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3月吉日

父の命日にはまだ少し早いのだが――
祖母の七回忌と一緒に、父の三回忌を執り行った。

ようやく、ようやく、父の弟妹きょうだいたちを呼ぶことができた。

一緒にお寺でお経をあげて、お焼香をして。
お墓へ花を供え、墓地を巡回するカモシカを見つけて、明るく笑った。

会食のとき、私は少し長めのスピーチをした。
父が倒れたときのこと。
コロナ禍ゆえの葛藤のこと。
葛藤から抜け出すきっかけを得たこと。
父の最期のこと。
葬儀のこと。
その後の、私と母のこと。

コロナ禍でなければ、本来こういう話はとっくに共有されていて、私も母も、気持ちがもう少し楽になっていたはず。

それが2年間、下ろすタイミングがなくて、背負いっぱなしで。

私たちが楽になるために……と言ってはおこがましいけれど。ここで話すことで、荷を下ろさせてください。――そう言って、私は語り尽くした。
涙はやっぱり、止めることができなかった。

「食べながらでいいですよ」
苦笑しながら3回ほど促したが。
叔父叔母たち、イトコたち、みんな、箸を置いてじっと聞いていた。
叔母の1人は、くるっと体をこちらに向けて、正対して聞いてくれた。

あとで私と母のところに来て、
和珪わけいちゃんのおかげで、兄貴の最期がどんなだったか知ることができて良かった」
とウーロン茶をついでくれた。
叔母もちょっと、涙ぐんでいた。

帰宅時。運転する義兄に尋ねる。
「私のスピーチどうだった? お姉ちゃん泣いてた?」
「不覚ながら俺が泣いた」
物書きとしてはヨッシャ!とガッツポーズである。

叔父からも翌日、LINEでメッセージが届いた。
「ようやく俺にとっての兄貴の葬儀ができた気がする」

ようやく。
本当にようやくである。

私と母も。
担ぐには重すぎたその荷を、ようやく下ろすことができ、肩が軽くなった日だった。

父もようやくみんなに会うことができて、照れ笑いしていることだろう。



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