飲食店で撮られた写真をめぐる葛藤について

あったこと:美味しいお酒と料理をたらふくいただいて帰って、翌日、店名で調べたらそのお店のSNSに自分たちの写った写真が上がっていて、えらいことショックを受けた。

以上。

なんでこんなに自分がショックを受けているのかにわかに理解しかねたので、ちょっと心を掘って内省してみようかと思う。

撮影状況:テーマに沿って料理とお酒がコースで提供される、予約制のイベントでのこと。店舗は貸切営業で、その場にはお店の関係者と事前に申し込みをした客だけがおり、「最後に写真を一枚」との声かけで店側が撮影した。よって写真は自然なスナップ/知らずに撮影されたものなどではなく、集合写真のていを成していて、写った人間は皆自分が撮影されることを了解している。もちろん私も。

・お店が客の顔の分かる写真をSNS掲載するのは良くないと思うか?

NO。

嬉しくはないけれど、彼らが仕事で撮影した以上、彼らの仕事に使われることは仕方ないと思う。多少空気を悪くするにしろ、使われるのが嫌ならその旨を先に自分から申し出ても良かったはずだ。撮影される時にまったくこの事態を想定していなかった自分にむしろ驚いている。

それなりの酒量を飲んでいて判断力が落ちていたせいかもしれないし、単にお店を信頼していたのかもしれない。このところは「使っても良いか」を確認してから(嫌な人は横に逃げておいてOKな人だけで)撮影されるような場を見ることが増えていたので、了解を取る作業なしでSNSに流れるという想定が逆に抜けかけていた。

・自分の顔の分かる写真をSNS掲載されるのは嫌か?

YES。かなり嫌。

まず、自分が特定されることにかなり強い恐怖と不快感がある。実際に特定しようとする人がいるかではなく、それでどんな具体的被害があるかということではなく、特定されかねないヒントがひとつ提供されるだけで嫌だと思う。

一方でわがままなことに、自分の情報発信に関してはそのハードルはもう少し低い。たぶん他人の投稿より自分の投稿の方がよっぽど情報多くてガバガバなんだけど、他人に知らないうちにやられるというのがどうも嫌だ。

あともう一点、結構重要なことに、私は私の容姿をあまり自慢に思っていないというのがある。極端に不美人だとは今は思っていないが、美しいや可愛いにカテゴライズされる顔ではなく、胸は平坦で下腹が出ており猫背で笑い方が卑屈で、それらを払拭する努力にあまり熱心になれない。

私は私という不定形のみすぼらしい生き物を、日々、なんとか人間の形に装ってドアの外へ送り出している。誤解のないように言うと、私はだからと言って不幸なつもりはない。谷川俊太郎が何かの詩で「きみ」に、まぶたの上のその青いやつも取っちゃった方が好きだな、みたいなこと言ってたけど、そんな風に装飾のない私を大事にしてくれる人が隣にいて、仕事を頑張ればちゃんとお金と居場所をくれる職場があって、だから現状、大変に幸福なのだけど、それでもよそ様を不快にさせない程度でなんとかぎりぎり外ヅラを作れたら御の字よねという自己認識を持つ身としては、自分の外観をこんな風にある一瞬で切り出され、固定化され、出し抜けに見させられるというのはなんともハードな体験となる。

・ショックを受けた理由にその他の要因はないか?

ある。

言ってしまえば「自分がそのお店での体験を発信する機会を奪われたこと」を大変不満に思っている。

上に述べたような考えの人間なので、お店のSNSに自分の顔写真が上がった以上、そのお店でそのイベントに参加したという発信はできなくなったことになる。美味しいお店だから美味しかったと是非とも語りたいのだけど、今誰かにそのお店に興味を持たれては困る。あるいはお店に興味を持った人に見つかるのも困る。

店名も出さず、美味しかったと料理の写真だけ載せるならそうリスクはないのだろうけど、今回に関しては、店名を出したいタイプの経験だったのだ。その店で美味しい思いをしたとみんなに自慢したかったし、興味のある人が見たら一度来店してみようかなと思ってもらえるような応援がしたかった。けれどその機会が失われた。とても悲しい。

たとえば、1時間以上並んで買ったタピオカミルクティーの写真をSNSに載せてはいけないし、飲んだことも発信してはいけないとしたら結構な人ががっかりするんじゃないだろうか。料理自体が美味しかったかとは別に、もう一つおまけの楽しみがあったはずなのに駄目になったような、そんな悲しさに私は包まれている。


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