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自己紹介

会社を始めてからビジネスに繋げるための手段として情報発信する必要性を感じ、Twitterに登録してたまに呟いたりするも、端的に文章をまとめる能力に欠けるためnoteも始めてみることに。
仕事関係だけでなく、自分の中だけで完結してしまっている趣味についても触れられればと思っている。

①略歴

一貫して千葉民、高校2年まで浦安に住んでいたが高校3年に上がったくらいの時期に親の仕事の関係で本八幡に引っ越し、以後はずっと本八幡民。
経歴は以下の通り。

浦安南小学校→浦安堀江中学校→浦安高校→明海大学不動産学科→合同会社西拳設立→株式会社樋口総合研究所入社→株式会社テクニケーション設立

②学生時代

・中学
とにかくゲームが好きで、PRGやアクションゲーム、格闘ゲームなどジャンルを問わず遊び倒していた。
小学生の頃まではそれなりに友達も多く、365日誰かしらと遊んでいたものの、中学に上がった途端に友達や知り合いが激減。
また、中学1年の頃にPCを買い与えられ、2chをはじめとした掲示板サイトの存在を知り、ハマってしまった結果ヘヴィ級の陰キャと化す。
中学2年に上がるとクラスのヤンキーに目を付けられ、虐められるようになる。
その後クラス替えがなかった為非常にキツかったが、なんとか耐えきり地元の高校に進学。

・高校
引き続き陰キャの尾を引いていたがコンビニバイトを始めたこともあり、少しだけ社会性が身に付く。
身だしなみにも気を遣うようになり、陰キャ度合いがヘヴィ級→ライト級くらいまで軽減。

2chを見続けてきた為、労働=悪という潜在意識を植え付けられていた為、モラトリアムで大学へ進学したいと思うようになる。
将来何がしたいのか定まっていない中、地元の大学のオープンキャンパスに行くと「不動産学部」なるものがあり、話を聞くと「不動産業界は儲かる」というではないか。
それならばとAO入試を出願、定員割れしているいわゆるFラン大学だったのでサクっと合格。
なお、奨学金をフルに借りて進学した為、現在も絶賛返済中

・大学
これまでの人生まともに勉強をしてこなかったが、宅建だけは取ろうと思い大学1年の頃に受験するも、1点足らずで落ちてしまう。
その時「神は存在しない」と確信、人生は自分で切り開いていかなければならないと朧気ながら悟った。
その後はバイト戦士と化した為、単位はギリギリだったものの何とか卒業が確定。
しかし就活を一切してこなかった為、そのまま無職に。

③社会人以降

就活しなかったのには理由があり、学生時代に洋服にハマり、着なくなったものをヤフオクで断捨離するなどしていた。
すると、ある時購入金額よりも高く売れるケースが発生し、これは商売になると確信。
大学卒業後は1年ほどバイトをして資金を貯め、中古品を買い取ってヤフオクで販売するリユース業を営むべく、2014年7月に合同会社西拳という会社を設立。

・合同会社西拳
商品の仕入れ方は大まかに「チラシからの問い合わせ」と「不動産会社経由の紹介」の2通りあった。
前者は「不要な商品を買い取ります!」的なチラシを撒き、電話が来たら出張して買い取り、後者はマンションやアパートのオーナーから賃借人が放置した残置物の処分の依頼を受け、引き受けるというもの。
買い取った物は清掃と動作確認を行って写真を撮り、ヤフオクに出品。
落札されたら梱包して宅配便で配送するというシンプルな業務フローだが、いかんせん自動化できるポイントが殆どなく、何をするにしても時間が掛かるというネックがあった。
また、商品を保管する倉庫代をはじめとした固定費もそこそこ高く、きついなーと思いながら2018年9月まで継続。
(今思えばamazonのフルフィルメントを利用するなど、色々手はあったな…)

最大で自分含めて4名体制だったが最後は2名のみとなり、話し合いの末解散することを決定。
また、自分にはビジネスセンスやリーダーシップはなく、決められたビジネスの枠組みの中でパフォーマンスを発揮する会社員タイプなのではないかと思い、人生初の就職活動を開始する。

・樋口総合研究所
就活経験のない僕はハローワークに行く位しか思い浮かばず、とりあえず足を運ぶことに。
「月給50万欲しいなー」という舐めた思考回路を持っており、それ以上稼げそうな会社に絞って検索を行う。
また、合同会社西拳では在庫を抱えるビジネスを展開していたので、次は在庫を抱えない業種が良いと考えており、「プログラマー」か「トラックのドライバー」に絞って探した。
プログラマーは中学の頃からHPを作成したりブログを書いていた為htmlの知識があり、トラックのドライバーは単純に運転が好きだった為。

すると、その後お世話になる会社の求人広告が見つかる。
HPはおしゃれかつワクワクするものであり、また決算報告書がUPされているのでチェックすると、非常に高い利益率を誇っていた。
直感的にここしかない!と思い、すぐに応募方法をハローワークの職員に聞き、紹介状を発行してもらった。
(その時初めて履歴書とは別に職務経歴書が存在することを教えてもらい、すぐに書き上げる)
その後2回の面接を経て内定をいただき、当時は天にも昇る心地だった。

入社後はプログラマーとしてではなく、営業として仕事することに。
名刺の渡し方やエレベータ内でのマナー等、本当に初歩的な部分も含め日々新しい発見があり、また人生経験豊富な方々がいらっしゃったので、刺激的な毎日を送っていた。
合同会社西拳時代に「社員にもっと頑張って欲しいなぁ」などと思っていたので、逆に社員になったからには会社の為に貢献したいという気持ちが強く、何時間働いても苦痛でないどころか、自分が少なからず会社や社会に貢献できているような気持ちになれて、心地良さすら感じていた。

あるとき、取引先から「西田君、現場経験ないでしょ?」と言われたことがあった。
その時、「自分はSEとしての実務経験がない分際で営業をしていて良いのだろうか」と思うようになる。
しばらくモヤモヤした気持ちが続き、やはり一度は現場を経験すべきだと思ったところ、ビジネス交流会で知り合った方から「エンジニアとしてうちの会社に来ないか?」と誘いを受けた。
僕のスキルやキャリアでは到底入社できないような会社だったので驚いたが、とりあえず話だけ聞いてみようとカジュアル面接の機会を設けていただくことに。
紹介された担当者にこれまでの経歴を説明すると面白がってくれて、その場で内定をいただいてしまった。

非常に大きなジレンマがあったが、現職で現場に出た際に取引先に請求できる単価と当時の給与を照らし合わせると、自分が現場に出てしまうと会社に利益が残らないどころか赤字となる計算であること。
また、仮に今の給与を維持しつつ、赤字前提で現場経験を積ませていただけることになったとしても、会社員である以上は会社に利益をもたらす責務があるという自分なりの考えを持っていた為、現職は退職して転職することを決意した。

そこからまた状況が変わり、転職予定の会社から「やはりSEとしてではなく営業としてお願いしたい」との連絡が来る。
そうなってしまうと現職を退職する理由がブレてしまうので、どうするかと思案した結果「元々会社を経営していたんだから自分の会社経由で現場に出れば良くね?」ということに気付いてしまった。
思い立ったが吉日ということで、合同会社西拳は解散手続きは取っておらず休眠状態であった為、組織変更の手続きを経て株式会社テクニケーション設立という運びとなった。

・テクニケーション
元々は自分が現場に出るための目的で会社を設立したが、そのことを知り合いに伝えると「面白そうだから協力するよ」と言ってくれて、ディスカッションを重ねた末、今の会社の仕組みが完成した。
また、知り合いが知り合いを紹介する形でメンバーが増えていき、そうなると必然的に営業やバックオフィス業務に割く工数を確保しなければならず、「現場に出ている場合じゃねぇ!」となり、ほぼ全ての業務を僕が担当することになった。
もう少しで設立から2年が経過するけど、9,10月入社で内定を出している方々を含めるとメンバー数は60名となり、順調に売上と利益が伸びている状況となっている。

結局現場に出る機会は逸しているか、エンジニアと上下関係のないフラットな関係性を築けている(と思う)ため現場のことを色々聞けるし、また社内の開発プロジェクトの様子を垣間見ることができるため「現場を経験しなければならない」というある種の強迫観念にも近いようなモチベーションは薄れていき、それよりも会社を成長させ、存続させることの方が重要であるため、現在はそれを達成するために日々試行錯誤を繰り返している。

終わり

まずは名刺代わりにこれまでの略歴を綴ったけど、それぞれのもう少し詳しい背景であったり、別のトピックも投稿できればと思っています。

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