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台湾に出会う『流』東山彰良

「きみのおじいさんはいつも不機嫌でした」岳さんが言った。「胸のなかにまだ希望があったんでしょうね」
「希望?」
「苛立ちや焦燥感は、希望の裏の顔ですから」

東山彰良『流』講談社

祖父殺害の犯人を探すうちに、17歳の高校生、秋生は朝の公園で仲間と日本語の歌を演奏して歌う岳さんを訪ねる。

外省人として台湾に来た祖父が日本を懐かしむ岳さんのグループを目の敵にし、いざござがあったと聞いたからだ。

とくに近代以降、台湾は歴史の大きなうねりに巻き込まれ、その過程で簡単に相容れられない異なる背景を持つ人たちが隣り合わせに暮らしている。相手を受け入れられなくても、岳さんのように立場や心情を察することでどうにか折り合いをつけながら暮らしている人もいれば、秋生の祖父のように何かに感情をぶつけなければ収められない人もいるのかも知れない。

本書は2015年の直木賞に満場一致で選出された作品だ。
面白くないわけはないのに、当時なぜか私は読むのに頓挫した。これといった理由はいまでも思い当たらない。

そして数年の時を経て本書に再会できたのは『50歳からのごきげん一人旅』のおかげである。
著者は料理研究家の山脇りこさん。国内外をひとり旅する醍醐味と、痒いところに手が届く情報や工夫が満載。軽妙かつ優しいことばで綴られた旅エッセイである。
『流』はこの本の「台湾を知るための数冊」のなかで最初に挙げられている。

いまの台湾は、日本から近くて人が親切な、日本人にとって安心して出かけられる場所のひとつである。コロナ明け最初の渡航先として台湾を思いついた人も多いのではないだろか?
ただ私たちの多くはその歴史を知らない。

『流』の舞台は1975年の台北。
約50年前、自分や家族は何歳だったのだろう。そうして重ね合わせてみた台湾はさらに身近になるだろうか?遠ざかるだろうか?

しかし、物語の世界で秋生と一緒に台北の街を駆け回り、街の匂いをを感じられたら、少なくともなにか身体の底から湧き上がるようなガツンとした熱量を感じることができるのではないだろうか。

人生のうちで出会う本には限りがあり、読書好きならできるだけたくさんの本を読みたいと思ってしまいがちである。
ただ、こうして巡り巡って一度は縁がないと思った本と再会できる。本はそこで待っていてくれるのだから。

それもまた読書の楽しみである。

*Audible 版も楽しく聴けますが、國語にルビがふってある表記も多いので、文字で読む方が理解が深まるかもしれません。

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