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こよしこよしの

白っぽい線の前のほうへとつづいてゆくのをみる。少し白さがかすれているところがある。ここは停めていいんだっけ。交差点は遠いけど、これは路側帯っていうのだっけ。車道なんだっけ。後ろはまだ来ていない。左合図を出してしばらくたっている気がする。ハンドルを左に回す。少し右に直す。ハザードをつける。パーキングに変える。少し左に歪んでいる。

音が聞こえるだけの暗さ。まぶたのうちに男の子が浮かぶ。男の子のへその部分から反転し内側だったところから絹の糸があふれ床にこぼれ溝へとするすると流れてゆく。どうしてここはこんなにもでこぼこしているんだっけ。地震の影響なんだっけ。土瀝青の上には泡ばかりが残っている。

オマール海老を手で食べる男を目の端に捉えながら、茉莉子はナイフとフォークで一個一個より分けながら食べられる部分を一個一個口に運ぶ。先に食べ終わってもしばらく待つだけなのにどうしてあんなにも急いで食べるのだろうとしばしば感じていたようなことを思い出す。名前の忘れたタルタルソースのような白い液体で男の手は汚れている。茉莉子は今度は小さくまとまったトウモロコシをこれまた小さく切って口に運びながら、男の小指までクリーム色がついているのを見る。「この後どうする?」茉莉子は男がオマール海老との最終決戦をしている間に左指を撫でて確認しながら聞く。男が顔を上げる。茉莉子は笑いながらテーブルナプキンを二枚取り差し出す。男の名前を気に入っていたことを思い出す。

ゆいとにはお気に入りのバス停がある。
ミスタードーナツのちょうど前にある柱に9番の番号が書かれているところだ。
再開発された方にあるあの意地汚いベンチとちがって寝そべることだってできるし(ゆいと自体は門限があり寝そべったことはないのだけれど)、なによりあまり人が乗らないところだからぼーっととしながらずっといてもあまり怒られない。
それでいて目のまえをちょうどたくさんっていうくらいの人が通っていく人気の道が目の前にある。いろんなのが流れてゆく。よくわからない何かでぱんぱんにふくらんだショルダーバッグをかけたおばさんの顔もやはりぱんぱんなのだとか、ここらへんの鳩は人が近づいても堂々としていることだとかをゆいとは知っている。最近は長くて白い部分が多い棒を持った人をみているのにハマっている。あの人たちのなかにはその白い棒を左右にぶらんぶらんしながら黄色く出っ張ったところにかつんかつんとあてて歩く人もいれば、左側だけにずっと沿わせて歩く人もいる。(もちろん右側だけも)それに周りのほかの人はその棒に当たらない器用に避けていくのを不思議に思う。ある日あの白い棒の人たちと同じように黄色いでこぼこに黄色い傘をかつんかつんとぶつけながら歩いてみたことがある。やはり周りの人はゆいとを避ける。あるところまではいけたけれど、黄色いでこぼこがあるところで途絶えていてそれ以上進めなかった。進めるんだけれど進むのはルール違反でルール違反はなんだかいやでゆいとにはできないことだった。あの白い棒の人たちはどうやっているのだろう。なんかずるのようなことができるのかもしれない。不思議なことは不思議なまま起こることをゆいとは知っている。今度は白い棒の人の後を追う心づもりをしながら座り慣れたベンチに座っている。

まぶたのうちにぼんやりと光を感じる。両目を閉じているのを確かめるのにいつもこうしてきたんだと思う。映画だったりを言葉にするのも。赤の点滅を赤の点滅と書くとあの赤の点滅にならないけれどある赤の点滅になることや、祈りがいつも溢れこぼれ落ちてしまうのと同じなのかもしれないと思う。人工衛星は流星になったり、流星だって休むことがあるのだから。

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