少しずつ見えてくる

夫婦で建てた家で暮らす最後の夜に
(ちょこちょこ戻ってくるから別に最後ってわけじゃないんだけど)noteを書いております。

最近、人生において色々考えても仕方ないかもなーって思うようになりました

私の人生、流れに乗ってゆーらゆら

いまだって、たまたま別居婚になる波が来ただけという感覚。来たから乗る、それだけ。

このまま漂って流されて、たどり着いたところが人生の使命なんだなろうなと思う気がしている訳ですが(日本語おかしい気がするけどまあいいや)最近思ったことを書こうかなと。

おととし流されるまま
コーチングというものに出会ってコーチになって、それが結構天職だなって思った所まではここにも書いてたと思うけど、

また流されるようにたどり着いて
最近までバイトしていた所は
10代を支援する団体で、中高生と絡む仕事。

勉強も教えられない
まともな経歴もない

……え、何すんの私?(事務だよ)

って感じだったけど、とにかく自然体でいることを心がけていたら、何故か分かんないけど私に逢いに来てくれる子どもが出てくるようになりました(拍手)

「みんなと一緒」
「おなじように」
「将来安泰」

この感覚が大嫌い。
それなのに普通に出来ないことへの自分へのイライラみたいなものも持ち合わせていて、ストレスの塊だった10代の私は(今もこの感覚あるけど)

そう思ってる子達の匂いを嗅ぎ分けることが出来るっぽくて、しかもその感覚を共有することも出来たようで、

「先生達や職員が対応に困る生徒」が懐いてくれる。そんな半年間でした。

君の気持ちが分かるよ、なんて事も安易に言えないので、とにかく傾聴 傾聴 傾聴の嵐。
でもそんな機会すら無いのかもしれないと気づいた教育現場の忙しさ

たくさん傾聴した上で、同意できない大人の話しは(先生とか)
そりゃ同意出来ないねー、だって意味わかんないじゃん!無視でよし!とぶった切っていく私。

じゃあそれを無視して生きていくには、そのリスクや、嫌でも通らねばならぬ道もあると説明する私。

それを踏まえて、誰のどの意見を取り入れても良い。先生や親や友達が、常識がそう言うからと言って、そうする必要はない!
あくまでも決めるのはあなただと伝える私。

彼ら彼女らの目にはさぞ新鮮にうつったことでしょう(超うぬぼれ)

でもさ、大切な時期に関わる大人の
思考の偏り方すごくない?って思ったんだもん。てか10代の時からそれは思ってた。

まあそりゃそうだよね。先生目指す人達は、生徒のチャレンジングな道に理解を示すことはそもそも難しいよね。だって先生になろうとするくらいだよ!?安泰目指してる大人ばっかに決まってんじゃん!って冷静に思うんですよ。

これは悪口とかではなく、ただ統計の話だと思うんだけどね。

ああ、私がやるべきことって
めちゃくちゃありそうじゃん。って思いました

こうなると、全っっっく視野になかった「教育」が気になってくる。
コーチングで子どもにアプローチしたいという気持ちになってきましたと言う報告です←

最近小学生のコーチングも仕事としてはじまってるのもあって、個人として手応えは感じてるから、時間がかかっても使命であればきっと流されて、いい感じにたどり着く気がしています。

そして改めて
エンタメにコーチングを持って行きたい気持ちも爆上がりしています。

エンタメを仕事にするのはまだまだ非常識な夢と思われがちで(学校では特に)
それはきっと、まだ「食えなさそう」というイメージがあるからだし、実際そうだからだと思うんだけど、ここをコーチングでサポートして、やりたい事をやりながら生きていく人生を選ぶ大人が増えたら、自ずと子どもの選択肢も広くなると思うんですよね。はい。

色々あっていい。結果楽しんで食えればいい。
仕事は1本じゃなくていい。

こういう世界になれたら、
もっともっと自由なのに。

せっかく産まれたんだから。
こっちは頼んでないけど産まれてしまったんだからさ!!!
謳歌したいじゃないですか!!!

なんか分かんないけど!やるぞー!!!



おーすーしー!おすしーおすしーおすしー🍣!!