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【俵万智の一首一会⑧】ホスト万葉集から

「ごめんね」と泣かせて俺は何様だ誰の一位に俺はなるんだ  手塚マキ

 二年ほど前から、一風変わった歌会に参加している。会場は、開店準備中のホストクラブ。そこに出勤前のホストたちが、思い思いの姿で現れる。歌人の参加者は、小佐野彈(だん)、野口あや子、私の三人。短歌の題を出したり、講評をしたりする。ホストの詠んだ歌を無記名で掲示し、気に入った歌に参加者が投票。集計後に感想を言い合うというスタイルだ。


 ある日の歌会で、掲出の一首に出会い、心を鷲摑(わしづかみ)みにされた。「もし、この歌会から歌集が生まれる日が来たら、間違いなく代表作になると思う。私ならオビに使う」と興奮して述べたことを思い出す。


 「ごめんね」と泣きながら謝っている客。立場としては、ホストがもてなす側だが、客はお金を使ってホストを応援するという関係でもある。たとえばお金が続かなくなれば、こういう場面が生まれる。そしてそう言わせているのも泣かせているのも、実は自分の手管なのだという自覚があるのだろう。


 多くの客の愛と金を得た者が、ナンバーワンホストとなる世界。つまり、誰にとってもの一位を目指さねばならない。そこが恋愛と違うところだ。恋愛ならば誰か一人の一位になればいい。謝って泣く客を前にしたときの「誰の一位に俺はなるんだ」という自問の深さ。「何様だ」という後ろめたさ。この葛藤から目をそらさない誠実さ。矛盾するようだが、こういう痛みを感じられる人こそ、ナンバーワンになるのだとも思う。

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 作者の手塚マキさんは、歌舞伎町のナンバーワンホストを経て、今はホストクラブや飲食店、美容院などを経営する実業家だ。「ホスト歌会」の言い出しっぺでもある。若いホストの教育に力を入れている手塚さんは「お客様のちょっとした一言から気持ちを汲(く)み取る力、そして短い言葉で的確に伝えられる力」を養うものとして、短歌がうってつけだと考えた。

君の来ない夜にトイレで聞いているあいつの席のシャンパンコール

嘘(うそ)の夢嘘の関係嘘の酒こんな源氏名サヨナライツカ

 シャンパンコールとは、シャンパンをボトルで注文した客を、店中のホストが囲んで盛り上げるもの。「あいつ」に差をつけられた悔しさと、君に来てもらえない不甲斐(ふがい)なさ。トイレという、ちょっと我にかえるような場所の設定が秀逸だ。ホストクラブの華やかさから、少し距離を置く精神性が、手塚マキのモチーフとなっているように見える。


 夢を抱き、客との関係性をつくり、高価な酒を飲む。そのすべてに「嘘」をつけた時に、かえってリアルさの増すところがホストクラブなのだろう。店でだけ通用する源氏名も、そもそも嘘の名前である。結句のサヨナライツカは、辻仁成の小説のタイトルだ。読んだことのある人なら、登場人物の心情と重ね合わせることができる。読書家らしい手塚(書評集まで出している)の仕掛けである。


 このほど、約二年間の歌会の出詠歌からおよそ三百首を選んで『ホスト万葉集』が出版された。手塚マキはじめ七十五人の作品が収められている。コロナ禍のなか、微妙なタイミングになってしまったけれど、むしろ今だからこそ読んでほしいとも思う。


 「夜の街」に向けられる目は、厳しい。けれど、夜の街という名前の街はない。曖昧な言葉でひとくくりにするとき、抜け落ちてしまう何か。そこを掬(すく)うのが文学の役目でもあるだろう。

(西日本新聞2020年8月3日掲載/題字デザイン・挿画=北村直登)

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