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第14回 村長散歩日記【日常編】 230525(毎週ほぼ木曜配信)

 
(島田啓介マインドフルネス・ビレッジ村長による村長日記です♪)
 回覧板代わりの村長日記。

今回は、プラムヴィレッジの僧侶団と一緒に過ごして感じたことです。5月1日にカレッジ学長の井上ウィマラさんと対談してから、2週間ほどリトリートやイベントがあり、「プレゼンス」をずっとテーマとして考えています。5月はプレゼンス月間? そして今気づいたことを書いてみたいと思います。

ビレッジは村外向けの参加自由のイベントもあります。興味を持ったらぜひいらしてくださいね。
 
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【第14回:プレゼンス~たしかにここに存在する力】

*プラムヴィレッジの僧侶の方々と接していて強く感じたのは「プレゼンス」ということだ。日本語では存在感なのだが、さらに言えば、今ここにちゃんと居るというあり方である。そういった人からは強い影響を受ける。
 逆に言えば、万言を尽くしても少しも響かない言葉もある。沈黙の方がはるかに雄弁と実感することも。どうしてだろう? 意識の持ちようでそれほど伝わり方が違ってくる。



「うわの空」という言葉があるが、それに対してこのごろ「下の大地」と冗談めかして言うことがある。地に足が着いているということ、たしかにそこに居る実感だ。他者についても言えるけれど、自分でも存在感が無くふわふわしているときと、しっかりとここに居るときの感覚の違いを感じる。
 浮ついているときには、まわりの状況にたやすく影響され、すぐに心がさらわれやすい。どこへ行ってもアウェイであり、ホームの落ち着きと安定がない。ホームとは自分の根拠地。住んでいる感覚であり、まぎれもなくここに居るという実感だ。
 プラムヴィレッジで歩く瞑想のときに好んで歌われる“I have arrived, I am home. In the here and in the now”がある。今回も何度歌ったことだろう。歩いていなくても、つねにここがホームであることを思い出させる歌だ。今ここ、ここ以外に私たちは居ないのに、それ以外に居るという幻想を持ってしまいがちだ。
 じつはここに居る以外のあり方はない。それでも私たちは「うわの空」を作り出している。それは創作なのである。創作をやめれば、いつでも今ここに居る。それを思い出させる歌である。
 これを人生のテーマとして実践しているのが、プラムヴィレッジの僧や尼僧だ。彼らは専念している。〈もっぱらマインドフルである〉ということ、それが専念だ。人が何かに専念するとき、そのプレゼンスがはっきりとする。そこに確かにその人は存在する。
 今存在しないのなら、いつするのだろう? いつまでもそれはない。それを忘れてさまよう放蕩息子が私たちだ。でも大丈夫、迎えてくれる大いなる親がいる。それは呼吸だ。気づけばいつもそこに居て迎えてくれる、だからさまよっても大丈夫。これが私たちのホームである。



 日本人でプラムヴィレッジに出家したブラザー・サンライトが、一昨日、昨日と我が家に滞在して、仲間とともに瞑想会を行い、翌日は妻とぼくとで箱根の温泉に行った。一緒にいると、その存在が如実に伝わってくる。
 サンライトは、暇さえあれば歩く瞑想をしている。とても自然で身に着いた動作だ。とりわけ待っている間は必ず歩く瞑想。ゆっくりと、微笑みながら、幸せに。あらゆる瞬間にマインドフルネスの実践を重ねている。そうした人の存在感は「不動自在」=solid and freeである。歌の通りに。
 ティク・ナット・ハンの言葉に“Mindfulness is a Source of Happiness”があり、今年の来日ツアーの記念Tシャツのプリントにも選ばれた。今ここに住むこと、それこそが幸せの瞑想だ。本のタイトルにも『ティク・ナット・ハンの幸せの瞑想』(徳間書店)とある。
 今ここにとどまること、プレゼンスを表すこと、それが幸せである。だから“Present Moment, Wonderful Moment”とも言う。実践を通してしかわからない。
 ホームに戻ろう、この一呼吸で。そうすれば、いつでもここがホームだ。
 


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*毎月のスケジュールはこちら(ときおり変更もあるので、必ず以下から確認してください)
https://mindfulness-village.mystrikingly.com/schedule
 



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