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はにかみと思いやりのずらし話法〜リ・ジョンヒョクの言葉 「愛の不時着」ノート⑥

 「愛の不時着」全編を通して、ある意味もっとも共感したというか感情移入できたセリフは、第四話の村のお姉さま(と言っておこう。私より年下だと思うけど)の言葉だ。ユン・セリと市場ではぐれてしまったことを、リ・ジョンヒョクに告げるシーン。顔色を変えて走り出す彼の背中を見ながら、彼女たちは話す。
 「今彼は、サムスクを探すために走り出したのよね」
「他の女を心配する人を見て、どうして私がこんなにドキドキするわけ?」
 「やだ、心臓、おとなしくしろ!」
 わかる。わかりすぎる。結局、リ・ジョンヒョクしにときめいている自分も、この立ち位置なのだ。

 中隊長が村に帰ってくる日におめかししたり、過剰にごちそうを準備したりする彼女たちは、コミカルに描かれる。が、ここでも私には、大いなる共感しかない。好きなアーティストのライブに行くとき、めちゃくちゃオシャレするよね。向こうからは見えるはずなどないのに。それに比べたら、中隊長は半径数メートル以内に現れるわけで、ファンミーティング(行ったことないけど)なみのトキメキだろう。

 さて、迷子になったユン・セリを探すため、リ・ジョンヒョクは市場でアロマキャンドルを買い求め、それを掲げる。第二話で、「お風呂に入るときも寝るときも必要」と言って、ユン・セリがアロマキャンドルを欲しがったことが伏線になっている。そんなものがあるとも知らずに、彼は普通のろうそくを買ってきて、彼女を悲しませてしまった。

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 異国の雑踏のなか、不安でたまらない時に見えてきた一条の光は、ユン・セリにとって、ほんとうに救いだっただろう。北での彼という存在を象徴しているようにも見える。さらにグッとくるのは、出会えたときのリ・ジョンヒョクの言葉である。


「今度は香りのするろうそくだ。合ってる?」

 この場面、彼がかける言葉は、これのみである。リ・ジョンヒョクとて、心配でたまらなかったし、見つけられてホッとしたはず。でも「心配した」とか「大丈夫?」とか「これからは気をつけて」とか、ありきたりな言葉がけは、すべて彼女を遠回しに責めることになってしまう。さらに自分が、めっちゃ心配していたことも、少し照れくさい。そこで、かつての自分のミスを持ち出して、挽回するテイにする。かすかなユーモアさえ漂わせて。

 緊張をほぐしてくれるこの上質なユーモアは、論点のずらしから生まれる。人を探す場合「ろうそくに香りがあるかないか」は実は全然問題ではない。それを、さも一番大事なことであるかのように、尋ねるのだ。問われたほうも答えやすい。「合ってるわ」。

 気持ちに負担をかけず、「ごめんなさい」と謝る隙さえ与えない。なんという心憎さだろう。名づけて「はにかみと思いやりのずらし話法」。なんだか忍法みたいだが、実はリ・ジョンヒョクは、ここぞと言う時に、この魅力的な話法を使う。そして私たちは心を鷲摑みされるのだ。

 たとえば第九話、軍事境界線まで送ってもらい、いよいよ南へ帰れるという場面で、ユン・セリが「私のこと忘れないでね」と言う。その時の返事が(誰もが覚えているセリフだろう)「空から落ちてきた女を忘れられるか」というもの。
 論点をずらすことで、見事に、はにかみと思いやりとユーモアが表現されている。

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 ほんとうは「空から落ちてきたから」忘れられないわけではない。でも、それが理由であるかのように言う。まあ、空から人が落ちてきたら忘れられないわなあと思ってクスっとするし、ストレートに「決して忘れない」というのも照れくさい。そして何より「愛しているから忘れられない」と言ったのでは、彼女の負担になってしまうだろう。でもこの話法なら「忘れようと思っても忘れられない」という気持ちは、しっかり伝えることができる。

 彼のユーモアにつられて、ユン・セリも思わず「落ちたんじゃない。降臨」と、自分を女神のように言ってみせる。かすかな笑顔が救いとなる場面だ。


 あるいは第十一話で、突然韓国の街中に現れたとき。驚きのあまり茫然とするユン・セリに向かって、彼はこう言った。

 「ずいぶん探した。ソウル市江南区清潭までしか教えてくれなかったから」

 いやいやいや、番地とマンション名と部屋番号まで教えたとしても、絶対無理でしょう! これは、自分の乗り越えて来た苦労を、ものすごく小さく見せることで、相手に気持ちの負担をかけさせまいという思いやりだ。そしてユン・セリのために、こんなことまでしでかした自分への照れ隠しでもある。それはやはり「途中までしか住所を教えてくれなかったから(探すのに苦労した)」という論点ずらしによって、みごとに成立している。


 もう一つ例をあげると、江南区で再会した日、ユン・セリのマンションに次兄夫婦が乗り込んできたシーン。高圧的な態度で彼女を脅す二人に、ユン・セリは「窮地に置き去りにした人、窮地に追い込んだ人は絶対忘れない」と凄んでみせる。

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 次兄夫婦が帰った後、リ・ジョンヒョクは彼女を優しく抱きしめる。そして、忘れてはならないのは、憎い人じゃなくて好きな人だと諭す。

「人を憎むと、自分の気持ちが荒んで損をする。損をするのは、人一倍イヤだろう?」

 本来なら心の話なのだが、素直になりきれない彼女に助け船を出すため、さりげなく損得勘定に論点をずらす。実業家であるユン・セリは、負担に感じることなく「そうね、損はしたくない」と頷くことができる。感情を銭カネに置き換えるユーモアが、緊張を緩和してくれる効果もある。
 また、ここで言う「好きな人」は、暗に自分のことを指しているわけで、その意味では、まあまあ照れくさい。
 そんなさまざまな感情に、うまく落とし前をつけてくれるのが、「はにかみと思いやりのずらし話法」なのである。

 ここまでくれば、最終話での再会のシーンを思い出す人も多いだろう。北からスイスまで、どうやって来たのか。どれほど危険で大変だったかを気づかって問うユン・セリに、彼はこう答える。

「列車に乗り間違えて…」。

 かつてユン・セリが教えてくれたインドの諺。それを踏まえているところが、二人の歴史を感じさせて、心憎い。これもまた同じ話法である。

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 私は言葉の国の人なので、ついついセリフを分析してしまいがち。ただし当然のことながら、ドラマのセリフは文字ではなく生きた人間の言葉として発せられる。理屈を並べてきたけれど、ただ字幕を読んだだけでは、ここに書いたような感情やニュアンスを受け取ることはできない。俳優の豊かな表現があってこそ、セリフの素晴らしさに気づくことができる。

 話法などと書くと、言葉の技術、手練手管のように聞こえるかもしれないが、決してそうではない。リ・ジョンヒョクという人には、相手への限りない思いやりと、自分への謙虚なはにかみがある。そんな彼が、心からの言葉を探したとき、しばしばこういう言い方にたどり着くのだ。私が書いたのは、その観察結果に過ぎない。

 考えてみれば、「はにかみ」は自分を引く感情で、「思いやり」は相手に足す感情で、そこにユーモアを加えるって、かなりアクロバティック。一歩間違えば(ただ上っ面の言葉を並べただけでは)ただの空気を読めないバカに見える可能性さえある。

 しかし、難しいハードルを越えるどころか、どの場面でも、言外からは溢れんばかりの愛が伝わってくる。ユン・セリを見つめる眼差しの、なんと雄弁なことか。みなさん、思い出してみてください。これらの言葉を口にした時の、リ・ジョンヒョクの表情を。(せーので、心のスクリーンに映し出してみましょう)

「今度は香りのするろうそくだ。合ってる?」

「空から落ちてきた女を忘れられるか」

「ずいぶん探した。ソウル市江南区清潭までしか教えてくれなかったから」

「損をするのは、人一倍イヤだろう?」

「列車に乗り間違えて…」。

 シンプルな言葉に、これ以上ないほどの愛をのせて届けてくれる俳優ヒョンビン。素晴らしいとしか言いようがない。

【表題写真】「愛の不時着」エピソード4より
【文中写真】「愛の不時着」エピソード4、9、11、16より https://www.netflix.com/title/81159258?



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