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嬉しい懇談会

今日は次男の懇談会だった。
高校に入って初めての懇談会。コロナ禍での懇談会。ほとんど学校には行っておらず、オンライン授業の中での懇談会。色々と新しいこと満載な懇談会。

思えばうちの次男はよく先生に嫌われてきた。言いたい事を言うからだ。普段家でははちゃめちゃに弾丸トークを繰り広げている。基本私は意見を言われるのが好きだ。色んな意見を聞きたいと思っているからだ。(あくまでも意見、非難されることは嫌い。)
でも大抵の大人は嫌いらしい。だから次男は嫌われる。

次男も意見を言っている事は正論かもしれない。また論理的に話をするから先生は困る人が事が多い。

意見する子供は先生に嫌われる。
矛盾追及する子供は先生に嫌われる。
そしてよくも悪くもリーダーシップがあるから、周りも巻き込み先生に意見する。先生は太刀打ちできない。

小学生時代は大抵の先生に嫌われた。
先生に死ねとまで言われたんだから、よっぽど嫌われてたんだろうと思う。

中学に入った。テニス一色の生活だった。運動神経は抜群だが成績はよくない。テニス部での成績や活動のおかげとよい先生に恵まれた。しかし一部の先生にはこれまたすこぶる嫌われていた。

高校はインターナショナルスクールに行った。自由な事が彼にはあっているんだと思う。学校の成績も彼の基準に合っているんだと思う。今まで見たことない成績でベタ褒めだった。

今までよしとされて来なかった

自分の意見を言うこと
自分の考えを伝えること
周りをまとめていくこと

が評価され、職員室の先生からの評判もかなりいいという裏話まで聞かせてくれ、これは親御さんがよい方だと今日思いましたとか、よいご家族だからだと思いましたとまで言われたことには驚いた。

環境が変わるとここまで変わるのだ。

本人も私もずーっと同じ。基本何も変わっていない。周りの視点が違うだけ。これだけで同じことをしていても評価が違うことには驚きだ。

公立の学校では意見を言わず先生の言うことを聞く子が良い子の定義である。

うちの子はよくも悪くも正直に意見を言うから先生にも周りの親にも嫌われた。

保護者からは、

「○○さん所のお子さんは3人兄弟いてどの子も素直で良い子よ。アタマノセイリさんもあそこのお家に言ってどうやったら良い子が育つのか聞いてきたら?」

と言われた。全く持ってほっといてくれと思った。

良い子の定義はそれぞれ違う。うちは本人がよりよく楽しく生活していればそれでいい。

そして何がよりよいのか自分で考え、自分で判断出来自分で行動できる。そんな人になっていればどこでも生きていける。そう思っている。

彼は今、高校生であり、発信者であり、株式会社代表である。

初めて親子で褒められまくった気がする懇談会。行っていて気持ちがよかった。

本人は楽しく学生生活を送りながら、勉強も楽しみ、活動も楽しんでいる。それがただ結果につながっている。そんな様子を聞きとても清々しかった。

私がコロナ騒ぎまで働きまくっていたので、あまりよりよく言わない人が多かった。何か悪いことがあると親がいないから見てないからだと言われることがあった。けど所詮それは価値観の違い。何をもって良いとするのかの軸の違い。

言えることは子供たちはうちに生まれて良かった、選んで生まれて来たと言ってくれることだ。誰がなんと言おうと子供たちは私の所に来てくれて、私を助けてくれている。そしてそんな彼らそれぞれの事を私は尊敬している。

一風変わっていることがあるとは思う。でも私は子供ではなく、一人一人の人として彼らはほんとに素晴らしいと思っている。
そしてそんな家族を支えてくれている私のパートナーに感謝している。

今日は良い日だった!!いい天気だし、いいこと言われたし!!さぁ運動してこよーっと!

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