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こんなときどうする?「就学義務不履行の通知(出席督促状)」が届いたら。

 2021年7月1日に公開されていた記事です。のちのち、リンクが見れなくなる対策として有料エリア内に記事内容を記録しておきます。私の周辺ではこの記事について特に話題にあがっていなかったので即座に必要性は感じなかったのですが、後日、敏感に反応されるご家庭もあろうかと思う一件がありまして、このnoteでお伝えしてみることにしました。

【要点】
●民間の教育機関(オルタナティブスクールやインターナショナルスクール)に子どもを通わせる保護者に対し、就学させる義務の不履行だとして、学区の公立小学校に通わせるよう督促する文書を市教委の指示を受けて、区が送った。


 いわゆる出席督促状の送付のことですが、出席督促状が届くまでの手続きは以下のようになっています。

「児童・生徒が7日以上出席せず、その他出席状況が良好でない場合で出席させないことに正当な事由がないと認められるとき」(校長裁量)
①校長⇒報告を受けた市町村教育委員会⇒保護者に督促
もしくは
②市町村教育委員会が「保護者が就学履行を怠っていると認める」とき
教育委員会⇒保護者に督促

保護者・市教委・文科省、三者の見解は正しいのか

⑴在籍する学区の公立校とは有効な関係
 この記事のケースでは出席督促状が届くまでの手続き②のパターンだと考えられます。ですから、下記にあるように在籍する学校と良好な関係だとしても、一条校に登校しない事実があることには変わりありません。ご存じの通り、役所は形式主義、手続き主義でなりたっていますので、「事実」があれば、形式に則り、業務を全うすることは公務員の適切な行いといえます。

◎オルタナティブスクール(民間の教育機関)に子が通っている家庭の見解

⑴在籍する学区の公立校とは有効な関係
⑵学習状況を定期的に報告する取り決めに従っている
⑶教育機会確保法(2016年成立)により、「民間団体での学びも「普通教育に相当する教育」と認めており、オルタナティブスクールという選択も認められるはずと考えた(文章そのまま)

 家庭から見れば、「学校とは良好なのになぜ?」とおもうのは当然だと思います。しかし校長裁量はあくまで校長裁量であり、規定がそれにより変更されることは無いのです。単に校長裁量で、本来の規定は変えられないものの柔軟に個別に対応することが可能であるというものです(※)。 

 ゆえに校長先生個人の価値観によって対応が大きく左右されることはありますし、人間関係が良好であるか、話し合いができているかの現状把握も判断材料になります。

 手続きの規定に則り、事実に応じたまでの結果だということを淡々と受け止めることは非常に重要な態度のひとつです。感情的にならず、冷静にそれぞれの立場で、なにが起こったのかを知ることに努めることが大切です。

 それより気になるのは、次の点です。

 ⑵学習状況を定期的に報告する取り決めに従っている

 
これは必ずしも必須の条件内容ではありません。のちに取り上げますが、出席扱いになることと条件の内容はさまざまで、必ずしも一律に決められていることではありません。

 学習状況を定期的に報告するのは、なぜなのか。
 その理由、動機を考えないといけません。

 《学校から、この条件に従うのであれば、学校外の民間スクールに通ってもよいと許可承認するため》であるとすれば、これは間違っています。
 学校側に、民間スクールに通うことを家庭に許可承認する法的な根拠はありませんし、家庭の教育方針に学校が介入する権限もありません。
 逆に、家庭からこの提案を提示することで、学校から承認・許可をしてほしいと申し出ることも筋が通っていませんし、その必要もありません。

 《在籍する児童生徒の状況確認の手段として、学習状況を定期的に報告すると合意形成したため》であるならば、こどもにとってもよいことです。しかし、これがこどもに勉強するプレッシャーを与えることになったりするのであれば、こどもの意思を置き去りにした勝手な決定ということになります。

 なんのためにそれをするのか?は、このあとに続く家庭のためにも「個別のケース」として理解される必要があります。なぜなら、「前の家庭でもそのようにしたので」と前例にしてはいけないからです。前例に倣うのであれば承認するといった限定された条件を、教育を選ぶ主体である家庭みずから設置してはいけません。


 次に、教育機会確保法の解釈についてです。

⑶教育機会確保法(2016年成立)により、「民間団体での学びも「普通教育に相当する教育」と認めており、オルタナティブスクールという選択も認められるはず

 これは間違っています。
 市教育委員会の解釈(太字)が、正しいものです。

◎市教委の見解
⑴市教育委員会が各区に一律に指示している。
教育機会確保法が適用されるのは「学校に通う意思がある何らかの理由で通えなくなった不登校の児童生徒」。不登校になった子どもが通うフリースクールは認める一方、入学時から在籍校に通わずに選択するオルタナティブスクールなどは認めていない。

 もう少し細かいことを言うと、「不登校になった子どもが通うフリースクール」も定義はありませんから、現状では、学校が「不登校になった子どもが通うフリースクールと認識されている」民間の教育施設ということになります。そのため、学校はどのフリースクールならば「不登校になった子どもが通うフリースクール」だと認めればよいのかの判断に迷っています。実際、同じフリースクールでも「学校以外の居場所を求める」生徒・保護者もいれば、「学校復帰までの居場所を求める」場合もあるし、「オルタナティブ教育を受ける」場合もあるからです。
 そこで確保法の条文にある通りの「民間による教育施設」等は、わかりやすいところでは「教育支援センター(適応指導教室)」や行政から民間に委託された不登校支援を主な目的とした子どもの居場所等に限られます。

 そして「入学時から在籍校に通わずに選択するオルタナティブスクールなどは、確保法に適用されるような、学校に通う意思がある何らかの理由で通えなくなった不登校の児童生徒が通うスクールとは、認めていない」というのもその通りです。
 オルタナティブ教育と学校教育の判別がついている場合はそうなります。オルタナティブスクールは体系的な教育方針に基づいて運営されており、諸外国では公教育のひとつとされていますが、日本では一条校と同等には位置づけされていません。
 少なからず、不登校の受け皿としてのフリースクールと、独自の学習体系を持つオルタナティブスクール(フリースクール含む)を理解しているのであれば、そのような解釈に至るはずでしょう。

 次の文科相担当者の見解も、間違ったところはありません。

◎文部科学省初等中等教育局の担当者の見解
フリースクールとオルタナティブスクールなどに法制度上の区別はない
⑵在籍校に通わない正当な事由があれば、入学時から民間の教育機関に通っても就学の義務は果たされる。正当な事由かどうかは在籍校の校長が判断すること
⑶自治体は紋切り型ではなく、個別のケースに丁寧に対応してほしい

 法制度上の区別はない。その通りです。
 ⑵については、前述(※)の通りです。

 市教委の見解⑴に戻りますが、市教育委員会が各区に一律に指示しているのは、前述したように、事実に基づき、規定に則り、手続きを行使する必要があるからです。

 ⑶のように「自治体は紋切り型ではなく、個別のケースに丁寧に対応してほしい」と切り捨てるのは、はなはだ無責任に感じます。上の組織の監督に不備なく応えようとする行為に甘えています。
 上というものは、下の意見を尊重し、自律的に行動するよう促しているつもりかもしれませんが、実際には、ヘマをすれば「なぜ指示通りにやらなかったんだ」とその自律による自立的な行動の結果を責めることが多いというのが現状なのではないでしょうか。指示に従ったところで想定外のトラブルが起きれば、「指示に従った」点はいさめられずに済みます。それでも【指示】が現存して有効な状態になっていることは問題に取り上げず、「紋切型でなく」「柔軟に対応しろ」とは、随分な話ではないかと思ってしまいます。
 確かに、文科省の広い知見の元で、対応の手段や方法はいくらでも多様性に富んだそれが思い浮かべられ、容易に実行するイメージも持てるのでしょう。ですが、実際にはそのイメージ通りに実行するちからが「下の組織」というだけで立場的に抑制されます。自律性が奪われるのです。そのため「イメージ通りにできるように、事細かい手順」が上から事細かく指示されるという悪循環を作り出しています。思い切って自治体の自治に任せることもせず、首輪の紐を、試しにこれくらいはどうかな、と延ばしてみるようなことはもうやめていただいたらよろしいのではないでしょうか。
 「未然に防ぐ、予防する」発想からの転換こそが、時代に求められているかもしれません。
 

 記載の内容を、因数分解する

☑豊田市では、こうした子どもの状況について在籍校が定期的に確認。
☑月に一度の学習状況の報告などの条件を満たしていれば、
☑通知表上も出席扱いになる。
☑教科書も問題なくもらえ、
☑卒業も認められる。
☑校長が認めれば通学定期券の申請も可能だ。
市教委の担当者は「在籍校の校長には『通っていない子も大事な児童生徒である』という認識を持ってもらっている」と力を込める。

 記事内の一文を、内容別に区切ってみました。それぞれ別々に考えたほうがよいのです。

 例えば、「~の条件を満たしていれば、通知表情も出席扱いになる」が一文(ワンセンテンス)ですが、「~の条件を満たす」ことは「出席扱いになる」ことの必要条件ではありません。条件が異なっていても出席扱いになることは可能です。必ずしも条件をつける必要もありません。この点が、校長裁量であり、各学校長によって異なる対応内容です。

 また「教科書も問題なくもらえ、卒業も認められる」も一文になっていますが、これは両方とも実現可能で、一方だけが可能になるというように切り離したりはできません。一条校の在籍児童生徒であれば、公平に与えられることは、公教育の平等性に関わります。

☑校長が認めれば通学定期券の申請も可能だ。
 これは、不登校の児童生徒が通うフリースクールが、学校復帰を目的として通っていることが基本の規定となっており、定期券を発行する交通会社あてに学校長からそれを認める文書の提出が必要となっているとのことです。これも認めるか、認めないかは、学校長裁量です。

参照:登校拒否児童生徒が学校外の公的機関等に通所する場合の通学定期乗車券制度の適用について 平成5年(文科省ホームページより)


子どもの多様な実情

 記事の終わりにありますが、これが確かな事実です。
 「しゃくし定規に判断しないですむよう、運用や既定の見直し」。

 人々の見本になろうとするのであれば、文科省みずから率先して見直していただきたいことです。なぜなら、文科省の通知や周知、そして報告義務等々により、自治と自律を奪われ、縛られていると感じているが現場の実態なのですから。それは古い慣習かもしれませんし、現代の事情にそぐわないのに現存している固定観念の亡霊なのかもしれないのですから。

教育社会学教授の見解
・子どもの多様な実情を考慮しておらず、教育行政として配慮を欠く行為と言わざるを得ない。


政策の方向性への示唆

 続いて、記事は下記のようにつなげていますが、これについても注意して読み取っていきたいものです。

⑴貧困などに起因するネグレクト(養育放棄)の問題もある
⑵長期欠席の児童の状況確認を学校に任せるだけでは危険
⑶教育行政が積極的に関与し、福祉現場との連携も必要

 いずれも、単体では疑念の余地のない社会問題であり、課題です。しかし、こうして流れるように文字として目に移った時、どのようなイメージが印象づけられるでしょうか。想像してみてください。


 それは不登校に係る課題と、直接的に因果関係があると認められるものですか。

 それは一面的なもの、一部を切り取ったものではありませんか。

 それは結論ありきの問題提起になっていませんか。



 情報過多の現代です。
 ひとりひとりが時間を惜しまず、丁寧に物事をみつめ、幾度も捉えなおし、考え、自分の考えを持ち、さらにその考えの動機となっている自分の価値観を問い直し、未来を作る担い手になっているのだと、今一度、自分に言い聞かせておきたいです。


教育機会確保法の解釈について

 諸刃の剣と称されたこの確保法ですが、成立以降、肯定的かつ楽天的な解釈をする見解広める動きと、慎重に問題となりそうな点を注意喚起する動きとがあり、両者はあまり重なるところがありませんでした。
 しかし、実際に懸念した問題は起きており、今一度、多面的かつ多角的な事実として、とらえなおす機会は必要ではないか、と思います。それは反対派、推進派などという対立ではなく、すでに、すべての家庭に、保護者に、こどもたちに波紋を広げる影響となっているからです。

 「出席督促状が送付される」事態は、確保法以前までの数十年の間でもかなり稀なことでした。確保法以前とあえて言うのは、教育機会確保法が成立したことで、「不登校と就学義務の不履行との境界線」をつける必要が生じてきているからです。それまで線引きできるものではありませんでしたから、特に個別の丁寧な対応と、良い意味での曖昧さのうちに事が済まされていました。法律ができたという大きな事実によって、法律を適正に順守するために、この曖昧性が許されない実情も生んでいる可能性は高まりました。
 教育機会確保法は、成立から3年以内に見直しすることが予定されていましたが、この情勢において引き延ばされています。ここ最近、再び、その見直しに向けて動きがあるようには見えています。

 

 教育は、就学年齢の子を持つ家庭だけのテーマではありません。

 教育は、すべての市民が育ち、社会が成熟するために必要不可欠な要素であり、受ける側の市民が学習者であり、主体となって、その質を問い、学び続けるものです。どうか、地域で参加できるような「知り・考え・問い続ける」機会がそこかしこに生まれますように。


たいした問題じゃありません

 もしも正当な手続きを経て、礼儀も通したものであれば、仮に脈絡なくある日突然、出席督促状が届いても、それはたいした問題ではありません。

 まずは、督促状を送付する担当課のある教育委員会に出向いてください。何の問題もないと、ご自身が知っているのなら、疑念を浮かべることなく、学校等の良好な関係の実際を丁寧にお伝えして、安心していただいてください。まずはそこからです。むしろ、「すわ大問題だ!」と慌てることで、事態を混乱させることになりかねません。
 子はもちろんのこと家庭の安心を護るための行動と、いまだ整合性のない規律が存在することへの是正を求める行動は別の課題です。後者は一家庭が背負うものではありません。

 自信を持って、堂々としていてください。

 それを知っているのは、自由な学びの環境を選んでよいと分かっているからです。

 kokageでは常に伝えてきました。

 法律をいきなり掲げていくのはあまりに無謀です。なにか困った事態になって支援者が介入したとき、信頼のおける助言として支援者から口に出される「法律の話」は信用を増すものですが、いきなり家庭が学校の先生方に対してそれをすれば信頼関係を築く一歩を初めから潰しているようなものです。
 権利について知ることは確かに大切なことです。それは、自分たちの行いに間違いがないと確信するための支えとして有効です。ですが、一方的な要望を通すための盾とするべきではありません。

 これから、家庭も学校も地域も、みんなでこどもたちを見守り、育てていく大人たちであるということを忘れないでください。そして、そのためにちょっと都合の悪い旧い規定などが存在していて、行政がその手続きを踏む手間がかかっているというのなら、共に考え、よりよい策に変えていけるように手をとりあっていく心持でいてほしいのです。
 誰も切り捨てず、困ったときに助け合えるように。

 その姿を、こどもたちも見ています。必ず。
 こどもたちから安心を奪わないために、おとなたちが協力しあう姿をみせていきたいものです。


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