その立場になった人にしか分からない、苦労や悲しみや喜びも共有できたのではないだろうか。「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」で歌われる歌詞から、僕はそのように感じ取った。

岡崎京子は1996年に交通事故によって重症を負い、命は助かったものの、その後遺症によって、漫画家生命を奪われたらしい。

でも魔法のトンネルの先
君と僕の心を愛す人がいる
本当だろうか?幻想だろうか?と思う

小沢健二「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」
作詞:小沢健二

きっと魔法のトンネルの先
君と僕の言葉を愛す人がいる
本当の心は本当の心へと届く

小沢健二「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」
作詞:小沢健二

きっと魔法のトンネルの先
君と僕の心を愛す人がいる
汚れた川は再生の海へと届く

小沢健二「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」
作詞:小沢健二


これらの3つの歌詞引用は、「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先」のサビにあたる部分の引用である。タイトルになっている〈アルペジオ〉は音楽用語で、和音を構成する音を一音ずつ順番に弾いていく演奏方法のことであるが、この楽曲ではそのアルペジオの旋律が裏でずっと繰り返し続いている。小沢健二の歌詞には、(この楽曲がそうであるように)川や海というモチーフが登場したり、神様や天使というモチーフが登場したりする中で、円環やサークルに基づく永遠について歌われることが多いと個人的に思っている。「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」におけるアルペジオは、絶え間なく流れ続ける川のように、永遠を象徴する一つの意味てあると思う。

副題になっている「きっと魔法のトンネルの先」は、サビで象徴的に繰り返し歌われるフレーズで、魔法のトンネルが何を意味しているのかは、聴く者の解釈に委ねられている。この楽曲は小沢健二と岡崎京子が活躍した90年代当時と、2018年現在の二つの時間の中で物語が展開される楽曲であるため、時間を結ぶトンネルだろうかとやんわりと考えつつ、同時に、トンネルという指定から、つまりは渋谷川の暗渠のようなものなのではないかなとも考えた。「魔法のトンネルの先」について繰り返し歌った後「汚れた川」は再登場し、そして「再生への海へと届く」と歌われる。だから「魔法のトンネル」は、地下の暗渠から地上の河川へ続き、「再生の海」へと続く、そんなようなトンネルではないだろうか。

映画『ラブ&ポップ』本編未使用映像

「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」では、『リバーズ・エッジ』で主演を務めた二階堂ふみと吉沢亮が〈Voice〉として参加している。そして小沢健二は、この楽曲の最後を二階堂ふみと吉沢亮の語りに託した。小沢健二が「汚れた川が再生の海へ届く」と歌った後。川と海の関係は決して一方通行ではなく永遠のサークルのうちの一つである。二階堂ふみと吉沢亮の最後の語りは、これまでの肯定と、これからも続く希望についてだと思う。

日比谷公園の噴水が春の空気に虹をかけ
「神は細部に宿る」
って君は遠くにいる僕に言う
僕は泣く

小沢健二「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」
作詞:小沢健二

下北沢
珉亭
ご飯が炊かれ麺が茹でられる永遠
シェルター
出番を待つ若い詩人たちが
リハーサル終えて出てくる

小沢健二「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」
作詞:小沢健二

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