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俺の音楽変歴 〜怒涛の留学編②

【前回までのあらすじ】
小中でピアノ、バイオリン、高校でギターを習うもどれも物にならなかった俺。諦めたシンガーソングライターの夢、成就しない恋、高校生活は終わりを告げた。大学でオケに入りバイオリンを再開、トランペットと三線にも手を出し、留学先の中国で二胡を始めると全国ネットのテレビ出演の依頼が…

なんの因果か、俺は中国の全国ネットの正月番組に出演することになった。

番組名は「春节外国人中华才艺大赛」、つまり「外国人」と「中国モノ」という条件付きの「かくし芸大会」であった。中華思想を強化するための若干悪趣味な番組に思えたが得難い機会なので二つ返事で飛びついた。

撮影地は広東省の珠海(ジューハイ)という町で、俺の住む済南から飛行機で3時間かかる。

俺以外に済南から選抜されたのは、まず同じ大学に留学中のリー兄(韓国人)、彼は私が体調が悪いときもいつも気にかけてくれた面倒見のいい男で、昭和のアイドルのようなキリリとした顔立ちでバンダナをしてローラースケートで歌えばほぼ光GENJIだった。そして歌が恐ろしく上手かった。番組では流行歌を歌うらしい。

そしてお隣の山東大学に留学中のチャンダナ(スリランカ人美男子)とアリエナ(ロシア人美女)、二人はなんと中国語で小品(コント)を披露するという。二人とも整った顔立ちで中国語も堪能、俺は気後れしっぱなしだった。

日本、韓国、スリランカ、ロシア、4国から集まった若者たちの共通語は当然中国語だった。何も違和感なく冗談を言い合っていたが、少し引いて見たらパックスアメリカーナ以後の世界を予感させる光景かもしれない。

珠海に到着しホテルに向かうと全国から猛者たちが集まっていた。彼らの披露するかくし芸も多彩で、書道、舞踊、漫才などほぼすべての分野を網羅していた。古箏(グージョン)という中国のお琴を演奏するマレーシア華僑のロケピンとは中国楽器を演奏する同志として仲良くなり話が弾んだ。ロケピンは大きな目をくしゃくしゃにして笑う姿がかわいかった。

当の俺が披露するのは、中国の国民的大歌手である胡松華(フー・ソンホア)の「賛歌」という曲で、二胡を立奏するもののメインは歌だった。「賛歌」は曲はモンゴルの民謡をベースにしているが、歌詞は共産党賛美である。(かつての歌詞は露骨に「毛首席」という言葉が入ってたが新しい歌詞は少しソフトになっていた。それでも「天安門」は入っていた。)


日本人留学生が共産党賛美の「賛歌」を朗々と歌い上げる。

一周回って喜劇的だと感じた。ふはは、おもろいやんけ。

ステージリハーサルの前になぜか俺だけが番組スタッフに呼び出された。

国民的歌手 胡松華氏の御宅が撮影会場から近いらしい。御宅に伺って直々にレッスンを付けてもらう様子をドキュメンタリー風に撮影するらしい。

俺は慄然とした。

正直「賛歌」をセレクトしたのは、曲がかっこよくて難易度が高いから選抜されやすいだろうというなんともあざとい思惑からで、胡松華氏へのリスペクトなど微塵もなかったのである。

だが決まったものは仕方がない。

俺は御大の大邸宅に招き入れられ、カメラの回る中、発声法や歌唱法についてレッスンを受けた。大物オーラがハンパなくてその場で血反吐を吐いて昏倒しそうだったがなんとか持ちこたえた。彼は柔和で鷹揚な紳士で、日本の音楽にも造詣が深かった。レッスンはつつがなく終わった。

衣装合わせが終わりステージリハーサルが始まった。

俺は真っ赤なモンゴルの民族衣装に身を包んだが、むしろ驚くほど違和感がなかった。俺の国籍不詳な顔立ちが初めて役に立った。リハーサルの段になって初めて、踊り子たちが俺の周りを舞い踊ることを知った。10人以上の美しい踊り子を従えてソロで歌う俺。何様だ俺は。

本番前にスリランカ人のチャンダナが手相を見てくれると言うので見てもらった。

「金持ちにはなれないが幸せになるだろう」

本番前になぜか気持ちが落ち着いた。

そし本番は始まった。

会場には3000人ほどの聴衆がつめかけ、熱気は最高潮だ。カナダ人の司会の流暢な中国語と、中国人司会との軽妙なやり取り、番組はスムーズに進行して行った。

俺の出番だ。

俺は冷静だった。

新しい情報が多すぎて、そして他者の他者性が強力すぎて、もはや緊張することすらできなかった。

10人ほどの踊り子とともに、特にとちることもなく、むしろ今まででベストパフォーマンスといえるほどの会心の演奏で締めくくった。

いつも手厳しいロシア人美女のアリエナからも「リハまではワケわからんかったけど本番はすごくよかった」と最高の賛辞をもらった。アリエナは叔母が国民的女優らしい。なんだ「国民的」ばっかだな。「国民的」とか別にしても胡松華の歌は素晴らしくアリエナの芝居は最高だった。

俺は銅賞をもらった。よくわからないがなんとなく名誉なことのようだった。

済南に帰り日常を取り戻した。たった一週間離れただけで済南は帰る場所になっていた。

音楽科で二胡を学ぶ崔勇(ツイ・ヨン)という男と仲良くなった。俺と同じく高老師の弟子で、豪放磊落という言葉は彼のためにあると思えるような、よく食べよく飲みよく笑う男だった。

「你怎么那么没个性呢?(なんでお前はそんなに個性がないんだ?)」

彼といつものように近所の水餃子屋で酒を飲んでいる最中に、彼は俺の目をまっすぐに見つめ言った。

反感も好感もなかった。大陸と島国との違いとはこういうものなのかと勝手に得心した。日本では「個性的」と揶揄されがちな俺が埋没できる場所が存在するという事実は、俺にとってはむしろ救いだった。

飲みの席では音楽談義に花が咲き、日中両国の音楽を演奏、紹介するイベントをやろうという話になった。酔った勢いかと思い翌日再度確認した。

崔勇は本気だった。

イベント開催のための奔走が始まった。

怒涛の留学編③に続く】

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