tdk

教育にふんわりと関わりがあります。 おそらく多くの投稿は見る人、読む人に疑問や謎を与え…

tdk

教育にふんわりと関わりがあります。 おそらく多くの投稿は見る人、読む人に疑問や謎を与えるかもしれません。 結果や答えを示すのではなく、そこから想いを巡らす時間をもてる人と相性がいいかもしれません。 私自身も何かを探しながらも、その何かを手にすることに価値はあまりおいていません。

マガジン

  • 授業案集

  • 書き物

    考え事の種をばらまいてみる

  • 私がしたいことは何なのか

    私がしたい、というか考えていることがどこからきてどう考えているのか、を書く。

  • その他

  • 今日の1枚集

    自分の今日の1枚をまとめようと思います。

最近の記事

  • 固定された記事

自己紹介への抵抗

先日、自己紹介的な文書を投稿したが、 あれを書く前に書こうとしていたことを述べておく。 ある意味こういった書き物の方が私にとっては “より自己紹介らしい”と言えるかもしれない。 これを読んで、考えすぎでは?と思う人もあるかもしれないが、 もし思い当たることや気になることがあるのだとしたら、 考え事の種にしてもらえるといいかもしれない。 ○“いわゆる自己紹介”があまり好きではない自己紹介と言われると例えば、名前に始まって、年齢、職業…と続き、 こんなこと思っています、考え

    • 「ボールルームへようこそ」を見てほしい

      ご無沙汰しています。 唐突ですが、私が一時期考え事を刺激されたアニメの話を書きます。 ダンスのアニメですが、教育の視点で見てしまったという記事です。 まずこの記事では宣伝と個人的な見どころを中心にして、 なぜ見てほしいのかを軽く書いていきます。 おそらく後もう1つか2つ程度記事を書く予定です。 ○「ボールルームへようこそ」とは社交ダンスをテーマにしたマンガ・アニメ。 作者は竹内友さん。 現在も連載されており、先日最新刊12巻が発売された。 現在、2022年11月1日~

      • ここ1年近く忙しかったり気力がなかったりで記事を書けていませんでしたが、 前々から書きたかった記事を書くきっかけができたので近日中に記事を書きたいと思います。 よろしくお願いします。

        • ツイッターのアカウントをつくってみました。 よろしくお願いします。 https://twitter.com/tdk_yrnm noteを投稿した時や長く間が空きそうな時に使えればと思います。

        • 固定された記事

        自己紹介への抵抗

        • 「ボールルームへようこそ」を見てほしい

        • ここ1年近く忙しかったり気力がなかったりで記事を書けていませんでしたが、 前々から書きたかった記事を書くきっかけができたので近日中に記事を書きたいと思います。 よろしくお願いします。

        • ツイッターのアカウントをつくってみました。 よろしくお願いします。 https://twitter.com/tdk_yrnm noteを投稿した時や長く間が空きそうな時に使えればと思います。

        マガジン

        • 授業案集
          7本
        • 書き物
          14本
        • 私がしたいことは何なのか
          8本
        • その他
          1本
        • 今日の1枚集
          6本

        記事

          エコ?ロス?自分にできること探し~理科、社会科、総合など~

          いわゆる私たちの生活の中での エネルギーやら資源やら持続可能な社会やらみたいな話。 必ずしも学年や校種や教科によらない話。 理科でも出てくるが、こんな話がしたい、 こんなことを考えてほしいなあという記事。 〇ロスってなんだ?無駄ってなんだ?これって無駄なのでは?と言うことをこちらから問いかけてみる。 (必ずしも私が思っているわけではありません。) ・夜道の街灯 ・人が通っていない時間の信号機  誰も通っていない深夜にただ道を照らす街灯。  ほとんど無駄かもしれない、ど

          エコ?ロス?自分にできること探し~理科、社会科、総合など~

          授業づくり~『ものを使った自己紹介と視点探し』~

          この内容は授業といっても 小中高などにある特定の教科に依るものではないし、 自分にとっては、先日行った質的研究法の研修で行った内容である。 もちろん研修に組み込むからにはただ楽しいだけではない。 研修の成功のために必要な時間であり、なくてはならない活動である。 最も重要な時間であったと言ってもいいだろう。 ただ、この活動内容自体は ある程度どこの校種でも使える部分があると思っている。 何ならどこかの企業や団体でも何らかのレクリーションでなど、 様々な形で使えるように思う。

          有料
          300

          授業づくり~『ものを使った自己紹介と視点探し』~

          自分と他人は違う人という認識

          質的研究法の研修の前半に行ったお遊びの 活動づくり(≒授業づくり)の記事を書こうと思っていたのだが、 そのベースとなる認識の話を長くなるので別で書いておくことにした、 何をどこまで書くかに迷いながら 気がつくと時間がかなり経ってしまった。 この記事のタイトル、極々当たり前のことだと言われるかもしれない。 しかし、我々は本当にそれが当たり前と思えるほど そのことに気づいているだろうか? 知っている、理解している、わかっている、気づいている、などなど、 これらの言葉は同じで

          自分と他人は違う人という認識

          質的研究法の研修をしてきた話②~当日の流れと様子~

          質的研究法の研修をしてきた話①で述べたように、 kj法を対象とした研修の話になる。 kj法に対する私の理解やスタンスなどは前記事を参考にしてもらいたい。 〇0.はじめまして?参加者の大半は身内で、普段接する学生たちと、先生。 後数名、卒業生や先生の知り合いの学校教員が2人参加していた。 私にとって初対面のお二人はさておき、 他の人は私のことを知っているのだろうか? 「私のことを知ってますかと聞かれたら、知っていると答えますか?」 そう聞くと、何名か手が挙がった。 「

          質的研究法の研修をしてきた話②~当日の流れと様子~

          質的研究法の研修をしてきた話①~kj法について~

          質的研究法の中で私が中心的に扱っており、 研修の対象でもあった質的研究法は「kj法」と呼ばれるものだ。 kj法の話が中心になるので、 今回は(いつもか?)割と小難しい内容になると思われる。 kj法は十数年前に亡くなった川喜田二郎氏が創案し、 洗練させた質的研究法の1つである。 現在kj法というもの(名前?)は商標登録されているもので、 (この辺りの権利関係のことがよくわかっていないのだが、) 正式には本家の(?)行う研修等を受けて 認定される必要があるそうだ。 しかし

          質的研究法の研修をしてきた話①~kj法について~

          私がnoteでしようとしていること

          とりあえず一区切りかな? そしてもっとも自己紹介っぽい話かもしれない。 これまで書いてきた私のしたいことは何なのかシリーズの まとめのような内容になると思われる。 〇noteをはじめておよそ5か月私のこれまでの主な投稿は、書き物と授業のことがほとんどである。 これはおそらく今後続けていったとして、長らく変わらないと思われる。 最近お絵描きを全然できてないのが残念ではあるが、 しないといけない、なんて思いながらすることではない。 気持ちが傾いたときにするのがよいので 自

          私がnoteでしようとしていること

          雑な近況報告

          更新止まってますが・・・ とりあえずこちらに割く時間と元気がなかったので しばらくほったらかしでした。 noteに関わりそうな裏での活動としては ・私のしたいことは何なのかシリーズの〆 これを9月中にと思いながらまだ書いている途中でおいたまま。 直近にはこれを書いてこのシリーズは一区切りかなと思っている。 ・中学理科の教科書を購入 6月くらいに少し内容が変わっていると聞いていたので まあ見ておいて損はないかなと注文した。 授業案を考える時にも教科書は手元にあるほうがよ

          雑な近況報告

          “自分”をわかり合える存在にする

          そういえば私が大学院を出ておよそ10年ほどになる。 私のしたいことは何なのか、いよいよ時系列が追いついてきた。 〇物言わぬ10年私は大学を出てもなお、 大学の、主に自分のいた研究室周辺の活動に様々な形で関わってきた。 近年は少し手薄だが。 臨時で講師を頼まれて請け負うことも何度かあった。 そうしながら教育を学ぶ、志す、考える環境に身を置く人の傍にいた。 もちろん、そういった環境はこの国の中に限っても至る所にある。 そしてそれぞれの場所に独自の文化があるだろう。 そうい

          “自分”をわかり合える存在にする

          誰が新しい地図を描き始めるのか

          かなり“したいこと”の話に近づいてきた、 「私のしたいことは何なのか」シリーズ。 想像以上に長くなっている。 2,3本書いたら終わるかと思っていた。 誰もにとって、“自分”を中心にして他者と世界を知っていくことは 価値あることになっていくと考えている、かもしれない。 〇望みや幸せや夢は人によって違う当たり前っぽいこと。 でも、誰もが同じこと(似たようなこと)を望み、 同じことに価値がある(と思い込んでいる?)とする時代は 少し前までは現実に起きていた部分があったようだ

          誰が新しい地図を描き始めるのか

          “役に立つ”は誰がわかるのか

          先日書いた「勉強するのは自分のためなのか?」の続きみたいなもの。 他のことを書いていたら話のこの部分が あまりにも膨らんでしまったので別でまとめようとなったもの。 まだ書き足りないことのほうが多い気もするくらいで、 気が向いたらいっそシリーズにしてしまってもいいかと思わなくもない。 それはさておき読む前に一言、かなり長い。 これは役に立つ、これは役に立たない、と誰かが言う。 本当にその通りだろうか? まあわかりやすく、続きっぽく、 「勉強」というキーワードで主につない

          “役に立つ”は誰がわかるのか

          勉強するのは自分のためなのか?

          勉強した恩恵を受ける対象は大きく分けて3つくらいあると思っているが、 そのうち2つくらいの話を書く。 勉強という言葉そのものに多少違和感を持つというか、 イマイチ何を指したいのかよくわからないというか、 みたいな感覚はあるのだが、 まあよく聞くフレーズの一部として勉強という単語を敢えて使う。 〇勉強したくない人の話ネット上でも、noteの中でもチラホラ見る話題。 まあ実際のところ勉強に限りはしないのだけども、 ありがちな感じのする例として勉強を挙げた。 私の書き物のジャン

          勉強するのは自分のためなのか?

          教育に何を望み、どう臨むか

          私がしたいことは何なのかシリーズ、5つ目。 前作の「教育という趣味」の続きにも近い。 未読であれば、読んでもらったほうがわかりやすい部分も少しあるだろう。 教育について色々と考えている人はおそらくたくさんいるだろう。 趣味では済ませられないと感じる人もいるだろう。 教育の活動や研究、あるいは悩みや不安にはいろいろなジャンルがあるし、 全てが気楽に臨めるものではないことは想像できる。 それらの複雑怪奇な諸問題を教育のジャンルに取り込んでしまえる感覚は、 教育によってそれを

          教育に何を望み、どう臨むか