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150°のわからなさと、90°の威力 ーミレイの成功と苦悩?【ホロスコープからみる芸術家のひとかけら⑧の2】

前回に引き続きミレイです。
前回は、ミレイのラファエル前派時代の代表作《オフィーリア》(1851-52)を中心に、ミレイの双子座♊️要素(太陽・金星)を見ていきました。

※前回の記事はこちら ↓↓


◎成功の小三角

前回も軽く触れた通り、ミレイは史上最年少でロイヤルアカデミーに入り、その後、画家としてとても成功しました。肖像画の注文もバンバン入り、印刷文化の発展とともに挿絵やポスターとして民衆の目にもとまり、最終的にはアカデミーの会長に昇り詰める。
また、画家としての地位だけではなく、準男爵位も手に入れています。
いわゆる社会的成功者ですね。

いやー、こうなると、権力を持ちすぎて晩年はヤな奴になったとか、猜疑心の塊になったとかいうエピソードがあってもよさそうなものですが…

いつまでも絵に対して新しさを失うことなく、伝統を取り入れながらも絵画への追求をやめなかった、というのがミレイの一般的な言い伝えです。

《自画像》(1881)

うん?立派な方?…出来杉くん?
しかも、ホロスコープもそうなってるときたもんで。

(Astro Gold より)
※ソーラーサインハウス

天王星を頂点に、冥王星、木星との小三角ができています。
発展の木星と富の冥王星が手を繋ぎ、社会的な地位、大きな力を手に入れることができる配置です。
大きな権力や地位は、手に入れるとそこに安住してしまいがちですが、天王星が頂点にあることで、創造と革新を加えています。
権力が腐らないようになっているかのようです。

はじめに書いた、ミレイの人生そのもの。


うーん…これはうらやましすぎますね。
ステキな人生すぎて、逆に「いけすかないやつ!」って思っちゃったりもして。

SO〜♪  私は凡人 、ひねくれ 、そう思っちゃうYO。
(↑暑さで壊れたことにしておいてください)

で、ひねくれた私としては、なんか他にあるだろーと、さらにホロスコープを見ちゃいました。

すると、この小三角がミレイの個人天体にめっぽう優しくないことを発見!
うらやましいを超えて、「お疲れっス!ミレイ先輩!」と言いたくなっちゃうような配置だったんです。

成功も人気も、これに負けなかったからこそ手に入れたものかな、と思わされました。



◎頑張れ頑張れのヨッド

小三角の二角、天王星(水瓶座♒️)・木星(射手座♐️)が、火星・水星(蟹座♋️)に150°クインカンクス(インコンジャクト)。

いわゆるYO〜♪…じゃなくてYOD(ヨッド)を形成しています。

(Astro Gold より)
※ソーラーサインハウス

火星、水星(蟹座♋️)は、心底には理解できない相手の天王星(水瓶座♒️)・木星(射手座♐️)コンビから、絶えず改良を迫られます。

改良を迫られるのだけれども、何をしても「わかってもらえない」し、相手の方も「理解できない」。
「わかろう」「近づこう」と頑張れば頑張るほど違いを感じてしまうような配置です。

蟹座♋️の火星と水星は、そのわかってもらえなさに絶望を感じつつ、絶え間ない努力を続け、それに折れなければ木星と天王星の60°が持つ、大胆で斬新、そして広がりのある革命の恩恵に預かれるかも?という感じがします。

《Dead Pheasants》※制作年不明

ハードすぎてバタン。
ミレイの蟹座♋️の火星と水星くんは、よくぞこうならなかったものです。


◎90°の威力と不屈天体

ここで、さらに小三角に目を向けてみます。
冥王星(牡羊座♈️)が、火星・水星(蟹座♋️)に90°(スクエア)です。

(Astro Gold より)
※ソーラーサインハウス

さあ、蟹座♋️火星・水星さん、これは逃れられません。
時々、全てがひっくり返っちゃうような事件や事故でも起こりそうな。

150°のもどかしさに加えて、90°の圧…
なんて忙しい火星・水星なんでしょう。

でも、不屈の火星に超不屈の冥王星がくっついたらむしろ強そうな感じもします。
150°のわかってもらえなさなんて一段も二段も、むしろ十段跳びくらいに超えられそうな。
(まあ、どんな風に強くなるかは別の話ですが)

水星はどうかというと…こうなったらもうついていくしかありません。やるしかない。
そして、やるしかないモードの水星は有能そうです。


いやはや、本当に、優しくない小三角。
でも、やたら強そうな小三角。


そして、この小三角ワールドを如実に表しているように思えるのが、次に紹介するエピソードです。


◎《両親の家のキリスト》と批判エピソード

ミレイ、ラファエル前派時代の作品《両親の家のキリスト》。
この作品は、1850年のアカデミー年次展覧会に出品されたのですが、痛烈な批判を浴びてしまいます。

《両親の家のキリスト》(1849ー50)

この絵は、ミレイがラファエル前派として初めて描いた宗教画です。
旧約聖書のゼカリア書の一節を引用し、イエスが父ヨセフの作業場で、手のひらを傷つけてしまう場面を描いています。

イエスの手のひらに釘が刺さって、血が流れ、
マリアは心配そうに寄り添い、ヨセフも手を差し伸べる。
いつの日か来たるキリストの受難を予示した場面です。

ミレイは、ラファエル前派の理念通り、理想化を排除し、「自然に即して」、様々な象徴物を用いて自身の信仰を誠実に表現しようとしました。

もちろん、オフィーリアのときのように、入念な観察と労力を傾けて制作しています。

彼は徹底した写実を追求するために大工の作業場に泊まり込んで写生し、 父ヨセフの身体も実際の労働者を観察して描いた。

『ジョン・エヴァレット・ミレイ ヴィクトリア朝 美の革新者』著:荒川 裕子



ですが、批評家たちの評価は厳しいものでした。

キリストやその関係者を描く時は、手の届かないような、理想化された姿が基本だったのです。

こんな感じで。

《わが主の少年時代》(1847-56)
 ジョン・ハーバート


少年イエスは、均衡のとれた肉体を持ち、髪の毛はツヤツヤ。肌もふっくらもちもちです。

一方、ミレイの方はというと、リアル追求の結果、こんな風に受け取られてしまいます。

まずは、1850年5月9日の『タイムズ紙』。

ミレイ氏、第一の作品は、はっきり言って不快 である。大工の家のみすぼらしい細部の描写、 つまり、考えつかないほどの怠慢と不潔、疾病 を、聖家族と結びつけて、詳細に仕上げた本作 は気持ちが悪いほどだ。描写の驚くべき能力と共に、単なる技術は無味乾燥と思いつきによっ て威厳と真実からいかに遠ざかってしまうかを 如実に示している。

J. E. ミレイ《両親の家のキリスト》における風俗画的要素 ― 作品受容をめぐって ―  著:出口智佳子


おお…(ブルブル)


で、『クリスマス・キャロル』で有名なディケンズも、『ハウスホールドワーズ誌』で酷評。
(これがまた長すぎるんで割愛して紹介)

大工の仕事場の室内を見たまえ。前景の大工の仕事場は、ひどいもので、手に傷のあるよう な首の曲がった、泣きじゃくる寝間着の男の子 がいて、近くの溝で遊んでいた他の男の材木で 傷ついたようだ。[......]マリアの醜さは殊のほかに恐ろしく(もしもあのような関節の外れた 喉で少しの間でも居られるのなら)最も下劣な フランスのキャバレーか、イギリスの最下級の 酒場にいるその女は、化け物として、その仲間 たち[家族]の一団から浮いてしまっている。

J. E. ミレイ《両親の家のキリスト》における風俗画的要素 ― 作品受容をめぐって ―  著:出口智佳子


おおお…(ブルブルブル)


このような作品への批判は、150°の性質が表れているように思います。
世の中が求めている絵に対する宗教観と、ミレイのそれへのアプローチはなかなか相入れません。
ミレイなりに深く考えて、追求していたようなのですが…。

ただ、このあまりにも容赦ない批判と、『タイムズ紙』という大きなものに取り立たされたことにより、それがヴィクトリア女王の目に留まり、作品を特別に手元に運ばせて鑑賞した、というエピソードも残っています。

このあたりに、小三角に冥王星が入っているのを感じます。
ドン底に落とされてもただでは終わらない、すごいのついてくる、みたいな。


ただ、さすがのミレイさんも、これにはちょっとしょぼくれてしまったようです。

宗教主題の作品に対する激しい非難を回避するためか、以後ミレイは、比較的シンプルで穏やかな《箱舟に帰り着いた鳩》 を除き、主に文学やオペラの舞台に想を得た作品を描いていく。

『ジョン・エヴァレット・ミレイ ヴィクトリア朝 美の革新者』著:荒川 裕子


《箱舟に帰り着いた鳩》(1851)
※画像が暗めです。本当は緑色の美しさが印象的な作品です


だいぶスッキリとしていますね。
完成前に買い取られたこともありますが、安全な範囲内に収まっている感じもします。


ですが、この経験が前回紹介した《オフィーリア》へと情熱を傾ける結果となったのも事実。

あの、ボロクソ批評を一身に受け、それでも立ち上がるミレイさんに涙、です。


◎まとめと予告

今回は、ミレイの21歳ごろのエピソードを紹介しました。
ミレイは何度か、この小三角にまつわる事件のようなものと「わかりあえなさ」を経験します。
ですが、後年になるにつれ、世の中との相入れなさが薄まっていきます。
また、それに伴って、蟹座♋️の良い部分も生かされていっている感じがします。

そして、ミレイ作品の変遷を見ていくと、「わからなさ」の経験を通して「わかって」いくのではなく、「わかりあえないまま」どちらも両立していく様子を見ているようでおもしろいです。


次回は、今回紹介できなかったラファエル前派以降の作品の変遷を作品を見ていきたいと思います。
ミレイといえば《オフィーリア》が有名ですが、年を経るにつれ、ミレイの良さがのびのびと出ている気がします。
《オフィーリア》はミレイ渾身!ミレイエッセンス凝縮!という感じです。
もちろんそういう作品も好きですが、その人らしさが自然と出ていて、のびのびしている作品も見ていていいものです。


◎余談①ーディケンズとのこと

前述した通り、《両親の家のキリスト》では、言葉でメッタメタにミレイを切り捨てたかのようなディケンズ。

仲が悪かったのかと思いきや、ミレイは、ディケンズの亡くなった日の翌日に、彼の元へ行きスケッチを残しています。

これを見ると、実際の仲はどうだったんだろうと考えてしまいます。
交流があったのかもしれませんね。
この辺は調べ不足です。

何かしらの友情があったのなら、いつかミレイとディケンズの相性チャートを見てみたいものです。


◎余談②ー見出し画像のこと

見出し画像は、《嘘ではなかったの?》(1860)。

 アンソニー・トロロープの書いた「フラムリー牧師館」(『コーンヒル・マガジン』(1860年6月)に掲載)への挿絵です。

トロロープは、これまでミレイの絵を絶賛していたのですが、この絵はお気に召さなかったよう。
「こういう場面を書いたんじゃない!ミレイは何もわかっとらん!!」
みたいな。

でも、もう出版済みでどうしようもできず。

「気に食わんのに、街を歩けばこの絵みたいなドレスが売り出されているしーっ!!ぎー!!」

となっていたとか。

これも、150°、90°エピソードっぽいな〜、なんて思いました。


ではでは、以上、こぼれ話でした!


※ミレイの絵をまとめて見るならこの本がおすすめ ↓↓

《箱舟に帰り着いた鳩》の色もきれいに印刷されています。
とにかく作品がたっぷり載っていて、ミレイの描き込みっぷりを拡大して見せてくれているのがとてもイイです!


※画像は〈Artvee 〉〈Wikipedia Commons〉より拝借しています。