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ひまわりの季節と夏の民族移動と空間を満たすもの

ひまわりが咲き始めた。近くで見たくなっていつもの丘に来た。
旱魃になるかと思うほど雨が降らなかったので今年のひまわりは全体的に小ぶりのままかもしれない。

家を出ると同時に雲と風が来た。
ひまわりが風になびいて涼しい。

雷雨もこのまま来ない。夜に期待。

静かな夏。夏はいつも静か。小鳥たちにも春の賑やかさはない。

虫も鳴かない。正確には小さな声で鳴いてる。特に美しくはない声で。かさこそと。チチチチともつかぬ音をたてはする。
肌に触れる空気も薄い。乾燥しているのだ。

聞いてるだけで夏バテしそうな蝉時雨が懐かしい。
夏は濃密であるべきなのに。

なのにここでは 空まで続く空間の密度がよほど低い。
人々の夏休暇の大移動が始まり、地の人口密度までも低くなる。

唯一 夕方になると北からやってきた燕たちが虫を追って低く飛び交い忙しく鳴き交わす。それで少し空間が満たされる。
ツバメ 夏の空間を満たしてくれるのがありがたい。

長い年月が経って、これが夏の風景として心に刻まれてはいる。
けれども正しい夏 夏の根源はこれではないのだ。

日本に戻って夏に触れた途端に 夏に免疫がなくなった自分は溶け切ってしまうのにね。


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