本書でバーチャルを特集する意義について(あしやまひろこ/女装と思想Vol.8)

『女装と思想』(テクノコスプレ研究会)Vol.8 pp.4-7 よりそのまま転載

第8巻の特集では、バーチャルと装いを主題目に置いた特集を組んだ。これまでのシリーズの読者には、意外に思われる方もいるかもしれない。そこで、この場においてその意図を簡単に説明したい。

本シリーズの編集長である筆者は、かねてよりバーチャルリアリティおよび、リアルな体験の分野に関して興味があったことはもちろんである。しかし、それ以上にここ数年のバーチャルリアリティブームおよび、今までアバターと呼ばれていた存在を「バーチャル」と呼ぶムーブメントの最中において、思想的背景や各種知見を専門的に書き留めておく必要を感じたため、本企画を行うことに決めた。

そしてそれは、本シリーズがかねてから研究対象としている「女装」そして「装う」という分野においても、必ず活かされるものであると考えている。

さて、日本における今日のバーチャルリアリティのムーブメントは、ヘッドマウントディスプレイ型の専用機材およびそれによって引き起こされるものを示していると考えられる。これは、Oculus Rift開発者キットであるDK1が、二〇一三年に日本に紹介された後のものであるが、GOROmanの書籍にもあるように、それまでのバーチャルリアリティを構築する機材とは一線を画す実在感、没入感が安価に実現されるものであった(GOROman、二〇一八年、七四-七九頁)。そのため、現在一般にバーチャルリアリティと言えば、おそらくヘッドマウントディスプレイ型のものが想像されるだろう。

次に、「バーチャルYouTuber」とその略語である「VTbuer」という語の登場は、Oculus Riftの日本への紹介よりも幾分遅い。世界初のバーチャルYouTuberであるキズナアイ(キズナアイ、二〇一八年)が動画を初投稿したのは二〇一六年一一月二九日である。そしてそれ以降、無数のバーチャルYouTuberが乱立し、一種のブームとなっているが、そこにはバーチャルリアリティ機器がトラッキング用途として利用できるようになったことも要因として指摘されている(にゃるら、二〇一八年および、広田、二〇一八年)。なお、より一般的な意味でのアバターを用いた配信者については、その始まりをさかのぼることは困難であろうし、それは本論においては省略しても差し支えないであろう(例えば、「WEATHEROID Type A Airi」は二〇一二年から活動しているものの、YouTubeにチャンネルを開設したのは二〇一八年である。)。

このように、ヘッドマウントディスプレイによるバーチャルリアリティ機器のムーブメントの後に、バーチャルYouTuberが普及した過程がある。そして、それぞれの語はどちらもともに「バーチャル」の語が用いられており、バーチャルYouTuberの動画製作やオペレーションにおいては、ヘッドマウントディスプレイが用いられていることもあり、これらは相互に関連を持つ事柄である。しかし、これら二つの語は概念として異なるのである。

東京大学名誉教授で日本バーチャルリアリティ学会初代会長の舘暲は、バーチャルという言葉に関して「そもそもバーチャルは、バーチュー(virtue)の形容詞であり、しばしば「徳」と訳されるが、その物をその物として在らしめる本来的な力という意味をもつ。つまり、それぞれの物には本質的な部分があって、その本質を備えている物がバーチャルな物なのである。さらにいえば、本質というのは、何を目的としているかによって、それぞれ違ってくるものでもある。」と説明している(舘、二〇〇二年、二二頁)。本書で特集する「バーチャル」という語は、「(本物ではないが)本質的なもの」を示す言葉である。それが、それぞれ、リアリティという語、YouTuberという語に結びついているのである。

「バーチャルリアリティ」の語について、日本バーチャルリアリティ学会編『バーチャルリアリティ学』ではその最も特徴的な要点として、コンピュータの生成する人工環境が、①人間にとって自然な3次元空間を構成しており(3次元の空間性)、②人間がそのなかで、環境との実時間の相互作用をしながら自由に行動でき(実時間の相互作用性)、③その環境と使用している人間とがシームレスになっていて環境に入り込んだ状態が作られている(自己投射性)ことであると紹介されている。しかし、同書においては、バーチャルリアリティの起源は古代の壁画にその一端があるとされ、またアナログな手法を用いた一九世紀末のムービングパノラマの手法についても、バーチャルリアリティの演出そのものであると示されている(舘ら、二〇一一年、五-七頁、一六-二二頁)。ここから、今日においてはコンピュータによる手法が多くの場合はその語を示すものではあるものの、バーチャルリアリティとはその原義に立ち返ればリアリティの本質を構築することそのものであり、アナログな手法もその範疇に入ると考えて差し支えなかろう。

そのため「VTuber」に関して、強引に字解するならば、YouTuberのエッセンスを抽出したものと捉えることもできよう。そしてなるほど、確かにVTuberは、人間ではない何かが、YouTuberとして振る舞うという意味合いにおいて、バーチャルであると理解できる。

さて、ここまでの説明ですでにお気づきかとも思われるが、本質を追求する試みこそがバーチャルの世界で行われていることであり、そこでは現実をエミュレートするだけでなく、例えば可愛さの本質や、恐ろしさの本質などが追求されていよう。そして、VTuberのアバターが圧倒的に女性比率が高いように、理想の女の子に成ること、すなわちその本質への追求も存在しているのだ。

我々女装者は、女装において、すでに存在している肉体を以って、この本質に対峙しようとする。だからこそ、一見対極に見える肉体性を伴わないアプローチを知ることは、むしろ身体の特徴を詳らかにするのではなかろうか。さらに言えば、一見した対極の行き着く先は、むしろ本質的に等価ではないのか。この発想を思い浮かべたとき、私は本書でバーチャルを特集することとしたのだ。

参考文献

キズナアイ 聞き手=編集部(二〇一八)「シンギュラリティと絆と愛」、『ユリイカ』二〇一八年七月号、二八-三六頁、青土社
GOROman(二〇一八)『ミライのつくり方2020-2045』、星海社
舘暲(二〇〇二)『バーチャルリアリティ入門』、筑摩書房
舘暲、佐藤誠、廣瀬通孝 監修、日本バーチャルリアリティ学会 編(二〇一一)『バーチャルリアリティ学』、日本バーチャルリアリティ学会
にゃるら(二〇一八)「バーチャルYouTuber略史」、『ユリイカ』二〇一八年七月号、二三〇-二四〇頁、青土社
広田稔(二〇一八)「バーチャル化する人の存在」、『ユリイカ』二〇一八年七月号、四五-五二頁、青土社

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