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太陽に霞んでいた月の誕生日

*この話はフィクションです。

23歳の誕生日は、絶対に、人生最高の誕生日になるはずだった。
そのために、ずっと前から計画してきたんだもの、どうしてもそうならないといけなかった。

「私にとっての最高の誕生日は、ひとりで過ごすことです」
油断して、会社の先輩の咲羽さんに、うっかり、そう言ってしまったのが、まずかった。
「えーそんなの、寂しいじゃん」
ちょっと鼻にかかった声で言われた。
気が合わないあんたみたいなのと一緒に居るよりも、ひとりでいた方がずっといいって言いたかったけれど、それを口にするほど、私は強くなかった。
「そうですか? 私は、寂しくないですが……」
小さな声でそう言って、笑おうとして、自分の唇の上が少しひきつったのがわかった。
「そう? 私は、みんなにお祝いしてもらいたいな。私の誕生日はね、9月6日だからね! みんな、忘れないでね!」
私とふたりだけでしゃべっていたはずなのに、いつの間にか、咲羽さんの周りには人が集まっていた。
「絶対に、忘れないよ」
「咲羽ちゃん、何が欲しいか考えといて!」
職場の若い男たちが、口々に言っていた。
「どうしようかな?」
これ見よがしに、小首をかしげながら、唯一、咲羽さんの言葉に反応しない、私と同期の松山くんの前に進んで行って
「松山くんも、忘れないでね」
咲羽さんは、松山くんの目を見て言おうとしたけれど、松山くんは、それを避けるようにそっぽを向いて
「はあ」
とだけ言った。
私は、それを見て、自分の口角がぎゅっと上がってしまったことに気がついて、慌てて、口をへの字に戻した。
そっか。松山くんは、咲羽さんのこと、あんまり好きじゃないんだ。
そう思うだけで、なんとなく、心がスッとした。

私の職場の女性たちは、短大卒が多く、私も、咲羽さんもそうだった。
咲羽さんは、私のふたつ先輩だったから、大卒の松山くんと咲羽さんは同じ年だった。
同じ年だからか、松山くんがそっけないからか、それとも、好きだからかわからないけれど、咲羽さんは、何かというと、松山くんに絡んできた。
それを見ていると、なんだかいつも心に、もやっとしたものが浮かんだ。
けれど、松山くんは、決まってそっけない態度を取るもんだから、私の気持ちは最終的には、ホッとして、スッとした。

咲羽さんの存在は、私にとって厄介だった。
咲羽さんは、とても美人だったからだ。
咲羽さんを見た10人中、6人くらいが美人と言って、3人が可愛いと言い、ひとりが普通じゃない? と言うくらい美人だった。
私は、咲羽さんのことを、密かに、美人の中では、結構、間延びしている顔だと思っていた。
だけど、私の顔はまん丸で、美人にも可愛いにも引っかからない顔だったから、そんなことは口が裂けても言えなかった。

咲羽さんと私は、別の世界の人間。
そう思うことにしていた。

別の世界の人間だし、嫌いだし、関わりたくなかったけれど、なぜかどうしても気になってしまう人だった。

知らないうちに、ずかずかと心の中に入ってきて、私の決めたことを、荒らして帰って行くような存在だった。

「ひとりで過ごす誕生日が最高だ!」
私が、決めたその思いも、咲羽さんは、ズタズタにした。

けれども、本当は、もともと切り刻まれていたものを覆っていた布を、咲羽さんが通りすがりに、ふわっと、はがして行っただけなんだろうということはわかっていた。
もしかしたら、本当に私が望んでいる誕生日は違うのかもしれないと、松山くんの後ろ姿を見ながら思った。
そんな気持ちには、気づきたくなくて、咲羽さんが通り過ぎて行ったあと、またその薄い布を纏うことしかできない自分が嫌だった。

だけど、今の私には、「ひとりで過ごす誕生日」ほど、手に入りやすく、心が落ち着くものがなかった。
だから、せめて、誰にも気づかれず、ひっそりと、ひとりで過ごしたかった。
最高のディナーを食べ、最高のホテルに泊まり、エステの施術も受けて、シャンパンを飲みながら、大好きな小説を、好きなだけ読もうと思って、半年も前から予約していたのだ。

大好きな誰かと一緒に過ごすことを夢見て、落ち込むよりも、せめて、ひとり時間を充実させたい!

せっかく、前向きに「ひとり時間」を選択したはずなのに、咲羽さんに心を揺さぶられたせいで、後ろ向きに選択したみたいな気持ちになってモヤモヤした。

「実来ちゃん、お願い」
その日、お昼休みから、席に戻ると、突然、私は、咲羽さんに、拝まれた。
「今日のさ、私の誕生日パーティ、急に来れなくなっちゃった子がいてさ、実来ちゃん、代わりに、出てくれない?」
あんなに、誕生日を忘れるなと言っておいて、私のことは、直接、パーティに誘わなかったくせに、来られない子が出たからって、声を掛けてくるなんてひどいと思った。
「今日は、ちょっと……」
本音なんて言えないから、小さな声で断ろうとしたのに
「場所は、帝国ホテル。時間は、19時ね、会費は、女子は5,000円! えっと、本当はプレゼント持参なんだけど、急だから、うーん」
咲羽さんは、大きな目で天井を見て、なにやら計算していたようだった。
「あ! じゃあ、プレゼントなしの8,000円でいいわ!」
安くしてやったわよ! 感謝しなさい! とでも言うようないたずらっ子のような顔をして、咲羽さんは、去って行った。

私にだって、用事はあるのに……。

思い切って、やっぱりちゃんと断ろうと席を立った時
「武田さん、さっきのお客さんの書類の件、もう一回説明して」
課長に呼ばれてしまった。
「あ、はい」
そうして、私は、断るタイミングを逃してしまった。
仕方がない。会費を払って、1時間も居たら、帰ろう……。
咲羽さんとの先輩後輩という間柄が、私に、ストレスを与えていた。

「言いたいことがあれば言えばいいじゃん。武田を見てると、もどかしいよ」
課長に説明し終わって、席に戻ると、松山くんが、そう言いながら近づいてきた。
「あ、うん……」
だって……。
言い訳をしようとしたら、松山くんの服装がいつもよりもおしゃれであることに気がついた。
「松山くんも行くの? 咲羽さんのパーティ」
「ああ。約束されられちゃったからな」
「そっか……」
なんだかんだ言って、松山くんも、おしゃれしてくるんだから、咲羽さんのこと、まんざらでもないのかな? なんて思ったら、ちょっと胸が苦しくなった。

みんな、まとまって、パーティ会場へ行くのかと思っていたから、仕事が定時で終わるように頑張ったけれど、ほんの少し仕事が長引いただけなのに、気がついたら、もうみんな居なくなっていた。

そんな、置いてきぼりを食ってまで、なぜ、参加したくないパーティに参加するんだと、自分自身に呆れながら、とぼとぼと会場へ向かった。

パーティ会場には、職場の同僚やら、咲羽さんの学生時代の友だちやらが、約50人ほど居て、賑わっていた。
けれど、私にとっては、やはり、居心地の悪いものだった。
仲がいい人がいるわけでもなく、手持ち無沙汰に、空に近いグラスをずっと持っているだけだった。

咲羽さんは、人のことを呼んでおいて、そして、ほったらかしだった。
本当は、主役のところに挨拶に行くべきだったかもしれないけれど、私は、そんな気持ちにもなれず、会費も払ったことだし、早々に引き上げようとばかり考えていた。

松山くんの姿を探したけれど、最初見当たらなくて、次に、咲羽さんを見た時に、その隣に松山くんの姿を見つけた。
ああ、やっぱり、お似合いだな……。
スッとした立ち姿のふたりは、可憐に見えた。

やっぱり、咲羽さんは、松山くんのことが好きで、松山くんも、咲羽さんみたいなきれいな人が、なんだかんだ言って、好きなのかな……。

ひとりで過ごす時間は大好きなくせに、集団の中で、ひとりにされることを楽しむことには慣れていなかった。
きっと、それには、これから先も慣れない気がした。

松山くんはずっと咲羽さんと一緒に居るのかと思っていたら、そうではなかった。
しばらくすると、松山くんの姿をまた見失った。

そろそろ帰ろうかと思った時、咲羽さんが、学生時代の友だちと、なにやらひそひそ話をしているのが聞こえてきた。
「あの人、結構かっこいい人だね。咲羽のお気に入り?」
「え? ああ、後輩の松山くん。あの子、生意気なのよ。私に興味ないなんて許せなくてさ。振り向かせて、即効、振るつもりよ」
私は、耳を疑った。

ひどい。そんな風に思っていたなんて!

本当は、聞き流すべきだったのかもしれない。
咲羽さんが、本心で、そう言っていたのかもわからない。
だけど
「咲羽さん! それはひどいじゃないですか! そんな風に思ってるんだったら、松山くんに近づかないでください!」
気がついたら、私は、咲羽さんの前に行って、そう言っていた。
咲羽さんは、大きな目を、さらに大きく見開いて、私を見ていた。
周りを見渡すと、見たことのない、たくさんの顔の視線の先が、私に集まっていた。
どうしていいかわからなくなって、私は、会場を飛び出した。

私、なんてことを言っちゃったの?
少し、後悔する気持ちもあったけれど、不思議と、スッとした気持ちもあった。

これでいいんだ!
これで!

自分に言い聞かせるように、そう思って、ホテルを出ようとした時、
「ちょっと、待てよ!」
後ろから声がして振り返ると、松山くんだった。
「あ、お疲れさまです」
ちょっと、バツも悪くて、愛想笑いを浮かべて、私は、そう言った。
「お疲れさまじゃなくてさ。武田さ、今日は、武田の誕生日でもあるんだろ?」
「え? なんで知ってるの?」
驚いた。誰にも言っていないはずだったのに。
誰にも、誕生日を伝えなかったのは、知っているはずなのに、「おめでとう」と言ってくれないことにがっかりもしたくなかったし、期待もしたくなかったからだ。
「なんでって、俺たち同期だろ?」
ああ、そう言えば、入社した時に、お互いの誕生日を教えあったっけな……。覚えていてくれたんだ、意外だな。
そんなことをぼんやりと思い出していたら、
「なんで、『私も誕生日なんです』って言わないの? 今日が、武田の誕生日でもあるって誰も気がついてないよ」
松山くんに、そう言われて、私は、何も言えなかった。

いいんだ!
これで、ひっそりと、ひとりで、最高の誕生日を迎えるんだ!
まだ、20:30だ。
これから、ひとりで、最高に美味しいディナーを食べて、最高のホテルに泊まり、エステの施術を受けて、シャンパンを飲みながら、大好きな小説を、好きなだけ読むんだ。
だって、半年も前から予約していたんだもの……。

ひとりでいいと思っていた。
今だって、ひとりはいいと思う。
だけど、なぜか、寂しかった。
なぜだかわからないけれど、涙が出てきた。

「武田、大丈夫か? 俺が言ってやろうか? 武田の誕生日だって、俺がみんなに言ってやるよ。一緒に、会場に戻ろう!」
私は、首を横に振った。
嫌だった。そんなこと、言って欲しくなかった。
祝う気もない人たちと居たって、それが、どんなにたくさんの人だったからって、そんなの最悪だと思った。
「そうか。じゃあ、もしも、俺でよかったら、一緒に居ようか?」
え?
驚いて、松山くんの顔を見ると、少し恥ずかしそうに笑っていた。
それでも、私が黙っていると
「いや、嫌ならいいんだ! ひとりでゆっくりしようとしていたんだもんな。邪魔しちゃ悪いよな」
「ううん。そんなことないよ。ありがとう。じゃあ、ご飯つきあってくれる?」
「ああ、もちろん」
松山くんが、笑ってくれた。
その笑顔を見ていたら、胸がキュンとした。

さっきまでの私にとっては、誰かと一緒に居るのは、最悪の誕生日だった。

だけど、今は違う。

私の誕生日を本当に祝おうとしてくれる人なら、その人と一緒に過ごせることは、最悪なんかじゃないのかもしれないと思えてきた。

ホテルのロビーを出て、松山くんと並んで歩くと、遠くから見ているよりも、背が高いんだと感じた。
「さっきさ、武田、咲羽さんに、言ってくれてありがとうな」
「え? ああ……」
松下くんに、改めて、お礼を言われると、急に、恥ずかしくなった。
「あの人、悪い人ではないのはわかるけどな。絡みづらい人ではある。あんな風に言ってくれたのは、同期だから?」
「うーん。どうかな……」
正直、わからなかった。
同期だからかもしれないし、他に理由があるのかもしれない。
ただ、あの瞬間、松山くんのことを見下すような咲羽の発言に、無性に腹が立ったのだった。
ふと、見上げると、満月が、ぽっかり浮かんでいた。
「よくわからないけど、松山くんは、太陽よりも、月の方が好きな気がしたからかな?」
「なんだ! それ!」
また、松山くんが笑った。
そうしたら、もっとたくさんその笑顔が見たくなった。

ひとりで過ごす誕生日だって、誰かと過ごす誕生日だって、感じ方によって、最高にも、最悪にも変わるのかもしれない。

月の光は、太陽の光に比べたら、ずっと弱いし、頼りない。
だけど、確かにそこにあって、輝いている。
だから、私も、前を向いて歩んで行くんだ! 
そう思って、私は、もう一度、月を見上げた。

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