見出し画像

俺の音楽変歴 〜怒涛の留学編①〜

【前回までのあらすじ】
小中でピアノ、バイオリン、高校でギターを習うもどれも物にならなかった俺。諦めたシンガーソングライターの夢、成就しない恋、高校生活は終わりを告げた。大学でオケに入りバイオリンを再開、トランペットと三線にも手を出し、中国への留学が決まった。

留学先は中国山東省の省都である済南(ジーナン)という町の山東師範大学という教育大だった。

留学前、国内でできることは全てやってからでないと留学に行く資格などない、と自分を追い込みすぎ自律神経が失調をきたし、呼吸がしにくく胸のあたりがいつも痛んだ。

原文で小説を読むほど中国語の読解レベルは高かったが留学が中国初上陸で、内心恐怖と不安に怯えていた。

いざ渡航。トランジットで一泊する北京のホテルでホテルマンの言葉が何ひとつ聞き取れず不安状態が極限まで高まり、ホテルの部屋でひとりパニック発作を起こした。呼吸が難しくこめかみが破裂するほどドクドクと脈打った。このまま死ぬと思った。明日もこの状態が続くようならそのまま帰国しようと決めた。

あくる朝、全身が極度にだるいものの呼吸は通常に戻りこめかみも平然としていたので、覚悟を決めて済南に向かった。

パニック発作の後遺症か、到着から2ヶ月以上は体調がすぐれずなかなか起き上がれず寮の韓国人達に世話になりっぱなしだった。見様見真似で生の青唐辛子にコチュジャンをつけて食べたら辛すぎてこめかみが破裂しそうになった。

次第に体調は回復し、留学生向けの授業にもしっかり出席できるようになった。

二胡がやりたい。

きっかけは覚えていないが、ずっと二胡が弾いてみたかった。音楽科がある大学を留学先に選んだのも実はそんな目論見があってのことだった。

ちなみに二胡(アルフー)は中国の民族楽器で座った状態で太ももの上に楽器を立てて弓で弾く。弦は2本。2本の弦の間に弓(バイオリンと同じく馬の尻尾の毛)を挟んで、弓の表と裏で移弦をする、というバイオリニストからすると信じがたい奏法の楽器だ。

さっそく音楽科の高(ガオ)老師のもとを訪ね、二胡を教えてもらえないかと掛け合った。高老師はいつも深刻そうな顔をした五十がらみの男性で髪が全体的に薄くのっぺりとして、指がやけに細くて長かった。高老師は今までにも留学生に教えたことがあるそうで二つ返事でOKしてくれた。あっさりと二胡修行が始まった。

地震が来れば全壊しそうな薄暗い教員向けの寮の一室で週一回のレッスンは行われた。1200元(当時約18000円)ほど出して黒檀(烏木)の楽器を手に入れた。音楽科は他の民族楽器の専攻もあり、教員向けの寮内では様々な楽器の音がいつも鳴り響いていた。

3回目くらいのレッスンで高老師はいつもの深刻そうな表情を浮かべ私の胸のあたりを指差して言った。

「君はいま気がこの辺まで上がってしまっている。それが音に出ている。気を臍の下辺りまで沈めるんだ。」

楽器を始めて間もない私へのアドバイスは、持ち方でも音程でも音色でもリズムでもなく、「気」であった。実際に気を意識した途端、音は落ち着いた。中国で中国の楽器を習うということの意味がようやく分かり始めた。

高老師のレッスンは半分が雑談で、残りの時間は指導と実演が半々だった。次に練習する予定の曲を高老師はレッスンの最後に全力で一曲丸々弾いてくれた。舞台上の本番と見紛う気魄とテンションに毎回圧倒され、曲と音色の美しさに酔いしれた。

「ティエンチージエン!」

俺の苗字は田で始まる2文字で名前は1文字の合計3文字で中国人にとっては一息で呼びやすく、中国には田という苗字の人がいることもあり、ことあるごとに高老師は俺の名をフルネームで呼んだ。中国人は道でばったり会ってもニーハオとは言わず相手の名前を呼ぶ。名前を呼んだきり何も話さずそのまますれ違うことも多い。挨拶だと考えれば納得できるがなかなか慣れなかった。

俺は勉強そっちのけで二胡ばかり弾いていた。留学生寮に響き渡る二胡の音色の有無はそのまま俺の在不在を物語っていた。さすがに見かねた先生がある教室を俺の二胡練習用にあてがってくれた。おかげで気兼ねなく心行くまで毎日弾き倒した。

バイオリンの経験が活きたのか、はたまた俺の必死の稽古が奏功したのか、俺は見る見るうちに上達し高老師はいつも深刻そうな表情で俺を褒めちぎった。しきりに級の検定試験(一〜十級まで、十級が最高)を受けるようすすめられたが、検定に興味はなかった。

体調が回復し毎晩お気に入りのローカルラジオ番組をテープに録音しては聞き取れるまで繰り返し聞いた。おかげでかつての「音」がようやく「言語」に変わりつつあった。大学で発音は厳しく教え込まれていたので、俺の話す言葉は問題なく通じた。

「テレビ出演の話が来ているんだけど…」

主任の鄒(ゾウ)老師から呼び出されこう告げられた。実はその前にも済南電視台というローカル局のお見合い番組に出演しており、その番組内でもアピールタイム的な枠で二胡を弾かされていた。(ちなみに事前打ち合わせ通りカップルは無事成立した)

またローカル番組で逆パンダ的な扱いを受けるのかと思いながら話半分で聞いていた。

「北京電視台の番組なんだけど…」

それは億単位の視聴者が見る全国ネットの正月番組への出演依頼だった。


怒涛の留学編②につづく】

いつもご覧いただきありがとうございます。私の好きなバスキング(路上演奏)のように、投げ銭感覚でサポートしていただけたらとても励みになります。