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ビジョナリー・カンパニー3【衰退の5段階】

人事の小山です。ビジネス書レビューをやっていきます。

ビジョナリー・カンパニー3【衰退の5段階】(ジム・コリンズ著)

1、どんな本なのか

この本は、100年永続する企業とはどんな企業なのかを探るビジョナリー・カンパニーシリーズ(というか、あとから続編が出てきた)の第3弾である。

「ビジョナリー・カンパニー1」では、生存の原則として、100年永続する企業の原則をまとめ、
「ビジョナリー・カンパニー2」では、飛躍の法則をまとめた教科書的な本である。

第3弾、「ビジョナリー・カンパニー3【衰退の5段階】」は、100年永続する企業として、繁栄した企業も、リーマンションで、衰退をしていく企業もある中で、衰退する企業の法則をまとめたものである。

読み方としては、法則をまとめた理論集なので、具体的にどういうことなのかというのを経営者の書いた本のストーリーを見て、このストーリーはこの法則なのかという風にあてはめていくとより理解が深まるかと思われる。

私は、補完的に、ワイキューブの社長の倒産体験記(『私、社長ではなくなりました。ワイキューブとの7435日』)を合わせて読むことにする。

ワイキューブとは、ベンチャー企業でありながら、学生の就職希望ランキングの上位に入り、一世を風靡しながらも、多額の負債を抱えて倒産していった会社である。

ワイキューブとは、安田氏が、1990年に、立ち上げた採用コンサルティング事業を日本ではじめたといわれる会社である。2年目の社員はグリーン車に乗れることや、社員の平均給与1,000万円を目指すと言ってみたり、社員専用バーをつくったするなどして、メディアで多数取り上げられ、就職希望ランキング17位までいったベンチャー企業である。

ちなみに、私の大学院の同期に、元ワイキューブの社員がいたが、大学院のある市ヶ谷のキャンパスの最寄りのスーパーが、ワイキューブのあった場所であった。スーパーの魚売り場にワイキューブがあっただという。

(さらにいうと、有楽町線市ヶ谷駅の辺りは、栄枯盛衰が激しいように思う。私がいっていた大学院のキャンパスは、2009年に学生援護会(今でいうanを発行)が売却したもの。2011年、ワイキューブのテナントがスーパーマルエツに変わり、2012年シャープ東京市ヶ谷ビルがTKPに変わり、2018年ソニーミュージック市ヶ谷ビルが武蔵野美術大学に売却)

2、   衰退の5段階

ビジョナリーカンパニー3でいう衰退の5段階とは、次の5段階である。
このそれぞれをワイキューブと絡めながら見ていく。

1. 成功から生まれる傲慢
2. 規律なき拡大路線
3. リスクと問題の否認
4. 一発逆転の追求
5. 屈服と凡庸な企業への転落か消滅か

この衰退の5段階をワイキューブにあてはめると、次のようになると考える。

1. 成功から生まれる傲慢
→ 成功の幻影:ラスベガス社員旅行(東京進出時)

2. 規律なき拡大路線
→ 新宿アイランドタワー移転
→ 「就ナビ」創刊、「就職コンパス」ローンチ

3. リスクと問題の否認
→ 若松町への移転

4. 一発逆転の追求
→ PR戦略と徹底した福利厚生と給与倍増

5. 屈服と凡庸な企業への転落か消滅か
→ 民事再生法適用

3、    そもそも、成功とは?

世の中的に「衰退」と認識されるには、そもそもある程度の「成功」をしていないと衰退にはならない。

「ワイキューブ」は、確かに、一時代の一世を風靡しただけあって、民事再生法申請した人には、ヤフーニュースになった。

また、下記のような記事もあり、文字どおり、人気ベンチャーがなぜ潰れたのかという疑問を抱かれるほどの知名度を得ていた。

<ワイキューブ>人気ベンチャーはなぜ潰れたのか(president online)

借入金で給料を2倍にしたら会社が潰れた(日経ビジネス online)

そもそも、無名の中小企業が倒産したところで、ヤフーニュースなんてならないのだから。

ただ、本当に、ワイキューブが「成功」していたのかというと若干の疑問が残る。

売上で言えば、2000年ごろ7億円、2003年に15億円、04年に20億円、2007年46億円にまでいくのだが、利益は常に、1億円程度だったようです。

理由は、社長である安田氏が投資をしてしまうから。もっとも、借入によって、社員の給料をあげていたくらいで、銀行から融資を受けるために黒字にしていたが、実際は赤字だったようなのです。

ただ、就職希望ランキングの上位を目指すという目標に対して、ベンチャー企業でありながら、17位までいったのは成功だといっていいだろうし、それが、「成功から生まれる傲慢」につながったのだろう。

4、    第1段階:成功から生まれる傲慢

→ 成功の幻影:ラスベガス社員旅行(東京進出時)

ワイキューブは、1990年、安田氏がリクルートから独立して大阪で設立したことにはじまる。リクルートと同じ仕事はしたくないと考えつつも、人材ビジネスを行う。中小企業向けに、説明会に学生を動員するサービスを展開し、学生に電話をかけて、中小企業の説明会に参加してもらっていた。

東京に進出するのは、1996年に駒込にオフィスを構える。翌1997年に新宿(2丁目)に移転する。

この頃、大して、売上が伸びていたわけではないが、「俺たちは選ばれた会社だ」と言い聞かせるために、社員旅行をはじめる。

はじめは、熱海だったものが、グアムになって、ラスベガスへと発展していく。ラスベガスにいく余裕があったわけではなく、営業利益のすべてを旅行につぎこんだのだ。

この時、安田氏は、「会社が倒産しそうになる」ことを感じながら、成功したかのごとくに、投資(消費?)に使ってしまうのだ。

第1段階の現象をビジョナリー・カンパニー3ではこうまとめている。

・成功は当然だとする傲慢
・主要な弾み車の無視
・何からなぜへの移行
・学習意欲の低下
・運の役割の軽視

特に、成功しているわけではない段階で、「俺たちは選ばれた会社だ」と「成功は当然だとする傲慢」に陥っていたのである。

5、   第2段階:規律なき拡大路線

ワイキューブは、リーマンショックで潰れるのだが、リーマンショック前にも一度潰れかけた危機があった。

西新宿の高層ビル「新宿アイランドタワー」(44階建ての20階)に移転するときである。

大阪で創業し、東京駒込に進出し、東京の真ん中に移転しようと、新宿にいくも、新宿2丁目だったため(⇐「新宿2丁目に本社がある会社で悪いか!」)、西新宿 「新宿アイランドタワー」に移転する。

(「LOVE」オブジェがあるのが新宿アイランドタワーだ)

売上5億円、営業利益3000万円の状態で、新宿2丁目の月50万円の事務所から300坪(社員数は30名だが、東京の社員は12,13名)、月1,200万円の高層ビルに移転する。営業利益3,000万円の状態のままであれば、家賃が月1,150万円あがれば、年間1億3,800万円の費用が増え、1億円の赤字になることは、会計を勉強していなくても、容易に推測できることである。新オフィスの内装費は、3,000万円かかったという。100名超が入れる大会議室、全面ガラス張り。海水魚が泳ぐ大きな水槽3つ(←いらないだろう。)。フロアのいちばん眺めのいい場所には応接室(50坪。1人掛けソファーを10脚。広すぎて、応接室として使えなかったらしい。

安田氏は、「自社媒体をつくって、20億円売上をあげる」ことで、家賃を払えるようにするつもりだったようだ。

オフィス移転の背景には、サイバーエージェントの藤田社長などの若手社長の活躍を見て、焦りを感じて、新卒採用をはじめて飛躍したいと考えたようだ。

「優秀な学生を確保したい。きれいなオフィスにすれば、優秀な学生が集まる。」

という想いがあったようだ。

このオフィス移転に関して、第2段階の現象から見ると、つぎのものがあてはまる。

・持続不可能な成長の追求と、大きさと偉大さの混同
・容易に利益を得られることによるコスト面の規律の緩み
・組織の利害より個人の利害を優先

成長を求める圧力の中で、明らかに身の丈に合わないオフィス移転をすることで、ハリボテの大きさをつくろうとするのだが、それは偉大な企業になれるわけではなかった。オフィス移転のコスト増を、売上が用意にあがるだろうという期待で財務的な規律が緩んだ。最終的に、そのオフィスの大きさは、組織の成長ではく、安田氏が、新宿2丁目の事務所にいることに

「我慢できなかった」

というのが実情である。

このオフィス移転が身の丈に合わなさ過ぎたのがある意味よかったのかもしれない。移転したその月に、役員がほかの物件を探して解約の申込みをして、半年後に退去することになる。

6、   第3段階:リスクと問題の否認

新宿アイランドタワーから若松町に移転する。億単位の借金を背負って、電気代がかさむと、他の支払いが滞るような危うい状態だったらしい。

そんな状態が故に、「駅から15分もの坂を上っていかないといけない不便な場所に」あるのだが、その不便な状況にいることを受け入れられなかった。

受け入れられなかったからこそ、「就職希望ランキングの1位」になろうという目標を設定して、新しい事業への投資へと進んでいくのである。

リクルートが、今でいうリクナビの元となるWebサイトを立ち上げたのに、合わせて、新卒の求人Webサイトを開設した。

億単位もの投資をしたが、当時は、誰もまだネットで就活をしている時代ではなかったので、あえなく、失敗に終わる。

7、   第4段階:一発逆転の追求:PR戦略と徹底した福利厚生と給与倍増

一発逆転をすべく、「就職希望ランキングの1位」を目指した目立ったことを徹底的にやりはじめていく。

ブランディング戦略の一環として、社内バーやワインセラーをつくることについて、安田氏自身、こう述べている。

「社内バーやワインセラーをつくったところで、取材は増えない。大事なのはその理由だった。それがないと、『なぜ、こんなものをつかったのか』と聞いてもらえないし、記事にしてもらえない。」。

だからこそ、PR会社2社と契約して、それぞれに何千万円と支払ったようだ。圧倒的な福利厚生、待遇の施策と、記者会見などのPR戦略、出版戦略がDM戦略と相まって問い合わせは年1万件まで増えたという。

ただ、ある一定のところまでいくと、福利厚生や待遇への投資で得られるブランディング効果は増えなくなっていったように思う。経済学的に言えば、限界効用逓減の法則である。しかし、効果はどうであれ、圧倒的な福利厚生や待遇を続けなければいけない状態になってしまったように感じる。

例えば、おしゃれな傘を配ろうということを行ったようだ。「社員におしゃれな一流品を身に着けてもらおう」という目的で「Y-style」という自社ブランドを立ち上げスーツ、シャツ、ネクタイを手掛けていた。さらに、傘に手を出していたようだ。とびきりおしゃれな傘にするべくイギリスの3大傘メーカーから傘の骨を仕入、国内の有名な傘メーカー生地を貼ってもらったようだ。取っ手は職人に頼んで、桜の木の皮を特注した。1本原価2万円。社員100人に配って、200万円。

だが、メディアに取り上げられることは一件もなかったとという。ワイキューブの傘というのは、本を読んで初めて知ったが、確かに、メディアであまり取り上げられたことがないように思う。

致命的なことは、社員専用バーもPR目的でとどめておけばよかったのだが、圧倒的な福利厚生と待遇が社員の幸せだと思って、そのまま突っ走ってしまったことだろう。

「3年間で社員の平均給与を1,000万円にする」

と役員会で全員に反対されながらも、平均年収400万円だったのを2年間に平均800万円に引き上げていったのだ。

福利厚生・待遇をよくすれば、ブランディングになり会社が成長するという「成功は当然だとする傲慢」な考えによって、どうして、ブランディングがうまくいったのかという「主要な弾み車の無視」するようになり、なぜするのかということを忘れて福利厚生をすることが独り歩きすることになった。

8、    第5段階:屈服と凡庸な企業への転落か消滅か

→ 民事再生法適用

2008年夏、借金は40億円まで膨らみ、11の銀行をリスケジュールをなんとかするも、リーマンショックの影響で売上が激減し、民事再生法を適用。

とどめをさしたのは、リーマンショックではあったが、衰退のきっかけは、経営にあるように思われる。

以上、ビジネス書のレビューでした。

人事部 小山

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インド、フィリピン、マレーシア、トルコ、インドネシア、ベトナム、バミャンマーで働く11名の喜怒哀楽の物語。 【新卒海外研修】(連載中) http://www.kuno-cpa.co.jp/recruit/shinsotsu-kaigai/