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ジャスティス!

曲がったことが大嫌い。嘘がつけない。忖度できない。どうやらこれは死ぬまで変わらないらしい。高倉健よろしく「自分、不器用ですから」。

この前のこと。企画書を作る際に根拠や因果関係を明確にしなければとKPIを半日かかって算出して提案を伝えたが、話が通らないことがあった。書類のヴィジュアルが伝わりづらかったことは多少あるかもしれないけど、真面目に、理論的に伝えてもダメだった。そういう日々の私の言動に上司からは「やまぴーはジャスティスだからな。正論だとは思うけど、言い方を工夫するといいよ」とアドバイスをもらった。あまりにも真っ当に申し上げすぎると相手はすぐに飲み込めない。転職したばかりなので、なおのこと「事情が分かってないなあ」と思われてしまうこともある。まあ、そうですよね。

コミュニケーションが下手なんだと落ち込んだんだけど、そのことについて友人に相談したら「やまぴーはそれでいいんじゃない」と言ってくれた。その言葉に救われたので、なぜこんなに曲げることが嫌いなのかをもう一度考えることにした……そうそう、嘘や忖度で無駄な根回しが発生することこそが、長い付き合いを続けていくうえでお互いやりづらいことになっていくと思ったからだ。長く太く繋がりたいと思っているのに、腹を割って話ができなくて何になるんだろうって。不器用なりに編み出した全力のコミュニケーションがジャスティスだった。

その場をパスするために上のせいにしてもいいよ、と上司は言ってくれたけれど、私は上司とも良い関係を築きたいので、貶すなんてできない。それは上司(管理職)が持つ責任の範疇みたいなものだという意味も込めて言ってくれたのだろうけど、何か力みたいなものをかけてエイヤッと押し込めているというか、言う側は奥歯を噛み締めながら広角を上げて、言われた側はお腹をぐっと堪えてもらわなきゃならないようなのはどうもスムーズじゃないなあと思った。

自分の言葉で伝えられなくて、何を自分の仕事と言うんだろう。自分の仕事には責任を持って取り組みたい。ケツを拭いてもらってばかりでは、いつまでも上にはいけないと思う。「ケツを拭いて『やってる』」と言われるのもやだしな。ただし、相手が年配のときこそ、自分一人で全力でぶつかるとぶっ跳ね返されるリスクが高い……しかし正直太鼓持ちしてる時間もない。それよりもっと、会社のためにやらなきゃいけない大切な仕事がたくさんある。見ているのは目の前の相手のもっと向こう。

理想かもしれないけど、会社は社会をより良くするために営まれるものでしょう。会社をより良くしようと思い行動する従業員が何人もいて、会社を作っている。仕事一つ一つに「これで世界を変えてやる!」くらいの気概を持って取り組まないでどうするよ、と思って働いている。これを忘れるといわゆる手段の目的化というやつになっちゃうから。よく言われるのは、会社に長く勤めていると目の前の業務に追われて大きな目的を見失いがちだってこと。そのまま業務をこなすだけでもそれなりに仕事なっているからまた怖い。気づかないうちに向上心を見失ってしまう。

ピッチャーだってカーブやらフォークやら技巧派もいれば、ストレート勝負派もいる。私は後者かな。どっちでもかっこいい。というわけで、結果ジャスティスをさらに彫り上げて磨き上げてツンッツンのピッカピカにすることになってしまった。ありのままでいいと背中を押してくれた友人、ありがとう。上司の優しさをふいにしてごめんなさい。でもありがとうございます、その気概をお守りにして自分らしく頑張ります。

写真は松陰神社近くのビストロによる、維新の剣。

本を買って、いろんな方に貸出もできればと思っています。