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短編 LIKE DEVILS WILL DO

 ハドソン川を臨むウェストウェザーブリッジの上、ジャガーのクーペを路肩に停め、今ひとつ電話を終わらせて、一息つく。11月の終わり、深い森が辺り一面広がる深夜には、他の車は見当たらない。

 数学は美しい。人類は、まるで自分たちが作り上げたかのように不遜に振る舞うが、もともと自然界に存在した希少鉱物のように、何よりもはじめに、ただ存在していた。

数学者や物理学者が、それこそ考古学者のように定理を少しずつ発見して自分たちの生活に役立てている。もちろんまだ未知の数学も眠っている。未知の数学の先にはこの世の全てが記述されており、明るみになっていない事実があるはずだ。この世界の成り立ちをニュートンが記述し、アインシュタインが記述したように。

 世の中に絶対はないとよく言うが、数学は絶対だ。地球上どこでも、1+1=2だし、0は0だ。今のところは。その絶対性は法律に近い。

  私は証券会社で、金融工学と統計演算を組み合わせたマーケットエミュレーションを作成している。

実際のマーケットの今後を予測するための演算システムの構築だ。定数関数に、変数をAIで何百万回も演算させて最適解をもとめる。
それでも、マーケットは完全に予測できない。数学を用いて遠くの衛星軌道をピタリと計算できるのに、マーケットとなると、途端に予測が難しくなる。

それはマーケットが醜いからだ。

マネーゲームも、所詮需要と供給の取引だ。つまり、人の欲がそのサービスの需要をうみ、供給が行われる。マーケットは欲望そのものであり、そこにはうるさい親もいない。欲しいと頭に想像すれば、それが形になる。

マーケットは人そのものだ。

自由経済を否定することは、欲を否定する、つまりあなたを否定することだ。だからマーケットはなくならない。
ほら、鏡をのぞいたら、そこには、たまに醜いモンスターが立っているだろ。それがマーケットだ。


 マーケットは何十年かに一回、いや数年間に一度、大暴落を起こす。大暴落を起こす前は、お祭りのようにみんなを惹き付けて、最高潮を迎えたとき、かんしゃくを起こして、全部を台無しにする。なんて勝手なやつだと思う。

だが、それすらも人の欲に思える。シャンパンタワーをぶち壊したくなるのと同じだ。


人は現実世界で清貧を讃えるいっぽう、マーケットは野放しにする。その歪みは、建前と本音の関係性に似ている。

そのことに気付いた瞬間、
坊や、ようこそ。これが大人の世界だ。
と、まるで悪魔がそうするように、世界中の父親が後ろから耳許で囁く。

父権という鈍器で殴られ、それ以降は自分もそちら側へ無理矢理引きずり込まれる。

 ふむ。やはり、そう考えたら納得がいく。妻にもさっき電話で告げたように、私のレポートが、マーケットを読み外したせいで、会社の資産がほんの数秒で5000億ドルなくなったことは、避けられなかったのだ。と、何度計算してもそこに行きつく。

そして、これがもしかしたらまた、2009年以来マーケットを大きく揺さぶる結果になるかもしれないが、それを私が知ることはない。

 ふと空腹を覚え、まだ生きていることを思い出す。ここにウーバーを呼んだらどのくらいで来るのだろうと考えながら、拳銃を口にくわえる。

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