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【輪島競歩レビュー①】

東京五輪50km競歩6位入賞の川野が35km初代日本チャンピオンに
貧血を克服し“4分00秒ペース”でオレゴンを戦う準備に

日本選手権35km競歩が4月17日、石川県輪島市で開催された。競歩は昨年まで20kmと50kmの距離で行われていたが、今夏の世界陸上は35kmで行われる。4月上旬の世界競歩チーム選手権ですでに行われているが、国内では初めて実施された。
 男子は先行した松永大介(富士通・27)を終盤で逆転した川野将虎(旭化成・23)が、女子では序盤からリードした園田世玲奈(NTN・25)が初代チャンピオンの座についた。川野の優勝記録は2時間26分40秒で園田は2時間45分48秒。35km競歩は22年中は日本記録としては公認されないが(22年12月31日までの最高記録が年明けに日本記録となる)、ともに現時点での日本最高タイム。
 2人とも派遣設定記録を突破し、世界陸上オレゴン大会代表に内定した。特に川野のタイムは今季世界最高で世界陸上オレゴンでの活躍が期待できるが、6位入賞した東京五輪後には“どん底”に落ちていたという。川野の復調過程と、国内初の男子35km競歩のペースに焦点を当てた。

写真提供:フォート・キシモト

●川野は1月に極度の貧血に

レースは20km競歩でリオ五輪7位入賞の実績を持つ松永が先行したが、川野は31km過ぎに松永を抜き去り29秒差をつけてフィニッシュした。優勝記録の2時間26分40秒は今季世界最高記録だが、川野は手放しで喜べなかった。
 松永のペースダウンだけでなく、29kmまで競り合っていた野田明宏(自衛隊体育学校・26)にも、野田の突発的な体調異変による減速がなければ苦戦していたかもしれない。前半は丸尾知司(愛知製鋼・30)に、中盤は野田の後ろを歩く展開だったのは、川野の状態が完全ではなかったからだ。
 1月には極度の貧血に陥り、ヘモグロビンの数値が9.1(g/dl)まで下がり、酒井瑞穂コーチは「どん底だった」と振り返る。ドクターからは3月の世界競歩チーム選手権までに回復するのは難しい、とまで言われた。川野自身、「通常(ペース)の練習はまったくできませんでしたし、世界陸上の代表はあきらめそうになった」と言う。
 そこからどう立て直したのか。
「瑞穂コーチが最後まであきらめず、自分の体調の把握に努めてくれて、医師の方とも連絡されて、食事や練習内容のアドバイスをしてくださいました。何度もミーティングをしてもらって、心の部分もご指導していただきました。その甲斐あってコンディションを整えられ、世界競歩チーム選手権では4位に入賞できたんです。自分だけでは体調を立て直せなかったと思います」
 酒井コーチによれば腸内環境を整えることや睡眠の改善にも取り組み、メンタル面も含めた「生活をトータルで見直した」という。輪島の前にはヘモグロビン値も14(g/dl)台まで回復していた。

写真提供:フォート・キシモト

●初の35km競歩はどんなペースで勝負が決まったのか

輪島で世界陸上オレゴンの代表を内定させるには、2時間30分00秒の派遣設定記録を破って優勝することが条件だった。唯一の例外が川野で、すでに選考会の世界競歩チーム選手権で日本人トップになっているので、順位に関係なく派遣設定記録を破れば内定する。代表入りだけが目的ならタイムだけを意識して歩けばよかったが、世界で戦うためにはレベルの高いメンバーで争う勝負も重視していた。
 では、国内初の35km競歩はどんなペースで進むのか。注目はそこに集まっていた。
 夏場の国際大会はペースは落ちるが、秋冬春の国内競歩大会では世界トップレベルのスピードでレースが展開する。20km競歩なら1km平均3分50秒台前半、50km競歩なら4分20秒前後で進む。
 35kmの日本記録は22年12月末時点の最高タイムが公認されるが、輪島大会前の最高タイムは、丸尾が昨年の日本選手権50km競歩(輪島)の35km通過時にマークした2時間30分11秒だった。世界陸上の派遣設定記録も2時間30分00秒で1km平均は4分17秒となる。初めての35km競歩は4分15秒前後で進み、2時間27~29分台のフィニッシュタイムになるのでは、と予想された。
 だがスタートすると松永が先頭に立ち、最初の1kmを3分52秒で入った。松永は16年のリオ五輪20km競歩7位入賞者で、20kmのスピードと世界での戦い方を経験値として持つ選手だ。18年以降は故障の影響で低迷していたが、今年3月の全日本競歩能美大会20km競歩に優勝し、今夏の世界陸上オレゴン代表を内定させている。代表切符を持っていることで精神的にも余裕があった。
 3kmまでは丸尾と川野も食い下がったが、4分0秒台で歩く松永につけば後半の失速を招くと判断。2人と野田は4分10秒台で歩く選択をした。松永は20kmまでは4分0秒台で歩き続け、25kmまでは2位以下を引き離していたが、26km以降は4分20秒台にペースダウン。32kmまで4分0秒台後半から4分10秒台で歩いた川野が31km過ぎで逆転した。

●4分00秒ペースの力をつけてオレゴンに

川野の優勝タイムは2時間26分40秒で、無事に世界陸上オレゴン代表に内定した。今の日本勢にとって、世界競歩チーム選手権のように高温、高湿度下のレースにならない限り、世界陸上入賞ラインの派遣設定記録突破は難しくない。
 だが川野自身はこの結果にまったく満足していなかった。「後半の落ち込みがありましたし、フォームの面でも課題が残りました」。勝負が決まっていたので注意や警告を出されないことを優先した歩きになっていたが、32km以降は4分23秒、4分25秒、4分28秒とペースが落ち続けた。
 酒井コーチも「中盤以降、体幹が横ブレしていました」とフォームの課題を指摘。貧血だった期間に距離をあるく練習が不足していたことも影響したという。
 ただ、「距離を1km、2kmと分けて、リカバリーを短くしてスタミナ維持を図りました。結果的にスピードも落とさない練習ができたと思います」と、それなりにトレーニングができていたことは認める。
「世界競歩チーム選手権で入賞できるレベルの練習をしながら、貧血にならないメニューを探り続けました。川野も五輪入賞者として、中途半端な結果を出したくない気持ちを強く持っています。そこのメンタルはできていました」
 オレゴンでも入賞する力は間違いなくある。「世界陸上に向けてしっかり立て直して、ベストパフォーマンスができるように頑張っていきます」と川野は話したが、目指しているのは入賞ではなくメダルだろう。そのために酒井コーチは「4分00秒ペースの力をつけたい」と言う。
「世界競歩チーム選手権では20km競歩の選手たちが、勝負どころで4分05秒にペースが上がったときに余裕を持って対応していました。(世界競歩チーム選手権のコースのように)傾斜度3%の上りでも4分15秒で歩く実力が必要です。最終的に2時間20分(4分00秒ペース)の力がないとメダル争いは難しいと思います」
 しかし川野にも期待できる部分がある。
 大学入学時から、学生選手としては抜群のスタミナがあったことに加え、20km競歩で1時間17分24秒(日本歴代3位)のスピードを持つことだ。35km競歩で川野のスタミナとスピードの両方を生かすことができれば、2時間20分に近づいていく。
 輪島では「4分00秒を意識した練習をやり始めたところ」だったが、今後その練習を継続できれば、4分00秒ペースの力をつけてオレゴンに乗り込むことができる。

TEXT by 寺田辰朗


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