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THE TECHNOLOGY REPORT Issue:03 "Creativity" 特別インタビュー:馬田隆明/東京大学 FoundX ディレクター

本記事はTHE TECHNOLOGY REPORT Issue:03 "Creativity"刊行特別企画として行われたインタビューです。THE TECHNOLOGY REPORTはウェブサイトより無料でダウンロード可能になっております。

「技術」は、社会を変えてきました。
わたしたちが実現したい未来を描くとき、おそらく、そこにはあたらしい「技術」が共にあるはずです。その「技術」は、どのように進化を遂げているのでしょう。「技術」を社会に実装する際、視点はどこに置くべきか。ティンカリングの重要性やランダムの価値にも触れながら、数多くのスタートアップ支援に関わってこられた東京⼤学 FoundX ディレクター⾺⽥隆明氏にお話をお伺いしました。

⾺⽥隆明(うまだ たかあき) 東京⼤学 FoundX ディレクター 日本マイクロソフトを経て、2016年から東京大学。東京大学では本郷テックガレージの立ち上げと運営を行い、2019年からFoundXディレクターとしてスタートアップの支援とアントレプレナーシップ教育に従事する。


技術による創造性/ティンカリングは有効か?

⼟屋:今回のTHE TECHNOLOGY REPORTは、「技術による創造性」がテーマです。技術を主語に、課題の解決⽅法が⾯⽩いとか、あざやかだと感じるものとか。テクニカル寄りの⽬線で、3つの切り⼝で整理してみました。

森岡「転⽤」「誤⽤」「アクロバット」の3つですね。想定分野とは異なる分野で転⽤されて新たなソリューションが開発される「転用」、意図的に間違った使い⽅をして⽂化が⽣まれるような 「誤用」、いくつもの技術を組み合わせて複雑なことを実現する「アクロバット」、これらをふまえて「技術による創造性」について論じる、という構成になっています。

⼟屋:⾺⽥さんの著作「未来を実装する」では、技術はあくまでも⼿段、として示されています。技術を利⽤する事業主体、技術が実装される社会側からの⽬線で、技術を社会実装する⼿法がわかりやすく書かれていたかと思います。

⾺⽥:技術を主語にして考えるというのは、私の著作とは逆のアプローチでしたから、今回、お話をいただいた時はちょっと意外でした。(笑)

著作でこそ逆の主張ですけれども、私個人としては技術が好きですし、今回の誌⾯でも触れられていた「ティンカリング」などの活動の価値はあると思っています。とはいえ、⽬的次第でもあって、スタートアップのように短期間で急成⻑を⽬指す事業の場合は、課題ベースで考えた方が良いと思っています。

一方で、課題ベースでの取り組みには限界があるのも確かです。

Talebの「コンベックス‧ティンカリング」(凸ないじくり回し)という考え⽅がありますが、跳ねそうな領域に限定してティンカリングをすることで、損失を最⼩化しながらリターンを最大化するようなアプローチも検討できるでしょう。でも、跳ねそうな領域がわからない場合もあるので、そのときはとにかくさまざまな技術をさまざまな領域でティンカリングする、というのもアプローチとしてはあると思います。

著作では「課題から⼊ろう」という立場を取っていますが、技術は技術としてその可能性を探ることは重要です。これは、TTR誌に書かれていることにも近いと思いますが、技術というレンズを複数持てば、複数の視点によって、違う課題の発⾒ができるという利点があります。

インタビューは2023年11月13日、オンラインで行われた。

森岡:ティンカリングをする中で、起業して社会実装に⾄る事例はありますか。研究室から起業した会社、MITなどにはそうした例も多いように感じていますが。

⾺⽥:IT系に関してはそれがある……厳密には「かつてはそれなりの頻度であった」と思います。

例えば、Twitchです。創業者が、⾃分の⼀⽇をまるごとストリーミングするためのアプリをつくって、その配信技術をティンカリングしているうちに、みんなが使いやすいストリーミングサービス、特にゲームの実況などに使えるようなサービスが作れそうだと徐々に分かり、そこで⽣まれたのがTwitch。で、結果的に1000億円で買収されることになります。

スマートフォンとウェブのように急激に普及した技術は、新しいニーズも産むので、そうした流れに乗って、課題解決がハマって、ティンカリングした結果が跳ねるということはありますね。

⼟屋:⾺⽥さんが「逆説のスタートアップ思考」で触れていた、急成⻑する新規事業を欲する⼤企業 には承認プロセスが課題となっていて、過去の⼤企業の⼀部の⾰新的な事業はそうした承認プロセスを無視した「スカンクワーク」「闇研究」と呼ばれるような⾃主活動から⽣まれた、という話にはすごくワクワクしました。こうした「スカンクワーク」や「闇研究」は、ある技術が急激に普及して新しいニーズを産み続けているフェーズでは有効でも、技術が成熟してくるとうまくいかない部分が出てくるんですね。これと反対に「とある技術が急激に普及して新しいニーズを産み続けているフェーズ」に⼊ったことで出てきた、技術ドリブンのスタートアップなどありますか。

⾺⽥:技術ドリブンと⾔い切れるかわかりませんが。最近では「OpenAI」でしょうか。

森岡:なるほど。いわゆる「ディープテック」分野では、ティンカリングから事業が⽣まれるということも多いんでしょうか。

⾺⽥:うーん……分野によると思います。ティンカリングを繰り返すには、⼀回あたりの試⾏コストを低く抑えなければならず、成熟した領域であるほど先鋭化していったり、必要な装置が高くなったりするので、試⾏コストがかさむ傾向があります。

ITの場合、試⾏コストは安く抑えることができる傾向がありますが、AI領域も資源競争になってきました。コストのかさみにくい領域なら、ティンカリングから事業が⽣まれることはありそうですが、成熟した領域では厳しい気がします。もちろん、何事にも例外はあるとは思いますが。

森岡:コロナ禍でOBS(ストリーミング技術)やゲームエンジンに触れる⼈が多くなって、この領域でのティンカリングの総量が増えたのは良いことだと思いました。この試⾏から新しいビジネスも出てくるんじゃないかな、という気もします。ITはわからないけどOBSに触れなければならない⼈が出てきた、とか、バンドマンが⾃分達のMVをUnreal Engineで作ってみたと、いう話も⾯⽩いなと思います。

⾺⽥:スマートフォンの普及もあって、撮影コストがすごく下がったことや、動画編集ツールが入手しやすくなって動画編集する人が増えたことで、新しい映像表現が⽣まれたり、そういうことはありそうですよね。


技術で、社会を前に押し進めていくこと

⾺⽥:技術の「転用」「誤用」「アクロバット」のように、ティンカリングは探索を少しランダムに行うことに近い行為です。そのランダムに動いたところから新たなアイデアや可能性が⽣まれることが、アイデアが進化する過程のように見える部分はあるかと思います。ただ、「進化」をそのメタファーとして使うのは正確ではないことが多いので、憚られますが。

「逆説のスタートアップ思考」で引⽤した中に、Talebの「半発明 (Half-Invented)」という概念があります。技術的な発明と実⽤化の間には隔たりがあり、「実⽤化を待っている発明」が実際にはあることを示した言葉です。その隔たりがランダムな動きによって埋められることがある。

数々の試⾏によってこの隔たりを埋めるためにも、技術のティンカリングは⼤事です。しかし、それは社会全体として、技術によって社会を前に押し進めていくための全体最適化を意識したときの重要性であって、個⼈がビジネスで成功したいときには、課題解決を志向した方が成功率は高まるので、ティンカリングはそこまでお勧めできません。でも、ビジネスなどを度外視して、個人としてやりたいならやればいいと思いますし、そのリスクを取るのは、社会全体にとっても良いことに繋がりうる行為なのではないかと思います。

森岡:⼤学で⾏われているような公共性のあるティンカリングは、いわば「紐づかないティンカリング」と⾔えますが、我々のようなエンジニアが⾏うティンカリングは、もっと社会実装寄りだったりします。そのレイヤーでは、どのような⼈がティンカリングを担うのかは曖昧で、公共性を担保しているという意味において、オープンソース活動はビジネスからは遠い。

課題はあるけど解決策がないから起業できない、もしくは、R&Dに寄り過ぎて社会実装との間に距離がある、といった問題があると思うんですが、僕たちテクニカルディレクターはちょうどその間にいるのでは、という意識はあります。つまり、技術が進んだ結果、「課題と解決策」の間、「R&Dと社会実装」の間が広くなって、そこを接続するための⼈が⾜りていないのではないか、という気がしているんです。

⾺⽥「間が広くなった」という点はそうだと思います。「間⾃体が増えた」ということもあるでしょう。解決すべき課題の数も増えましたし、解決するための技術の選択肢も増えたことで、組み合わせ数が爆発的に増えました。その分、課題と解決策という、点と点を結ぶ線の可能性の数は激増し、「間」の数自体も増えた。そのため、多数の課題と解決策の間を埋める適切な筋道をつくる人、その役割を担う⼈が、かつてより⾜りないのかもしれません。

ティンカリングについていうと、仕事柄色んな研究を⾒たりするのですが、実⽤化をあまり考えていない研究開発はもちろんありますし、それ自体は科学の発展という観点では重要だと思います。ただ、そうしたティンカリングをするための研究開発費や補助金が、成熟した領域における⼤企業の研究開発部⾨でのティンカリングに使われていたりすると、リスクが小さい代わりにリターンも小さい領域でのティンカリングになりがちなので、結果的にどうしても跳ねにくく、先ほどのTalebのコンベックス‧ティンカリングには当たらないことの方が多いかなと思います。

⼟屋:企業でのR&D部⾨の発想⼒が、商品開発を繰り返す中で硬直化してしまうようなとき、そこに新しい発想を⼊れたい、と相談されることがあります。閉じた組織の中での良いアイデアの交叉だけでは、局所解に硬直することもありますし、突然変異を交叉させることで最適解が⾒つかる可能性もあります。

突然変異種として、外からクリエイターをつれて来る、というのはここ10年の「オープンイノベーション」的な取り組みとしてよく⾒られます。当然、うまくいくものもあれば、うまくいかないものもある。特にスタートアップの場合は、「誤⽤」などという前に、まず「これでいける」ってならないとサービスインできないから、「こんなものできちゃったんですけど、どうしましょう?」などとは⾔ってられないでしょうけれども。⼀体どうすればいいんでしょうね……

⾺⽥「Solution in search of a problem」という⾔葉があります。普通なら、問題が先にあってその解決法を探しますが、何らかの事情で、先に技術が⽣まれ、「それが解決する問題はないか」と探している状態を指します。技術先⾏で⽣まれるのは、このようなアプローチかなと思いますね。なかなかうまくはいかないかもしれないけど、ドカンと当たるかもしれない。

森岡:多産多死みたいなことでしょうか。

⾺⽥:そうですね。多産しないとわかりません。それに、頑張れる⼈がどれだけいるのかは、正直わからない。100個トライしても1個しか当たりません、という世界です。仮に、その1個がめちゃくちゃ跳ねるかもしれない、ということがあればコンベックスですが。そうじゃない、そもそもわからない、となった時点でリターンが⾒えない。そうすると、市場という仕組みの中ではやりづらいでしょうね。だからこそ、市場の外にアカデミアのようなものがあって、非市場的な活動が行えるようになっていて、たまにそこから不意打ちのように、偶然的に人類に資する発見が生まれる。科学者の研究を税金でサポートするということは、市場の外で誰かが探索活動ができるようにして、社会全体としてリスクとリターンのバランスを取ろうとしているとも捉えられるのではないかと思います。


ガバナンス、制御技術、そして「責任」の所在

⼟屋「未来を実装する」には、我々のテクニカルな視点との接点になる、と感じた部分があります。それは、技術を社会実装する上で必要な仕組みづくりの重要性について書かれた「ガバナンス」の部分です。

「ガバナンス」の中で、Lessigの「アーキテクチャ」について触れておられ、ある技術やサービスを社会実装する上で、ガバナンスを設計していく際にアーキテクチャを利⽤する、というのはエンジニアリング的発想だと感じました。Lessig流に考えれば、例えば、酒気帯び運転を禁⽌する場合、法律で禁⽌するのは法によるガバナンス、飲んだら乗らない! は社会規範によるガバナンス。違反に対して多額の罰⾦を課すのは市場によるガバナンス。そして、呼気から酒気が検出されたらエンジンをかからないようにする。これが、アーキテクチャによるガバナンスといえます。ガバナンスというと政治的なルール作りのような印象を持っていましたが、こうして考えると、技術的側⾯があると気付かされます。

⾺⽥アーキテクチャのエンジニアリングでガバナンスをつくる(「治める」)ことに関しては、現在できることが多くなってきていますよね。 Lessigの本が書かれた約30年前と比べると、今日は、実空間を捉えるセンサと実空間を制御するアクチュエータをITシステムと連携させられるので、制御できること自体がずっと多くなってきています。

⼟屋:ガバナンスの章に、「ガバナンス」はラテン語の「船を操舵する」を意味する「gubernare」が語源と書かれていましたが、これは、Wienerの「サイバネティックス」の語源であるギリシャ語の「船の操舵者」を意味する「Kubernetes」と同じ語源ですよね。ガバナンスには、ある意味で、システム制御技術の側⾯があると考えると⾯⽩いですね。

⾺⽥:なるほど。でも……どうでしょう。あんまり、「統治」に「技術」を使うっていう表現も、それはそれで……(笑)

森岡:ディストピア感がありますね。(笑)

⼟屋:「監獄の誕生」みたいな話になりそうなので、この話はこのへんにしておきましょう。(笑)

森岡:しかし、制御技術が進化するほど人の行動は変化する側面もありますよね。機械が自動的に判断するところまでいかなくても、最終的に⼈間が判断するためのサポートをテクノロジーが⾏うことにも、実装が進んできていますよね。⾃動運転技術など、縦列駐⾞もバックモニタなどのサポートがないとうまくできない、という⼈もすでにいるんじゃないでしょうか。

⾺⽥:応用倫理学者などが唱える「概念工学」で言われていることとして、⾃動運転技術の場合、「責任」という概念をどう捉えるが課題になっていく、という話があります。現在の「責任」の概念は、合理的な意思判断ができる個⼈、もしくは法⼈が最終的に「いる」という前提でつくられていますが、コンピューターが判断をするようになったとき、「責任」を誰に帰するものにするべきか。個⼈や法⼈に責任を帰するかたちだと、自動運転で起こった全部の事故がその個人や法人の責任になってしまう。そうすると、リスクが⾼くなりすぎ、事業や技術開発に挑戦しようという人が生まれず、技術の発展がなくなってしまいます。これでは社会全体としても技術の恩恵が受けられなくなる。技術による便益が、全体として小さいところで均衡してしまうわけです。だとすると、社会でどこまでリスクを持つのか、そもそも責任って何なんだといった新しい問いかけが技術から⽣まれます。

森岡:國分功⼀郎さんの「中動態」の話ともつながりそうですね。
本来、テクノロジーやシステムって、⼈間の外側にあるものなんですよね。だから、責任の話になるのも当然で、台⾵が来た時に「誰が責任取るんだ」みたいな話が出てくることにも近いと思います。

⾺⽥:逆に、そうしたものをむしろ「外部ではない」と捉えるのがアクターネットワーク理論ですね。このあたりを考えるには、科学技術社会論(STS)は避けて通れません。

ティンカリングは個⼈的におすすめしますけど、そのティンカリングやそこで生まれてきた技術にも社会的な責任が伴います。いわゆるELSI(倫理的‧法的‧ 社会的課題)も含めて考えていかなくてはいけない。とはいえ、そこを気にしすぎると何もできない。そうした難しさは、だんだんと⼤きくなってきていると思います。

⼟屋:ちょっとギョッとする例ですが。死刑に関して、かつては最後に斬⾸する⼈がいたり、紐を吊し上げる⼈がいたり、明確に「執⾏」する⼈がいたわけですよね。ですので、法的には問題なくとも、執行者には⼈を殺めたという「責任」へのストレスがかかるという問題がありました。

現在の⽇本は絞⾸刑で、ボタンを押すと床が外れるという仕組みらしいのですが、それでも、この機構を稼働させるスイッチを誰かが押さなければならない。⾃ら⼿は下さずとも「実⾏するためのボタンを押した」ことについての「責任」が重荷になる可能性がある。そこで、今はボタンが3つ⽤意され、ボタンを押す⼈も3名いる、と。ボタンと機構の接続がランダムになっているため、どのボタンと機構が連動していたのか証明できない、確認もできない仕掛けになっていることで、直接的に「誰が執⾏したのか」をわからないようにして、⼼理的負担を軽減する仕組みが導⼊されているそうです。これはある意味で、罪悪感、ひいては責任の感じ方を制御するためのアーキテクチャといえるかもしれません。

⾃動運転に話を戻すと、⾏き先を⼊⼒したら、あとは⾞が⾃動的に運転するとして、その途中で⼈を轢いてしまう可能性もある。その時、ドライバーが「適切に罪悪感を感じるためのUX」をどう設計するべきか、というのも社会実装をしていく上で必要になりますよね。

テクノロジー側の立場では、デザインやエンジニアリングで問題を解決しようとしがちですが、法律や政治で解決する問題もありますし、技術がどこまでの問題解決を担うべきか、という線引きは今後問題になりそうです。


「ランダム」の有効性

⾺⽥:死刑のボタンをランダムにする話は初めて聞きました。技術的には簡単ですが、UX的にはすごく考えられていますね。

ランダムにすることで得られるメリットに関連して、組織運営をめぐる研究というのがあります。⼈材を能⼒ごとに昇進させていくと、現在の職位で有能であることが証明された場合、その⼈は昇進しますが、ある階級で無能さを露呈するとそこから先は昇進できない。つまり、その⼈の能⼒値の最⼤値まで昇進できることになります。しかし逆にみると、結果的にあらゆるポストはその階級において無能な⼈(昇進できない⼈)で占められてしまう。これは「ピーターの法則」と呼ばれるもので、組織全体としてこれを乗り越えるために、昇進させる⼈を選ぶ際には、実⼒ではなく実はランダムに選んだ方が、結果的に組織としてのパフォーマンスがよくなるという研究があるんです。

土屋・森岡(笑)

⾺⽥:このように、ランダムには場合によっては様々なメリットがあります。そう考えると、技術の可能性をランダムに探索する、つまり、ティンカリングは⼤事であるといえそうです。

森岡:以前、吉川浩満さんの「理不尽な進化」という本で、「進化」はプラスもマイナスもあらゆる⽅向への変化としてあるはずだけれども、「淘汰」という仕組みがある以上、結局のところ⽣き残ったものが⽬に⾒える進化となってしまう。それによって、「前に進む」というのが進化である、と認識してしまうバイアスが⼈間にはあるんじゃないか、という話が書かれていました。

昇進をランダムにする話から、こうした「理不尽な進化」が、社会のシステムや新規事業開発にも当てはまるのではないかと思いました。ランダムに昇進させるのは、まさに進化的なやり⽅で、どう変化しても結局は理不尽な環境変容による淘汰が⾏われる。組織の場合だと優秀な⼈を昇進させたとしても、新しい仕事に対して優秀であるかどうかはわからないのであれば、ランダムにした方がいいこともあるかもしれない。

だけど、ランダム、という⼀⾒⾮論理的に⾒えるものは、説明して理解してもらうのはすごく難しいですよね。あらゆるランダムな⽅向への進化を探索できる、という意味でティンカリングの良さがあるとしても、いざティンカリングしようとすると、「とはいえ、⽬標は欲しいよね」という話になったりとか、「精査して絞って、1つのことに⼤きくお⾦を使いたい」という話になってしまう。「1億円を1つの⽅向にベットするより100万円の⼩さい研究を100個やった方がいいですよね」みたいな話は理解してもらいにくい。
こういうのはどうしていくのがいいんでしょうね……なんだか仕事の相談みたいになってしまいましたが。(笑)

⾺⽥:一つの⽅法として、RCT(ランダム化⽐較試験)を実施して、ある⼀定期間、「ランダムにファンディングする⽅法」と「選択と集中をしていく⽅法」を⽐較して、どちらがゴールに近づくのかを判断する、というアプローチが考えられます。実際に、ランダムファンディングの方が特定の場合においてはよい研究結果がうまれやすい、という研究はあがっていたりもします。ただ、エビデンスだけではたして⼈が動くのか、というところはありますよね。

⼟屋:そこで必要なのが、まさにセンスメイキング、いわゆる「腹落ち感」でしょうか。結果的にランダムに張っていくんだけど、それは⾮論理的にやっているわけではない、というナラティブが伴えば納得できるんじゃないかとも。

⾺⽥:それもあるとは思うのですが、もう⼀つ。「ランダム」より「選択と集中」が選ばれやすいのは、権⼒者が「選択」をすることで権⼒構造を維持したい、という意図があるのではないかとも思います。それに組織でも政治でも、上の人たちはランダムに選ぶというのはやりたがらないでしょうね。組織であれば「頑張れば上に上がれる」という仕組みがないと、働いている人たちのモチベーションを上げづらい。「ランダムで選ばれる」だと、頑張っても頑張らなくても昇進できるかもしれませんから。選挙のシステムでのランダム選択の導入も、どれだけエビデンスがあったとところで、「政治家をランダムで決める」ことは、既に政治家になっている政治家は絶対に認めないのではないでしょうか。ランダムで職を失ってしまうわけですから。それに、ランダムが有効なのは一部のケースだけなので、全部のケースで当てはめれば良いというわけではない。ただ、ゼロか1かではなく、「投票で上位3人を選んで、3人の中からランダムで選ぶ」といったように、部分的にランダム選択を導入するなどもできるので、手段としては持っておいても損はないと思います。


未来を実装するために必要なこととは

⼟屋我々のような技術目線の考え方は、今ある道具や環境で何ができるかという、わりとボトムアップ型のアプローチが多い。⼀⽅で、社会実装を⽬指すと、インパクトやパーパスからやることをバックキャストしていくアプローチがあって、その中で我々はどういう動きをするべきなのか、どういう役割が担えるのか、というのが、実は今⽇⾺⽥さんにお聞きしたかったことなんです。僕たちは、どうしたら未来を実装することに貢献できるでしょう?(笑)

⾺⽥:難しい質問ですね。(笑)

みなさんの仕事の内容のお話を伺うと、クライアントから「何かできない?」と聞かれて、それに対して「何か」を⾔語化して、その中の本質的な課題を特定し、解決策を提案する、というのがこれまでやられてきたことかと思います。そこに「パーパス」というガイドラインが乗っかってくると、まずクライアントの中で、最初の「何か」というものの⽅向性がある程度定まり、その範囲でのティンカリングが求められるようになる。その分、自由度は少なくなりますよね。でもクライアントの「パーパス」という変数を理解すること、そこに紐づけたティンカリングやアイデアの創発ができれば、より価値を生めるということでもあるのではないでしょうか。

⼟屋:⾺⽥さんの「未来を実装する」に、「そもそも課題とは、理想と現実の差分」である。という⼀⽂がありました。これは「優れたクリエイティブ‧ディレクションというのは、良い問いかけを作りだせる⼈だ」という話にも通ずるかと思います。優れたクリエイティブ‧ディレクターは「もし◯◯だとしたら、どうなる?」という問いかけを出すことができ、それによって様々なアイデアを引き出すことができる、という理想像です。インパクト(理想)と現在の差分である「課題」を認識し、差分をどのようなやり⽅で埋めるか。こうできないか? もしこうならばどうか? といった良い問いかけを投げるスキルは、クリエイティブ‧ディレクションに求められるスキルとも近いんじゃないかなという気がしました。

そこからうまれたアイデアは、絵に描いた餅ではなくて、実装可能にするフィジビリティを担保するのも⼤事ですよね。

⾺⽥:はい。インパクトと現状の差分が課題で、さらにその課題を短期、中期、⻑期に分けて考えるというのが⼤事だと思います。

中期くらいに「こうなってるといいよね」を⽰し、かつ、そこに⾄るための短期的なフィジビリティも含めた実現可能なプランとあわせて「これをやっていけばパーパスに辿り着く」、という「道筋を整理し、かつ短期的な課題も解決する」ができると良いですよね。

今ある技術の選択肢をたくさん持っていないと、どれが解決できる問題なのかを判断することはできませんし、加え、課題を分解・整理して、解決可能な問題にする、というスキルも重要です。短期的な課題の解決だけではなく、中⻑期的なイメージもあわせて提⽰する、というのがみなさんのような⽴ち位置の⽅に期待される役割かもしれません。
しかし「パーパス」については、みなさんそんなに分解できていないのが現状だと思います。

⼟屋:どうも、ふわっとしちゃうんですよね。

⾺⽥:トップの⽅々は明確に思いを持たれていているんですが、現場にまでは共有されないというか。


ものづくりへの解像度をあげるには

森岡:そうですよね。最近はIDEOのレイオフのニュースも話題になっていて、「デザイン思考の再定義」みたいな話が出始めています。我々のところには時々、(デザイン思考的なアプローチで)パーパスに寄り添った事業プランだけが出て、そのプランをどう社会実装したらよいか、という相談が来ます。ところが、蓋を開けてみるとどうやったら作れるのかという検討がなされていない、実装不可能な事業プランをみかけます。

こういった相談が来た時によくいうのは、プランだけ考えて作らせるのではなく、プロトタイピングとかティンカリングを⼀緒にやると、視座が上がる、イメージが先に進む、ということ。その分、解像度が⾼い提案とか事業プランが出せるという点が⼤事、という話をします。もちろん最終的なパーパスはあって良いと思うのですが。そこに紐づく⼀歩先の⼿って何なのか、というところを⾒るためには、まず作って、作った結果得られる体験というのが⼤事だと思います。

⾺⽥:そう思います。拙作「解像度を上げる」でも、頭で考えるだけではなく、⼿で考える、⾜で考えるということは⼤事と書きました。同じように、プロトタイプトタイプをつくる、ティンカリングしてみるというのはすごく⼤事だと思います。

プログラミングをしたことがない⼈がAIについて語ろうとすると、何がどこまでできるのかをよくわかっていないまま話をすることになって、抽象的な議論になってしまう。だから、やはりちょっと触ってみるというのは⼤事ですね。

森岡:以前は、VRチャットも一度もやったことがないけど、メタバースで何かできないですか? みたいな話はよくありましたね。(笑)
触っているかどうかで、理解への解像度が全然違いますよね。

⼟屋:これすごいな! という意味での「ヤバさ」を⾝を持って体験しているかどうは⼤きいですよね。以前にも⾺⽥さんとお話しで「逆説のスタートアップ思考」は「ヤバい」という⾔葉に⾮常に近い話なんじゃないですか、といったのを覚えてます。(笑)

⾺⽥:そうでしたね。「ヤバい」とか「エモい」とか。(笑)

⼟屋:こうした⾔語化しにくい「よさ」は、つくってみないとわからない部分が⼤きい。編集部なかのさんの企画した「necomimi」という脳波で動く猫⽿ロボットは、プロトタイプをつくった時にはじめて「これはヤバいね!」の感覚をチームで共有できたタイミングがあったそうです。

森岡:動かすまでは合理的に考えている。つくった結果、感想としてはじめて反直感的なものが出てきたりするという。

⾺⽥:やっぱり作らないとわからないことは、たくさんありますね。
ただ、多くの人にとって、作るコストや手を動かすコストは⾼い。なので、コストを下げるためにもティンカリングをしやすくなった方がよいと思います。しかし、新しい技術はティンカリングするにも学ぶべきことが多く、コストが⾼くつきがちです。⼀度学んでしまえば、次のティンカリングコストは下げやすいんですけれども。そこが難しいところですね。コストが⾼いと、「つくってみた方がいいよ」と勧めてもなかなかやってもらえない。

⼟屋:難しいですよね。今⽇はもう半分⼈⽣相談みたいな感じになってきちゃっていますけれども。(笑)

我々がTHE TECHNOLOGY REPORTをつくりはじめたのは、森岡さんの話にあったような、「メタバースでなんかできない?」とか「最近話題のNFTでさあ…」みたいな、その実、本質的ではない話を減らせないかという思いがあって。課題を解決したいなら他にいいやり⽅がありますよ、とか、この技術を使いたいならユニークさを活かして、こういう⽂脈で使った方が御社のパーパスにハマるんじゃないですか? とか、技術⾃体の理解を深めると、深い議論ができるはずなんですね。

だから、テクノロジーへの解像度をあげる取り組みができないか、という思いがきっかけなんです。そして、まさにTHE TECHNOLOGY REPORTの創刊号の特集は「解像度」でした。理解を進めることで、お互い仕事がしやすくなったりとか、アイデアの出⽅が変わったりするといいなと思っています。
それを踏まえつつ、最終的に、僕らはどういう⽅々と⼀緒に仕事するのがお互いハッピーになれるのか。「こういう価値を私たちは提供できます」をどう⾔語化したらいいのか、まだ悩んでいるところです。⾺⽥さんの本には様々なフレームワークがまとめられていて、勉強になります。課題を短期、中期、⻑期に分けて、中期ではこういうソリューションを、短期ではこういうソリューションを、といった整理もとても参考になりました。


デザイン思考ならぬ、テクノロジー思考は可能か? 

森岡:デザイン思考は、デザイナーが考えなければいけないことをみんなが理解できるものにしている、という点で良いフレームワークだと思います。同じように、テクノロジーを扱う⼈が考えなければいけない課題、テクノロジーに関する課題をみんなが認識できるようなフレームワークってまだ無いので、ふわっとしているなと思います。課題発⾒もエンジニアがやって、課題解決もエンジニアがやってるという状態になっている。こういうのって、フレームワークをつくってエンジニア以外とも合意形成していけないかな、と妄想したりしています。それがないと不合理なものと戦うためにランダムに頼る、といった偶然性に頼るところに帰着しちゃうような気がして。

⾺⽥:なるほど。しかし、エンジニアの方の多くは、顧客側の課題発⾒にはあまり時間を割けていないように思います。もちろん、技術的な課題については、⽇々発⾒と解決を重ねていると思うんですけれども。

森岡:そうですね、「これをつくるためにどうしたらいいか」という技術的な課題ですね。

⾺⽥:それに関しては、どう定式化できるでしょうね……

森岡:成功パターンだけでフレームワークが作れるのか、といえば多分つくれない。プロトタイプはうまく出来ても、製品としてうまくつくれない場合、多くは、成功パターン以外のエラーハンドリングをどうつくるか、という話になっていくのでは、と思います。

⾺⽥:ITに関しては、毎回のコンパイル⾃体が、ある種の仮説検証や試行錯誤、エラーハンドリングの経験になっていると思います。ただ、ハードウェアが関わるとまた違いますよね。

⼟屋:ハードだと、ソフトほど試行が回せないですもんね。

⾺⽥:なので、考えるプロセスをちゃんとやって、なるべく一回のトライでうまくいくようにする、というのが多くなるんだと思います。そうしたハードウェアが得意で、ハードウェア前提の思考をして来てしまい、それが⾏き過ぎてしまったのが、思考錯誤の段階でのエラーをも過度に避けようとする⽇本のカルチャーのような気がしますけれど。

⼟屋:ものづくりで、できるだけ試⾏できるようにつくるのと、⼀回つくって⽣産数を最⼤化するという例でいうと、従来の⾞づくりとテスラの⾞づくりの差はわかりやすいのではないでしょうか。テスラの場合、パーツ毎にプラモデルみたいにつくるから、アップデートも組み合わせを検証できるようになっています。⼀⽅、従来の⾞だとプラットフォームが先に決まり、⼯場での組み⽴てプロセスも先に決まっている。それぞれに良い点悪い点があるとは思うのですが、あとから試⾏錯誤できるようなやり⽅は、⽇本ではあまり好まれない傾向があるのかもしれない。

⾺⽥:⽇本⼈みたいに「すり合わせ」が得意であれば、いろいろな組み合わせも得意なような気もします。ただ、⾞の例でいうと、決まっているところは決まってしまっていますよね。

⼟屋:最初はパーツの粒度が細かくて、いろいろ組み⽴てながら試して、構成を決めたら⼀個のパーツに統合して⽣産できるようにしちゃうんですよね。

⾺⽥:ソフトウェア的なアーキテクチャの文脈でも、決めることをできるだけ先送りするとか、決めなくてもよくするアーキテクチャが実は良い、という話もあったりしますね。⽇本では、決めたらこれで⾏く! となっちゃうところがあるように思います。

森岡:会社というシステム⾃体が、⽇本⼈のマインドと合っていない部分があるのかもしれないですね。決めずに進めた方が⽇本⼈の良さが出るのかも、と思うところもあります。空気でいった方が上⼿くいくのに、組織化して責任者⽴てたりするから硬直化が起こるのかも、とか。(笑)

⼟屋:空気ドリブン。(笑)


トップダウンとボトムアップをつなぐ

⾺⽥:技術論からかなり離れてしまいましたね。(笑)

最近の技術論ではAIが話題です。AIを中⼼に規制をどうしていくかという議論も、トップダウンで技術の可能性を決めるのがいいのかどうか。ある程度、ガバナンスはきかせなければいけないとは思うのですが、⼀⽅で、ボトムアップでいろんな可能性を試していく方がいいのか、とはいえ、自由過ぎると取り返しがつかない何かが起こるリスクもあるのではないか。そのバランスをどうとっていくのか、という議論は今後もたくさん出てくるでしょうね。

⼟屋:そもそも、科学技術⾃体がボトムアップですよね。巨⼈の肩の上に⽴って遠くを⾒る、という。だから、テクノロジーの話になると、どうしてもボトムアップ的アプローチになってしまう。だけど、本当は未来をどうしたいかという将来像をまず持って、そこからバックキャストして、では今、何をやるべきかというアプローチへのブリッジが必要なのだとおもいます。     

馬田:確かにそうだと思います。それは両⽅の視点がないとできないことなので、みなさんみたいな⽅々に、ぜひチャレンジしていただきたいなと思います。

(文・構成 OGAWA Yumiko)


インタビュイー紹介

⾺⽥隆明(うまだ たかあき)
東京⼤学 FoundX ディレクター

日本マイクロソフトを経て、2016年から東京大学。東京大学では本郷テックガレージの立ち上げと運営を行い、2019年からFoundXディレクターとしてスタートアップの支援とアントレプレナーシップ教育に従事する。スタートアップ向けのスライド、ブログなどで情報提供を行っている。著書に『逆説のスタートアップ思考』『成功する起業家は居場所を選ぶ』『未来を実装する』『解像度を上げる』。

https://takaumada.com/


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