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デジタルとアナログ

昔は感動したデジタル

私は、電機関連の専門家だ。
昔から、デジタル機器が比較的好きだ。

もう高校生くらいからは、時計と言えばデジタル!といった感じ。
電化製品が大好きで、良く分解したりして楽しんだ。

正確なもの、細かいものが大好きだった。
だからPC等も大好きで、大学時代には自作までして楽しんだものだ。

事情が良くわかっておらず、壊したこともある。
それでも、そういったものを扱うのが色々と楽しかった。

なんでアナログなんて、よく旧時代のものが残っているのか、理解出来なった。

一方で年を取ってから思う

意外と、年齢を重ねてからの方が、アナログに向いてきた。
勿論、デジタルも相変わらず好きだが、アナログの面白さにもだんだん気付いてきた。

昔は、曖昧であまり好きではなかった。
だが、曖昧だから楽しいものもあるのだと気づいた。

白黒で割り切れない、曖昧さ。
非連続(デジタル)と連続(アナログ)の対称性。
曖昧だからこそ出てくる、味。

これを楽しめるようになってきたからかもしれない。
逆に言えば、昔は子供だったのかもな、と思う。

デジタル好きが子供だと言っているわけではない。
デジタルか、アナログかという選択しかできなかった自分が甘かったなと思う。

曖昧さの意味

白黒はっきりすることは、ある意味楽だし、ある意味大変だ。
曖昧であるからこそ、良いものもあると思う。

例えば、色のグラデーション。
最近は、デジタルの性能が上がって来たからほとんどわからなくなった。
ただ昔は、グラデーションをデジタルで表現すると、境目が見えた。

アナログは、文字通り連続。
境目がわからず、移り行く色を見ているのは、とても好きだ。

人間関係でも、そういう部分はないだろうか。
白黒はっきりしたほうが良いこともある。
ただ、はっきりしないからこそ良いこともあるのではないだろうか。

時間がたつと変わることもある。
曖昧にしているから、その後でつながることもある。

人間関係で白黒はっきりつけてしまうと、なかなかそのあと戻れない。
非連続になったものが、連続にならないこともある。

それがわかるようになったから、曖昧さを受け入れられるようになったのかもしれない。

はっきりさせること

では、デジタル的な考え方が駄目なのか、と言うと、そうとも思わない。
状況に合わせてどう考えるか、だろう。

白黒はっきりすることも、境目を作ることも大事な時がある。

こちらの領域に踏み込んでほしくないところに、入ってくるのは駄目だと思う。
以前、我々の夫婦関係に踏み込んで来ようとした女性がいた。
魅力的な方だったとは思うが、絶対に受け入れられなかったので、きっちりと境目を引いた。

その方としては、非常に不満だったらしく、関係は切れた。
曖昧さなど、そこにはない。
ただ、私はそれでよかったと思う。

仲の良い方だったと思うが、そこは駄目なところだと思う。
それが理解いただけなかったのは残念だが、ここで曖昧さを残すとろくなことにならない。

白黒はっきりさせてもらった。

結局、何事も使いどころ

色々と書いたが、結局はどう考えるか、どう使うかだ。
こういう時はこれが正解、等というものは無い。
それを、状況を見極めながら連続的に変えていく。

時にはズバッと、時には曖昧に。

そういうものなのかな、と思う。

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