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みきゆうフェローのこと:わたしがまちづくり法人に参画したワケ(後編)

ビアパーティに支援者現る!

有志グループの発意がエリマネ団体の河川利用社会実験のタイミングに合致したことで実現した「ビアパーティ」(参照: みきゆうフェローのこと:わたしがまちづくり法人に参画したワケ(前編))から半年。同じエリマネ団体の構成主体である東急電鉄(当時)の別部署から、当時取り組まれていたクリエイティブ・シティ・コンソーシアム(以下ccc)の活動のひとつとして支援するので河川敷イベントを一緒にやりませんかと市原さんにお声がかかりました。地域の弱小グループからするとある意味タナボタでしたが、ビアパーティの風景を評価してもらったこと、cccの活動拠点であった二子玉川ライズ内にある「カタリストBA」(以下CBA)には地域をフィールドにしたいと考えるクリエイターの方たちが多く集まっていたことからの流れでした。
「地域のスモールビジネスの振興」「地域クリエイターのまちづくりへの参画機会創出」の2点を目的として取り組む、と当時のプレスリリースにかかれています。

TAMAGAWA BREWの誕生

2018年の春先、ビアパーティのメンバーがCBAの会議室に招かれ、ccc担当チームとCBAのマネジメントチームのみなさんとで進化系ビアパーティの事務局がスタート。地域住民と企業メンバーが、二子玉川の河川敷でつくりたい風景、大切にしたい価値観を話し合い、新たな取り組みのコンセプトをつくっていきました。

対岸川崎市側ではBBQ場が常設されている一方で、世田谷区側は以前は同様にBBQができた時代もあったけれど、現在は区立公園となって、ピクニックや自然あそびなどに訪れる人々が多摩川の流れを眺めて憩う、緩くて落ち着きのある使われ方になっています。そういう日常を尊重しながら、多摩川の恵みをより感じられる機会、クリエイティビティを発揮できる機会にしたい。ただイベントとして賑やかすだけでなく、ムーブメントでもあることを表現できるネーミングにしたい…。

わたしは、このときは漠然と、常設商業化された河川敷利用への抵抗と、ここの場所には誰にでもDIY的な新しい挑戦ができる余地がまだまだあると思っていた記憶があります。

小さなアクションから都市空間を変えていく、「タクティカル・アーバニズム」の考え方です。

長閑な兵庫島公園(2017年の夏)

みんなで絞り出したネーミングは「TAMAGAWA BREW (タマガワブリュー)」コンセプトは「たまがわをたくらむ」でした。

「BREW 」には、醸造、醸成という意味の他に、(悪事を)たくらむという意味もあるとのこと。悪事はよくないですが、「ワクワクをささやかに試していこう」というニュアンスで、「たくらむ」という言葉を捉えることにしました。

「 たまがわをたくらむ 」
TAMAGAWA BREW は、二子玉川の水辺に豊かな風景を醸成する試みです。 今回は、初夏の風が吹く兵庫島公園に、美味しいお酒やお茶、ワクワクする遊び、 ゆったりとみんなで囲む焚き火、自然のなかで楽しめる映画や音楽を用意しました。 ささやかな仕掛けから、多摩川の「たくらみ」がはじまります。 いつもの水辺で、誰もが分け隔てなく、憩い、笑い、もてなし、語り合い、 ありのままの自然を楽しむ時間が日常になること。 心が通う瞬間を積み重ねることで、豊かな風景が育まれると思うのです。
さあ、たまがわをたくらもう!

TAMAGAWA BREW vol.01 開催時のプレスリリース(2018/05/23)より

2018年6月1日〜3日の3日間、なんとまたも天候に恵まれて、水辺のフェス・TAMAGAWA BREW の初回vol.01 が開催されました。

強力な支援でステージアップするも…

コンセプトメイキングをはじめ、ロゴ、サイト、素敵なファニチャー、クリエイターの参画…焚火台まで登場。すべて企業の支援(というか主導)がなかったらできなかったことです。行政手続きも企業の方がされたので、わたしたちはというと、ちいさなたくらみDIYマインドを持ち込んで空間の魅力を引き出そうと、木陰でライブラリーをやったり、野川べりにランタン席をつくったりしました。

TAMAGAWA BREW vol.01  ステキなファニチャー
TAMAGAWA BREW vol.01  音楽と映像のアーティストコラボレーション
TAMABAWA BREW VOL.01 /川にまつわる本を集めたライブラリーを小さく出しました

vol.01 が大成功だったので、同2018年の秋にvol.02 を再び金土日の3日間、開催しようとなりました。さらにモリモリの内容で準備を進めていましたが、台風の直撃を受け開催を予定していた会場は見事に浸水しました。結局、金曜のみの実施で週末の2日間は中止になったため、レンタル電源などの費用はまるまる大赤字、準備にかけた時間も無駄になりました。

これは、1年365日のうち6月から10月は「出水期」であり、年に数日浸水する可能性があるという河川敷の基本的なコンディションなのですが、スタッフを多く割り当てる負荷に見合わないという観点からすると、「企業主導は難しい」という判断に傾くのは当然の流れだったのでしょう。それまで任意団体として活動していた「二子玉川エリアマネジメンツ」が法人化するタイミングも見えてきていたので、cccとCBAのTAMABAWA BREW への参画はエリマネ法人による支援・協力に引き継がれました。

台風で浸水したTAMAGAWA BREW vol.02 の会場

企業支援は続かないもの。しかしそのいっときの支援によってつくられたコンセプトやロゴ、サイトなどは、とてもありがたいレガシーとなりました。

ただ、支援が入って高いステージに舞い上がり、それがなくなったら元に戻っただけといえばそうなんですが、その「ジェットコースター感」というか振れ幅は、地域にとっては企業のそれとはインパクトの桁が違います。

このときの経験から、浸水する河川敷を使うときの負荷を少しでも軽くするためのインフラ(電源やロジスティクスなど)を行政に整備してもらうように働きかけていかないと、水辺の利活用はしんどすぎる。企業の支援は経済的合理性からすればあっという間に途絶えるのですから、地域の個人やグループによる「タクティカル・アーバニズム」は一定の基盤がないと進展していかない。そう思いました。

エリマネ法人のシンポジウムでインフラ整備を叫ぶ!

2019年2月24日、一般社団法人となった「二子玉川エリアマネジメンツ」は、活動報告会を兼ねたエリアマネジメントシンポジウムを開催。わたしはTAMAGAWA BREWの地域住民として市原さんとともにパネラー登壇しました。「なんせ活動するには電気と倉庫がほしいです!」と、そのことだけを叫んできましたが、現場でアクションをする者の声は、組織をつくって制度をつかう側の人たちにどう届いたのかはよくわかりませんでした。

エリマネ法人から声がかかる

ビアパーティに続くTAMAGAWA BREW を2度経験したわたしは、一住民という立ち位置ではありましたが、自分のバックグラウンド(都市工学)から、ここの水辺の制度や組織、関わる主体の複雑さは一体どうなってんだ…とだんだん嗅覚が利き始め、「ただ水辺を素敵に使ってみたい!」という個人にとって壁がどれほど高いかがわかってきました。

イベント裏方を担い、しかもある程度の専門知識があってどうにかやっとわかること。アートフローみたいな大きいものは大きいところに任せるとしても、小さくて多様な活動が河川敷という公共空間で活き活きと起こるためにはこのままじゃダメで、制度や権力構造を読み解いてつなぐ翻訳・接続機能が必要だということを強く感じるようになっていました。

そんなとき、図らずも、当時すでに玉川町会のスタッフとして二子玉川エリアマネジメンツの事務局メンバーだった、現うなラボフェロー仲間のこばなおちゃんから、「地域住民からの事務局メンバーとして力を貸してくれないか」と声がかかります。二子玉川エリアマネジメンツはこれから都市再生推進法人の指定を目指しつつ都市再生整備計画の提案準備に入るフェーズにあるから、複雑な制度の読み解きを助けてほしい、仲間になってほしい、と。

わたしたちがエリマネシンポジウムに登壇した翌日、彼女のfacebookに残されている投稿を以下抜粋します。

市区町村が指定する「都市再生推進法人」になるってことはどういうことか、公共・公益的な振る舞いってどんなことか、どんな組織なのか。公共の場において特定の誰かのやりたいことをやりたいようにやれる道具に成り下がったらパブリックな存在とはいえない、ってこと。まして日本においてはエリアの人々の選挙によって選ばれてるわけでもないのだ。そのことを徹底的に自戒自律する体制を作って前に進もうよ、と今は強く主張したい。私にどれだけできるかはわからないけれど、ベストを尽くすだけ。

2019.2.25 の投稿から

これは自分の課題感、使命感と共鳴するものでしたから、2019年4月からエリマネ法人事務局に参画することを決めました。

今振り返ってみると、自分の使命感やスキルが、法人の成り立ちや個人事業主としての就労形態等とうまく折り合っていかないことが次第に問題になっていくのですが、その論点については別稿にて。

地域における翻訳・接続機能を自分の中のミッションに据えて

二子玉川の都市再生整備計画提案では河川占用が主要テーマなのですが、わかりやすい事業計画が立てられる場所でないことは、TAMABAWA BREWの経験からも明らかでした。地域の公益的なまちづくり法人は、どのような存在であることが求められるのか、どう地域社会に役立っていけばいいのでしょうか。

TAMABAWA BREW由来の住民でありエリマネの人、という両方の顔を持つことになった自分の中に、さまざまに絡み合う制度と地域社会の構造を多言語に翻訳し、多様なチャンネルに接続を試みながら、少しずつ試していくその先に、未来が描けていくんじゃないか、というミッションが据えられていきました。これは、営利追求から逃れることはできない企業の立場では成し得ないことではないでしょうか。

TAMAGAWA BREWのような、DIY的に新しい景色をつくるアクションには、「誰が」「どんなモチベーションで」関わり、どんなことが「(続ける)インセンティブ」になるのでしょう?

こうした問いを自分の中に抱えながら、わたしの「エリマネの人」としての日々が始まったのです。

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