見出し画像

最後に残ったお寿司を食べるのは、誰?


幼い頃から思っていたこと。それは───
 
「人が集まるところにお寿司あり」
 
冠婚葬祭に始まり、友人同士で集まるホームパーティーなどに並ぶ、定番のごちそうといえばコレ。日本人はお寿司が大好きである。
 
そしてもう一つ、私が幼い頃から疑問に思っていたこと。それは───
 
みんなが大好きなお寿司が、最後に「少しだけ」残ってしまうこと。取り残され、まるで忘れられてしまったかのように一貫、あるいは数貫残っているその光景を、私は幼い頃から何度も見てきた。
 
みんなが大好きなお寿司がなぜ「少しだけ」残るのか?みんなが大好きなものなら残るはずがないのに。
 
その理由は大人になった今ならわかる。

最後に残った1~2貫のお寿司を食べるのって、なんか食い意地が張ってるみたいに見えるし、ちょっと空気の読めない人だと思われるんじゃないかと思ってしまうからだ。
 
かといって、そのお寿司を見かねて「誰か、食べなよ」などと提案しようものなら、「食べていいよ」とか「私はお腹いっぱいだから」と返され、まるで「食べたもん負け」みたいなおかしなことになる。
 
大人であればあるほど、そうした大人な振る舞いをしてしまうがゆえに、結果として何の罪もないお寿司がワリを食う。
 
いつからか、私はそのことに対して「モヤッ」としていた。残ってしまえば勿体もったいないし、最後の最後で誰かが食べるとしても、どうせ食べるならカピカピになってしまう前の美味しく食べられる時に食べたほうがいい。食べられる側のお寿司だって、きっとそう思っているだろう。
 
この問題、いったいどうしたら解決できるのだろう? よい解決策はないものか?
 
そんな時の定番といえば「じゃんけん」である。日本人はじゃんけんが大好きだ。ただ、
 
 この「じゃんけんをして勝った人、場合によっては負けた人が残ったお寿司を食べる」という方法だが・・・お寿司を目の前にして大人たちがジャンケンをする、その様子を思い浮かべて欲しい。
 
無邪気な子供がするなら微笑ましいが、いい歳をした大人たちが、残った数貫のお寿司を目の前にジャンケンをするというのは、あまりスマートなやり方ではない。
 
もっと楽しくあるいは面白く、そしてスマートに、この「最後に残ったお寿司」問題を解決できないものか。
 
 苦悩する私の目の前には、同じく苦悩の表情を浮かべた、ある野球選手がいた。その時、私はある野球選手を追ったドキュメンタリー番組を見ていたのだが、そこでひらめいたのが───
 
「ドラフト」だ。
 
そう、お寿司をドラフト会議にかけるのだ。

今、私の目の前にいるその野球選手が、かつてドラフトで指名されプロの世界に入ったように、寿司ネタを選手になぞらえ、各球団の監督という名の参加者がそれぞれ指名するのである。名付けて───

お寿司ドラフトである。
 
 
やり方はこう。
 
まず、トランプサイズぐらいの紙を数十枚用意する。

そして、目の前に用意されたお寿司のネタ全種類を一枚につき一ネタ、参加人数分書く。
 
例えば、お寿司の種類が6種類で人数が6人だったとしたら、全員が全種類の6つの寿司ネタが書いてある6枚の紙を持つことになる。準備はこれだけ。
 
そして、いよいよ「お寿司ドラフト」スタートだ。
 
やり方は「プロ野球のドラフト会議」と同じ。監督(参加者のこと)がそれぞれ欲しい選手(食べたい寿司ネタ)を指名していく
 
ここで大事なのは、みんながそれぞれ「チームの監督」になりきることだ。一見バカバカしいことは、真面目にやればやるほど面白い。
 
いかに有望な選手(お寿司)を獲り、いいチーム(お寿司セット)を作り上げられるか。まさに真剣勝負である。
 
 
まずは「第一回選択希望お寿司」を監督(参加者)全員が発表する。自分が食べたいネタが書かれた紙を、監督たちが自分の前に出す。出す人の順番については事前に決めておくといい。
 
それぞれの監督の「一巡目で獲りたい選手(食べたいお寿司)」が出揃ったとき、もし希望選手(お寿司)が被っていたらそこで抽選である。他の人と競合していなければ即獲得。

ただ、お寿司ドラフトの場合、1~2巡目あたりまでは、それほどバッティングしないだろう。なぜなら、人気の寿司ネタは複数個あるからだ。
 
おそらく、3巡目あたりから選手(寿司ネタ)の争奪戦に突入する
 
欲しい選手(寿司ネタ)が被った時は、プロ野球ドラフト会議のようにくじ引きでもいいし、他に楽しそうな方法があればそちらでも構わない。
 
そして5巡目、6巡目と続くのだけれど、「私はこれで十分」という場合は指名を終了し、もっと選手(お寿司)を獲りたい(食べたい)人だけでドラフトを続ける。最後の一貫がなくなるまで。ただ、それでも
 
もし、残ってしまった場合はどうするか?
 
そんな時のために「ドラフト指名数が最も少ない人が無条件で引き受ける」など、みんなで面白がれそうなルールを作っておくといい。
 
こうすれば「お寿司は最初でなくなる」ことになり、最後にお寿司が残るという事態は回避できる。が、しかし───
 
「やっぱ、食べれない」
 
選手獲得後にそんな監督が出てくることも想定内。その場合は、その選手(お寿司)を自由契約にして、どこかの球団(他の参加者)に引き取ってもらうか、あるいはトレードやFA(フリーエージェント)で、選手(お寿司)を交換してもらうことも可能。
 
これが私の考えた、最後にお寿司が残らないための「お寿司ドラフト」の全容である。
 
 
念のため言っておくが、この「お寿司ドラフト」は場所と人を選ぶ
 
さすがに「お寿司ドラフト」をお葬式でやってみよう!などという荒くれ者はいないと思うけれど、この先やってくるゴールデンウィークなどでもし、友人知人と集まって、そこにお寿司があったなら、是非試してみて欲しい。
 
「面白そう」とノッてくれる人もいれば、なかには「しょーもな」「くだらない」「メンドくさい」という人もいるだろう。実は・・・
 
この「お寿司ドラフト」は、友人知人の好きな寿司ネタがわかるだけではない。
 
 
誰かがその場を「楽しくしよう」「面白くしたい」と思ってこうした企画を提案していることに対し、果たして参加者がどんな反応を見せるか。その態度で、その人の性格や人間性を「少し」垣間見ることが出来たりする。
 
もし、「お寿司ドラフト」の話をしただけで「面白くなさそう」という人がいたら、あなたなら、その人のことをどう思うだろう。
 
 人間というのは「ふとした瞬間」に、その人間性がわかるもの。
 
すべてを全肯定するのも考えものだけれど、みんなのことを思い、みんなを楽しませたいと思って何かを提案してくれる人に対して、自分の気持ちのことしか考えられない人というのはちょっと残念な気がする。
 
お寿司ドラフトは、お寿司をネタに、参加者たちの人としての「味わい深さ」や「旨味」を炙り出す「ゲーム」ともいえる、のかもしれない。
 
 
この「お寿司ドラフト」、実は先日、友人8人で集まった時にやってみた。

みんなで爆笑しながらドラフトは進み、みんながそれぞれに個性あるチーム(お寿司セット)を作っていた。
 
そして、みんなでお寿司ドラフトを振り返りつつ、みんなが周りに遠慮することなく、自分が好きなお寿司のネタを食べているのを見て、なんだか幸せな気持ちになった。その時のお寿司は心なしか、いつもより美味しく感じた。
 
「お寿司ドラフト」で獲得したお寿司には「遊び心」という人生のスパイスが効いていたからかもしれない。
 
ちなみに、私がドラフトで獲得した選手は総勢5人。内訳はイカ3貫と玉子2貫。一番メンバーの少ないチームだった。

私は小食ではないし、ダイエットをしていたわけでもない。なのになぜたったの5貫だったのか?実は───
 
私は、お寿司が苦手なのだ。
 
イカと玉子とおしんこ巻きぐらいしか食べられないのである。そんな私の今年の目標の一つが
 
「マグロのお寿司を食べること」
 
まるで小学生のような目標だけれど、この年になってもまだ「未経験なこと」があることを、私は前向きに愉しみたいと思う。
 
果たして、みんなが言うように「マグロ」は本当に美味しいのだろうか?

ただ───

みんなと一緒に食べるお寿司、なんだかもう、それだけで美味しい気がする。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?