見出し画像

アメリカへ移住したかった14歳が、33歳にしてアメリカへ行って気づいた事。

2013年4月 ニューヨークへ出発。

私は料理を作るかマネージメントするかといった事をしてきたので、今回もそう言った内容だった。

ニューヨークでNo,1の称号を得た経験のあるレストランを日本でオープンさせる事が決まり、その運営に係るすべての部分を現地に行って学んでくると言うものだ

ニューヨークから戻る事には物件も決まっているはずだから、現地で学んで日本で再現してくれ。

それがこの仕事内容だった。


通訳を用意してもらった事も大きいが、英語もろくに話せず外国へ来るのも初めてだった割に、生活も仕事も困る事は少なかった。

強いて言えばスタバの店員がこちらの注文を聞き取れず(恐らく聞く気がなく)望んだスタイルのラテを飲めなかった事くらいだろう。

仕事は毎朝6時にお店へ行き、厨房業務全般をひたすら繰り返す。

15時頃には終了するので、振り返りを行ったり勉強の為に食事に行ったり、そんな日々を繰り返した。


出勤は地下鉄を使っていたのだが、時刻表が無い。

24時間動いているのはありがたいのだが、いつ来るかわからない。

そんな交通事情でなぜみんな遅刻しないのか?(タクシーは毎朝大渋滞で、捕まえるのは至難の技だった)

日本人は時間にきっちりしている人種で、世界的に見れば珍しい方だと認識していたので、みんなまじめに時間通り出勤して来る事が不思議だった。

無論ニューヨーカ―にも時間にルーズな人はいる。

日本にいる間に私の中で勝手にルーズな印象が出来上がっていただけで、大半のビジネスマンはきっちり仕事に従事している。

少し考えれば当たり前の話だが、ニューヨークへ行くまで考えもしなかった。


マンハッタンの飲食店事情で気になったのは、メキシコ人の就業率だ。

私が働いていたお店に関しては、アメリカ出身のコックは一人だけ。

ヘッドシェフもスーシェフも皆メキシコ人で、お店でもっともよく聞く言語はスペイン語だった。

当時のメキシコは酷く治安が悪く(今もかな)、多くのメキシコの人たちは仕事を求めて学生ビザでニューヨークへやってくる。

国へ戻っても仕事があるか分からないし治安も良くないので、ビザの期限が切れても国へ戻らず不法滞在する。

これは珍しい話ではなく、もはや常識というレベルだった。

国が一斉検挙とか始めたら、マンハッタンの飲食店は激減するだろう。


しかしアメリカでお店をやっている人には大きなメリットがある。

ビザの無い外国人が働けるところは多くない。

飲食店は利益率、利益額がともに小さいので、食材原価と人件費が利益を生む上でもっとも重要なコストである。

その人件費を大幅に圧縮出来る人材が彼らなのである。


No.2へ続く

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?