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【俵万智の一首一会 12】がんサバイバーたちの歌集

黒い雲と白い雲との境目にグレーではない光が見える 

 掲出歌が、そのまま歌集のタイトルになっている。収録されている短歌の作者は、26人のがんサバイバーだ。


 雨や嵐を呼ぶ黒い雲。晴れた空に浮かぶ白い雲。一般的には黒色と白色の境目は、グレーということになる。でも空を見上げれば、雲と雲とのあいだから光が見えることがある。その光景と人生の局面とが重ね合わされた。いいことと悪いことの間にあるのは、中ぐらいのことではない。光なのだと。その光を感じることがサバイブすることなのかもしれない。黒と白との間に、灰色ではなく光を見て生きていけたら、素敵なことだ。がんのことは抜きにしても、深く味わえる。普遍性が魅力の一首である。


 全体が三章から成っていて、第一章には二十六人それぞれの二十六首が無記名で並ぶ。右ページに短歌一首、左ページに西淑さんのイラスト。距離感を保った絵が、想像をアシストしてくれる。


通り魔のような「子どもはまだなの?」にどうして笑わなきゃいけないの 
 

 不意打ちの無遠慮な質問に心を刺された。通り魔の比喩が、当事者にしかわからない深刻さを伝えてくれる。「笑って聞き流せ」というようなアドバイスがあるのかもしれない。でも、そんなことできない。「笑わ/なきゃ」の句またがりが、強い気持ちを示して効果的だ。イラストは、くるくると皮を剥かれつつあるリンゴとナイフ。むき出しの果肉と刃物の取り合わせが、一首の余韻にかぶさってくる。


 第二章は、四つの連作から成り立っている。ここでも、作者名は記されていない。告知前後、治療にまつわること、手術、退院後……とテーマ別に短歌が並んでいるのだが、誰か一人が詠んだような不思議な統一感がある。この歌集の著者名は「26人のがんサバイバーあの風プロジェクト」。一首一首は、個人が確かに感じた思いを詠んだもの。それが柔らかに束ねられて、一陣の風となって読者の心を吹き抜けてゆく、そんな印象だ。

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もうなにも考えたくない午前2時死ぬのが怖くて死にたいなんて 


前向きにならなくもない執刀医に令和第一号と呼ばれて 


学生のはしゃいで歩く群れにまだ病気知らずのわたしが見える 


 一首目、告知されて「もう死にたい」と思い、はっとする。なぜそう思ったかといえば、死ぬのが嫌だし怖いから。考えたくないと言いながら、矛盾する心をしっかり見つめている。


 二首目、「なる」ではなく「ならなくもない」に複雑な思いを滲ませつつ、ユーモアが光る。 


 すれ違った学生たちの無邪気な様子に、告知される前の自分を重ねた三首目。がんは特別なことではなく、誰の身にも起こることなのだ。


 第三章で、はじめて作者名が記され、それぞれのサバイバーストーリーが綴られる。短歌を個人の物語から解き放ちたいという意志の感じられる構成だ。それがとても成功していると思う。


 この歌集はクラウドファンディングで資金を募って左右社から出版された。編集者のツイッターで知り、私もささやかながら参加させてもらった。随時メールで届く進捗状況を楽しみにしていたので、完成した時には、いっぱしの関係者気分。命を見つめる時間を、この歌集とともに過ごした。ぜひ多くの人に読んで欲しい。命の問題と無縁の人は、いないのだから。

(西日本新聞2021年4月5日掲載/題字デザイン・挿画=北村直登)


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