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【TEALABO channel_25】皆と違う道を歩んでも、自分の感覚を信じ続けること。 -山下緑茶園 山下諭さん-

鹿児島のブランド茶である「知覧茶」の作り手を直接訪ねて、その秘めたる想いを若者に届けるプロジェクト「Tealabo Channel」。

日本茶は全国各地に産地があり、各産地で気候や品種、育て方が違います。そんな違いがあるから「知覧茶」が存在します。一年を通して温暖な気候がもたらす深い緑色と甘みが特徴である知覧茶の作り手の話を皆さんにおすそ分けします。

第26回目は、『山下緑茶園』の山下諭さんにお話をお伺いしました。

迫られた選択の中で

取材冒頭、まずは山下緑茶園の自園へ。

360度見渡すと水平に茶畑の世界が広がり、大野岳も望むことができる景色は、つい息を呑むようにと眺めてしまいます。

そんな場所で茶業を始めた経緯について教えてくださいました。

「高校卒業後は一旦就職で関西へ出たんです。当時は建設会社に勤めていました。そこで出会った妻と結婚し、そのまま関西に残ることも考えたんです。鹿児島へ戻るきっかけは妻からの言葉でした。」

“関西で暮らすのか、鹿児島で暮らすのか。はっきりしてよ”

「その土地で1~2年生活すると環境に馴染んで離れづらくなるので、結婚と同時に二択を迫られました(笑)。」

山下緑茶園 山下諭さん

29歳で地元・頴娃(えい)町へUターン。

元々ご実家が茶農家をされていたこともあり、そのまま就農することになったといいます。

「両親からは“後を継いでほしい”といった言葉は全くありませんでした。就農したのも選択の中で自然に生まれた結果なんです。

「最初はわからないことだらけでした。だから、地域の農家さんや公的機関に色々聞いて、それを実践していきました。自園の面積が少ないこともあり、どんなに頑張っても結果は見えていました。だから、なた豆の小売や他の仕事をしたりしていました。」

暮らしを考えた結果

「実は13年前に妻が亡くなったんです。だから、男手一人で子どもたち3人を育ててきました。」

現在の山下さんにとって何が仕事の原動力となっているのか。
そんな質問をしたところ、そのように答えられました。

子どもたちをちゃんと育てないといけない。学校へもちゃんと行かせたい。それをどうにかこなすために必死に農業をやってきました。ある意味、農業をやっていてよかったと思います。会社員だと子どもたちに何かがあった時にすぐに駆けつけることができませんし。」

山下さんは長年、枕崎に住みながらも、頴娃を行き来して農業と子育ての両立をされてきました。

その真意は何なのでしょうか?

それは子どもたちを想う親としての心でした。

「枕崎は国道沿いでバスもあります。バスがあれば気軽に高校へ通えるので、そこを考慮して今の住まいにしました。」

「頴娃の実家もあるので、そこに住む選択肢もありました。周りからは“家賃がもったいない”“何で?”と言われます。でも、もったいない、じゃないんです。農業をしながら子育てをする環境を考えると、枕崎がベストだったんです。人に送迎を頼むとしても、そんな頻繁にお願いするわけにはいきません。」

今年の春、三番目のお子様が高校を卒業して子育てが少し一段落するようで、少しホッとした表情でこれまでのお話をしてくれました。

自分が決めたことを貫くことで

山下緑茶園では緑茶・なた豆以外に力を入れているものがあります。

それは柑橘系の栽培。今年はさらに栽培面積を増やすことを検討されています。

「毎年一番茶に力を入れ、二番茶の夏場以降は柑橘の手入れに集中しています。柑橘の手入れって、全て手作業なんです。大変ですが、面白いです。ウチで育てたタンカンが美味しいと言ってくれるお客様も多いです。」

山下さんが柑橘の栽培を始めたのは数年前のこと。

知覧茶の生産者のほとんどがお茶一本だからこそ、周りからは違った目で見られることもあるといいます。

「お茶については一番茶だけに絞ろうと考えているところです。経費や手間を考えた時に、それがベストだと思うようになりました。

2番茶以降の収穫時にお茶を摘まないので、“どうしたんだ?”“お茶を止めたのか?”と連絡があり、周りからは変なことをしているんだろうと思われているのかもしれません。

でも、どちらもいい加減に取り組むつもりはありません。お客様に“美味しい”と喜んで買ってもらえる良い品を作っていきたいです。」

地道に続けてきたからこそ

周辺地域の催事があれば、できる限り売れることを想定した上で臨んでいるという山下さん。行政や商工会からは毎回催事に声がかかるといいます。

「どんなに小さな催事でも声がかかれば参加しています。たくさん準備をしていったのに全く売れないこともありますが、それでもめげません。生産者によっては1回でも売れないことがあると、その催事に次から参加しないケースが多いです。私の場合、どんな結果であれ、参加することも地道に続けてきたからこそ、声をかけてもらっていると思っています。

そう話していると、オリジナルの箱に詰めたタンカンを持ってきてくださいました。

箱には韓国語・中国語・英語が記載されており
将来的には輸出も見据えているとのことでした。

子育ても落ち着き、お子さんが県外へいらっしゃることもあり、九州以外でも販売も考えているそうです。

「子どもたちに会いにも行けますし、普段販売していないエリアでやるからこそ、今までと違った広がりや繋がりができるのではないかと思っています。それも継続していれば今までできなかったことに挑戦できるかもしれません。」

「例えば、商品開発。知識がなく一歩踏み出せなかったのですが、経験がある方と出会って、それができるようになれば武器も増えますし。」

継続してきたからこその見据える新しい可能性を嬉しそうにお話されていたのが印象的でした。

自分の感覚を大事に

「僕自身にも言えることですが、時代の変化に対応した動きを展開していかないといけない。そこを強く感じています。」

茶業に従事する上での課題について尋ねるとそのように答えられました。

「もちろん、皆さん日々懸命に努力して、良いお茶づくりをされているとは思います。でも、それが中々うまく外に伝わっていない気がするんです。」

「生産量や面積どうこうではなく、消費者でもあるお客様にとって、それぞれの生産者が作ったお茶が魅力的に感じられるような見せ方を官民一体でやっていく必要があるのではないかと。」

自身の環境に応じて変化し続ける人生を歩んでこられた山下さん。

最後に今後の展望について伺いました。

「柑橘栽培を始める時も“誰もやっていないんだったら、やってしまおう”と思い、決断しました。結局、動かないと何も始まらないと思います。自信はまだまだないですし、うまくいかないことも多いですが、動いてきたからこそ、色々気づけることができました。」

お茶も柑橘も時間はかかりますが、時間軸が全然違うんです。求められる味も変わってくるので、常に自分の中で先手を打つ必要があります。そこに何かがあると感じれば“いける!”と思うんです。他の人と進む道が違っても、自分の感覚を大事にしていきたいです。」

誰かと違う道を歩むことは簡単ではありません。

時には冷たい視線を感じることもあると思います。

それでも、自身の感覚で
今のスタイルを貫いた山下さんの人生からは

“自分を信じろ”

そんな風に背中を押してもらっている気がしました。

【プロフィール】
山下 諭(やました さとし)
1968年南九州市頴娃町生まれ。頴娃高校を卒業後に関西の建設会社へ約12年間勤務。その後地元に戻り就農。現在は頴娃と枕崎を拠点にお茶やタンカンの生産と販売に取り組んでいる。

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