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7年前の記録。。続き

今思い返してみると
出産後、子宮の収縮がよくなくて
助産師さんがマッサージ?してくれていたのですが
先生が様子を見に来て
これじゃだめよ!!と交代した時に
ばしゃばしゃと音がしていたような気がするんです。
マッサージをするたびに、ばしゃばしゃ。
多分、それは、血液が出ている音で。。。。
すごい勢いで、出血して
子宮が収縮していかないので、止まらず
出血し続けていたんです。

そんなことになっているなんて
思いもしなくて
達成感と満足感で満たされていた。あのとき
夫と二人で、本当に幸せな時間。。でした

夫が家族へ連絡をしたりするために
外へ出て行き、多分、そのすぐ後から
わたしの記憶はありません。。。

再び意識が戻ったとき
すごい大勢のお医者さんに囲まれ
全身いたくて、苦しくて、のども乾いていて
全く事態が把握できませんでした。

とにかく、苦しくて。苦しくて。
いたくて、いたくて。
だれか、どうにかして欲しい。
お医者さん。なんとかしてください。
助けて。
苦しい。呼吸が。。しずらい。

全身いたい。いたくて辛い。
無事に出産したはずなのに
まだいたいの?なんで?

そして、ものすごく寒い。。。。

意識が戻ってからは、先生たちの会話が
遠くから聞こえてきます。
子供をとりあげてくれた先生とは、別の産科の先生もいらっしゃって
先生が言っていたんです。
「子宮を取るための手術の準備を。。。」
みたいな話。
それを聞きながら、状況は全然分かっていないのに
心の中でわたしはこう思っていました
「まだ、凍結してある受精卵があるから、子宮はとらないで欲しいなぁ」
「先生、とらなくても大丈夫なはず。わたし、もう一人産みたいんですよね。」
意識なかったし、痛いし、苦しいけど
なぜか、そう思っていて
子宮はとらないって決めていて。
謎の自信😆がありました。

でも、相当苦しくて。痛くて。寒い。
どうにかして欲しくて
看護師さんに訴えて、めちゃくちゃ困らせていましたね。。。

でも、このとき
死ぬはずがない。と
絶対に死なない。って分かっていて。
信じていて。
なぜか、大丈夫。
そう、思えていたことが
わたしの命を救ってくれた。そんな気がしています。

その日は祝日だったのですが
運の良いことに
ドクターヘリの見学に、東京の周産期医療専門のDrが
偶然いらっしゃって
様子を見に来てくださったんです。
多分、ですけど
点滴の量とか、室温とかの指示を出してくださって
そこから、すごく楽になったのを、
すごく覚えています。
本当にラッキーでした。

で、
最終的に
4メートルほどのガーゼを子宮へ詰め込んで
圧迫することで、一時的に止血に成功。
出産から、多分4時間後ぐらいだったと思います。

まだ、もう少し続きます。。。

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