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牧水と書と恋の歌

 若山牧水の恋の歌を私が一首選び、鑑賞エッセイを書く。それを読んで、榎倉香邨が書として表現する。そんな連載が、月刊競書誌「書香」で七月号から始まる。榎倉先生は、現代書道最高峰と言われる仮名書きの名手だ。「書香」は会員でなくても買える雑誌だが、ふだん書に馴染みのない人は、なかなか手にする機会はないだろう。

 そこでnoteである。せっかくなので、私のエッセイ部分だけでもnoteに転載できないだろうかと編集部に打診したところ、嬉しいことに書も合わせてオッケーが出た。これから毎月はじめにアップしていこうと思う。牧水短歌が、どんな書作品になって表れるのか、私自身もわくわくして待っている。


 まったく、小さな勇気から、思いがけないことになったものだ。今回は、連載が始まるまでのいきさつについて少し書いておこう。


 今年の一月に宮崎県立美術館で「若山牧水没後90年記念 榎倉香邨の書―ふるさと」という展覧会があった。牧水が大好きな私としては、はずせない。チラシを見ると、書家自身が作品を語る日があったので、その日に合わせて足を運んだ。


 作品解説の始まる前に一通り見て、心が震えた。私は書の素人ではあるけれど、牧水作品は読みこんでいる。書から、なんというか牧水の肉声(聞いたこともないのに)が聞こえてくるような不思議な感覚になった。


 榎倉先生は、約二十年前に伊藤一彦氏の講演を聞き、それがきっかけで牧水短歌を書くことがライフワークになったという。「この短歌には沈黙といいますか、静かに考える時間が挟みこまれているようです。だから連綿はつかわずに、パラパラと書きました」といった解説が、まことに興味深い。


 牧水が若き日の恋愛を歌い上げた根本海岸という場所があるのだが、その時の短歌を真っ赤な色紙に書いた「根本の春」という大作の前で、榎倉先生の口から意外な言葉が漏れた。「これからは、もっともっと牧水の恋を書きたいと思っております」。

 全国から集まってきた大勢のファンに囲まれていたので、その日はご挨拶もできずに帰宅した。が、「恋を書きたい」という言葉が繰り返し蘇る。ちょうど昨年、まさに『牧水の恋』という本を上梓したばかりだったので、これをお届けしたいとも思った。展覧会に関わっている宮崎日日新聞社の親しい女性記者に頼んで、なんとか先生との面会の時間を作ってもらった。


 「今なぜか根本に惹かれるんですよ。かつては、恋や死といった強い言葉の入ったものは避けていたのですが」。拙著を手渡すと、表紙を見た先生から「牧水にとって、恋とは何ですか?」と直球が飛んできた(緊張していて、なんとお答えしたか思い出せない)。


 この日のご縁から、連載の話になった。四月で九十六歳になられた先生の筆に、まったく衰えはなく、制作意欲に満ち溢れているとのこと。お弟子さんからのお手紙には「朝から夜まで一心不乱に書き続けておられます」とあった。

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