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三度目の転職は「仕事を愛したい」

私の一番最初の就職先は生協。カタログ制作を専属で5年ほど務めたが、体を壊し、立ち上がることさえままならなくなった。思えばこのとき、その後長く付き合うことになる顕微鏡的多発血管炎を発症したのだろう。

岩手にUターンして、しばし療養。最初の転職先は保育園。保育士の資格は持っていないので、補助として勤め、なんとか無事に契約期間をまっとうすることができた。

保育園勤めは楽しかったが、次の職場は大人相手がいい、とも思った。自分が思っていることを園児たちにもわかるよう変換して話す日々に、物足りなさを感じてしまったから。

二度目の転職――三つ目の勤務先は、大きめの工場。希望どおり大人相手の仕事。募集されていた作業員のつもりで面接を受けたのだが、なぜかISOの担当事務に配属された。

毎日のように各部署をまわるし、課長、部長、工場長が集まる会議に入ることもあるし、外部の監査員のご案内をしたりと、閉鎖的な空間のわりに関わる人数はかなり多い。

残念ながら、ここでの仕事は私に向いていなかった。あまりにも畑が違いすぎた。

どうしても仕事に興味が持てない。
そんな状況の中、開発部の研究員さんの作業場へ行ったときのこと。

研究員さんは、自分が手がけた製品を、我が子の如く愛おしそうに眺めていた。
目を輝かせて、微笑みを浮かべて。
そのことに、私はとても感銘を受ける。

「私もあんなふうに、仕事を愛したい……」

その後私は再び体を壊し、その原因が前述した顕微鏡的多発血管炎――難病であることも判明し、退職。またしても自宅療養の日々が続く。

療養しながら考えていたこと。
――次こそ、愛せる仕事に就こう。

そして三度目の転職先は、図書館に決めた。司書の資格がないから臨時職員という立場だったが、仕事を愛したいという私の願いは叶った。

それに体調もすこぶる良い。
愛せる仕事に就いた効果だろうか。

しかし。次年度から人数を減らすことになり、私ともう一人の臨時職員さんとの欠勤数を比較して、私が切られることになってしまった。

私の欠勤数が多くなった理由は、入院していたから。体調は――自覚する限りではとても良かったはずなのだが、残念なことに婦人科の検査でつまずいた。

「100%がんでない、とは言い切れない」
と医師に告げられ、左の卵巣を全摘することを勧められた。

「まだ子供も産んでいないのに」
と泣いたが、手術は受けることに。

摘出後の検査の結果は良性。
素直に喜べない。

私は左の卵巣と仕事を失った。
愛せる仕事だと思っていただけに、本当に悔しい。

子供に恵まれないのも悔しいし、愛していた仕事を手術のせいで失ったことにも腹が立った。まともに働き続けることもできない自分の体を、恨む。

その後も、転職と入院と悔しい思いを、何度も何度も繰り返す。

「悔しい思い」と「転職経験」は、せっかくだから創作活動へ使った。現実逃避なのか、当時の私は小説ばかり書いていた。見ようによっては私の人生って、ネタの宝庫かもしれない。

「小説を書く」ことは、このときの私を大いに慰めてくれた。没頭して書き上げたときの、あの清々しさと達成感は忘れられない。

ハッピーなときより失恋中の方がいい曲書けるシンガーソングライターのように、私も心身病んでいるときの方が創作意欲が高まる気がする。――やはり私にとって小説は、現実逃避の楽園なのだ。

でもその逃避は、私の心を浄化してくれる大きな助けとなった。あの頃の「小説を書く」ことには、とても感謝している。

――ああ、そうか。私があるときからパッタリと小説を書かなくなったのは、「逃避する必要がなくなったから」かもしれない。今は心も体も、健やかだから。

さあこの健やかな心と体でもって、人生の次のステージでは何をしようか。どんな仕事をするかはまだ決めていないが、志だけは決まっている。

それはもちろん、愛せる仕事、愛し続けていける仕事をすること。

そして長く愛するためには、体調管理も怠らないことである。


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