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快風丸に黒人が乗船していたこと

水戸光圀が蝦夷地に派遣した快風丸には、黒人2人がいて帰港してからはそのまま湊村に住んで子孫を残した、という話があります。
そのことに触れた書物を探してようやく該当記事を見つけました。

義公ノ海島ヲマハラセラレタル大船ハ快風丸ト云
心越ノ書タル額立九尺横三間ハカリ評定所ノ畳所ノ上ニツキ又吟味方ノウラ枝ニメヲキアリ
寛延三年四月十一日評定所火災ノ候ニ消失スト皆川弥六話ナリ
快風丸ヲ出セラム時ニハ崙崑奴二人長崎ヨリトヲセラル
後ニ此奴湊ニ留マリ今ニ其子孫アリト候
氏名隠メ誰ナル力ヲシラス

郷党遺聞上

快風丸の額が評定所に保管されていましたが、寛永3年に火事で消失したことも書かれています。
崑崙奴(こんろんど)とは、漢代以後南洋から渡来した黒人の呼称とのこと。

義公様ノ時快風丸ヲ出世セラシシ時
崑崙奴二人○○○召ヲセラル
船ノウエノハタラキノ自在ナル奴ナリ
コノ崑崙奴ノ子孫湊村ニアリ
今頃各某ト○ルモノコレナリ○○

事蹟雑纂抜書

この書物にも湊村に子孫があること、そして快風丸ではよく働いていたことが触れられています。

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