この春、都会へと旅立つ君へ
毎年、三月のこの時期になると、一度や二度は街で見かける光景───
家族であろう人たちと、たくさんの荷物を載せた、少し大きめの車が、私の目の前を通り過ぎていく。ナンバープレートを見ると、その多くは地方ナンバー。
春から大学生や専門学生、あるいは新社会人として東京で一人暮らしを始める息子や娘の引っ越しのために、家族でやってきたのだろう。
生まれた街を遠く離れて東京へ。
不安でいっぱいかもしれないけれど、その胸にはきっと、大きな夢や希望を抱いている。そして親たちはみな、そんな子供の姿を心配し、祈るような気持ちでこんなことを思うのかもしれない。
「元気でさえいてくれたら、それでいい」
それが親心というもの。そして、
「いい人に出会って欲しい」
大学ではいい友人に、会社ではいい同僚、上司に。なぜなら「誰と出会うかで人生は大きく変わる」から。しかし───
出会いというのは、そのほとんどが「運」でしかない。
いい人に出会えるか、あるいは悪い人に出会ってしまうのか、すべては運次第だと私は思っている。
「いや、それなりにいい大学やいい会社に入れば、そんなに悪い人はいないはず。だから少しでもいい大学に入って、いい会社に就職して欲しい」
そうかもしれない。しかし、現実に目を向ければ、それが儚い望みであるとわかる。どんな名門大学でも、どんな一流企業にも「悪い人」はいるからだ。
大学のサークルや部活動での不祥事、一流企業での犯罪。警察官が盗みを働き、僧侶が人を殺し、教師が体罰で生徒を傷つける。そんな世の中で、この大学に行けば、この会社に入れば、この職業なら悪い人はいない、などということは残念ながら、ない。
結局、どんなところにいても、そこには「いい人」もいれば「悪い人」もいるのだ。
たまたま隣に座ったから、たまたま同郷だったから、たまたま同期だったから、新しい環境であればあるほど、最初はそんな理由で関係が生まれることが多い。
そして、新しい「仲間」や「友人」との付き合いが長くなるにつれ、それまで隠れていた相手の本性が暴かれたり、さまざまな出来事や時間の経過によって内面の変化が起きる。あるいは、最初は気にならなかった、相手への些細な「違和感」がどんどん大きくなっていく。
そうした変化のすべてが「いい結果」をもたらすものならいいけれど、現実はそう甘くない。
いろんな意味で「悪く」変わっていく友人、または、あなたの所属するその集団がよからぬ流れに呑まれてしまうことは常に起こりうる。
残念なことに、田舎から都会へとその環境が激変する中で、田舎者であることにコンプレックスを感じて、必要以上に自分を大きく見せようとしたり、ナメられないようワルぶったり突飛な行動をする地方出身者にその傾向は顕著に顕れる。田舎出身の私は、そんな友人知人をたくさん見てきた。
つい最近も「神戸大学」のサークル問題があった。そして少し前には「日本大学」のラグビー部問題もあった。
もし自分がそのサークルの一員、ラグビー部の部員だったとしたら?
友人に「お前もやれよ」と言われたら、旅先の旅館の障子を破れるだろうか?天井に穴を開け、みんなと一緒になって笑っていられるだろうか?
監督に「後ろからタックルして潰せ!」と言われたら?それによって、もしかしたら相手選手の選手生命どころか、命を危険にさらすかもしれない、そんな殺人行為が自分には出来るだろうか?
もし、サークルのみんなと同じように天井や障子に穴を開けなかったとしたら、
「ノリ悪いな」
「意気地なし」
罵倒され、仲間外れにされてしまうかもしれない。
監督の指示に逆らい、タックルをしなかったことで、
「監督の言うことに従えないならお前は選手失格だ!」
「闘争心がないならやめちまえ!」
自分はもう、二度と選手として試合に出られないかもしれない。
そして社会では「こんなこと」も起きている。中古車販売大手「ビッグモーター」による大規模な不正と犯罪。大きな利益を得るために顧客を騙し欺き、客の大事な車を故意に傷つけるという、もはや鬼畜の所業である。
名門国立大学に通う学生たちのサークル、何度も日本一に輝いていた有名大学の名門ラグビー部、業界トップの有名企業、そんな人たちによる迷惑行為や犯罪行為。
優秀な頭脳を持っているはずの学生たち、誇り高いスポーツマンシップに則ってプレイするはずの部員たち、そして車という命に直結するものを扱う会社による、数えきれないほどの不正と犯罪。
大学や会社が掲げる理念とはかけ離れた現実がそこにはある。いい大学、いい会社に入ればいい人が多いはず、そんなものは幻想なのだ。
ただ───
出会ったその「運」を、そこからどんな「縁」にするのかは自分次第。
仲間との連帯感のために障子を破れと言われたとき、勝つために危険すぎるタックルを、利益を得るために不正を指示されたとき、どうするか?
その選択は、あなたの欲望と良心に委ねられる。
もしそこで拒否すれば、そのコミュニティから排除されるかもしれない。逆に、そこで言われた通りにすれば、そのコミュニティでの立場は安泰かもしれない。
だとしたら、どちらを選ぶべきか?
それを考えて欲しいのです。
もしあなたが、何よりも仲間との連帯感を大事にしたい、どんな手を使ってでも試合に勝てばいい、自分さえ儲かればいい。そういうマインドであれば、その心に従えばいい。
逆にもしそこで「これはおかしい」「間違ってる」そう思ったのなら、取るべき道はひとつ。ただし、それはきっと、イバラの道になるだろう。
友人、そして仕事を失い、あなたは途方に暮れるかもしれない。しかし、そんな逆境こそ、あなたの真価と人間性が問われるときだとも思うのです。
仲間外れにされたくないから、みんなと同じことをする。試合に出たいから監督の理不尽な指示に従う、お金が欲しいから不正もやむなし。
そう思うことも、それに従うことも私は否定はしない。それであなたの心や懐が潤って日々を楽しく過ごせるのなら。
しかし、誰かに大きな迷惑をかけたり、傷つけたり、騙したりする日々を送って得られる友情とか栄誉とかお金で、あなたは本当に幸せだろうか?
なにより、誰かに迷惑をかけたり、傷つけたり、平気で騙したりするような仲間や同僚たちを、あなたは尊敬できるのか?好きになれるだろうか?
ずっとそうした人たちと生活や行動を共にしていたら、最初は痛みを感じていた心も何も感じなくなるだろう。誰かに迷惑をかけたり、傷つけたり、騙すことに慣れてしまうから。それが当たり前になってしまうから。
そして、最も怖いのはそうしたマインドになった自分を「大人になった」「立派になった」「人として強くなった」と本気で思っている人が、この世界にはたくさんいるということ。
「騙すほうより、騙されるほうが悪い」
「騙されるより、騙す側になれ」
ここまでくると、もはや詐欺師である。
「類は友を呼び、朱に交われば赤くなる」
その言葉通りに、負の連鎖に取り込まれるか、その連鎖を断ち切って、正しい方向へと舵を切れるか。それはあなたの心次第。
若い頃なら、つい周りに流されたり、ノリでついやってしまうということもある程度は許される。ただ、そうしたことにズルズルと甘え続け、自分に強い芯を持たないままどんどん流され、年を重ねてしまえば、気づいたらもう自分ではどうにもできないところに辿り着いている。
常に同調圧力に跪き、会社や仲間内の狭くて歪んだ常識の中で、日々犯罪まがいの仕事をしていることをもはや気にも留めていない大人たち。生きている実感を感じることもないままに、ただただ日々刹那な快楽に溺れる大人たち。
そんな、心を失くした「貧しい大人」を私はたくさん知っている。
誰と出会うかは「運」であり、その出会いは運命かもしれないけれど、その出会いをどんな縁にするかは自分の心にかかっている。ただ───現実は時に、残酷すぎる試練をあなたに課すかもしれない。
出会う人がことごとく「悪い人」だったら?
まるで「運が尽きた」かのように。
そんなときは、無理して友達なんて作らなくていい。
けど・・・
「友達がいないと寂しいし、どこにも行けない。孤独は辛いし耐えられない」
その気持ちはわかる。けれど、その「自分には友達が誰もいない」時期をどう過ごすかで、あなたの未来はきっと、大きく変わるはずだ。
案外、自分ひとりでできることはたくさんある。というか、自分だけだからできることがたくさんある。
本を読んだり、映画を観たり、ゲームをしたり、あるいは何かを学ぶこともできる。友達と過ごすはずの時間すべてを、その「何か」に充てることで、あなたは必ず「ある人」と出会える。それは───
「自分が知らない、まだ見ぬ自分」そう「新しい自分」に。
自分たった一人で過ごす時間は、人によっては途方もなく長く感じるかもしれない。場合によってはまるで「暗闇の中」にいる気分かもしれない。
しかし、そんな中、本を読んで映画を観て、自分がどう感じ、どう思ったか、そうやって自分との対話を繰り返すうちにどんどん自分の深い部分へと入っていく。
自分を知ることは、自分の可能性を感じることであり、自分に何が出来て、自分は何がしたいのかが明確になる。自分は何者なのか、自分がどうあるべきか、そんなことを考えていくことで、あなたには人としての「深み」や「凄み」が備わっていくだろう。
その時間が長く、そして深いほど、あなたの人間としての魅力を作ってくれるはずだ。
そしていつか、本当に「いい人」に出会えたとき、あなたがそれまでに培ったあなたのその魅力を肴に、お酒を飲むのもいい。そんなかけがえのない「縁」が生まれたとき、あなたはきっと思うはず。
自分は「運がいい」と。
荷台が空っぽの、少し大きめな地方ナンバーの車が、私の目の前を通り過ぎてゆく。
心に空いたその穴に、見えない涙をたくさんためた両親は、その涙がこぼれないよう、空を見ながら子供に作り笑顔を残して、故郷へと帰っていく───
彼や彼女が次に親に会えるのはいつだろう。
笑顔で無事に両親に会えることを、私は東京の空に願う。
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