見出し画像

恐怖の価値観めがね。

父の妹であるおばさんから床屋してもらうのが通常営業の、長男。
真ん中の女子は、中学生になると同時に、私の通う美容院へ行くようになり、一番下の男子に至っては、生まれてこの方、私のヘアカットしか経験していない。というか、「おかがいい」というので、ドラッグストアで購入した、数百円の髪切り用ハサミで、リクエストに応えてアシメカットをしてきた。

だが、前回のカット時、たぶん想像していたより前髪が短くなった姿を鏡で確認し、しくしくと静かに涙を流す小5男子。
怒るわたし。

なぜ怒る?
怒りとは、カットしてしまったものは戻らない、絶望感、この世の終わり、くらいの大事件。
とにかく、もうどうにもならないというつらさを、怒りでしか表現できんかった、わたし。

思い返せば、小学生の時、娘がおばさんに切ってもらったあとで、鏡を見て号泣したことがあり、おばさんはさぞかし絶望を感じ、怒ることも出来ず、その気持ちをどうやって晴らしたのだろう?と、思い出しては胸が締め付けられる思いだ。

わたしのカットすることへの恐怖は、
縫製の仕事をしていた自分が、自己肯定感がすこぶる低い状態であった時に、カットで失敗をしているトラウマ(とは思っていなかったが、文字にしてみたら今気づく)。
そして、おそらく今流行りのHSP気質を持ち合わせていたということから、自分の責任でないことまで自分が悪いと思ってしまう気質。
そんなのが重なって、『カット』恐怖症、なのかもしれん。

トラウマって、悪い未来しか想像できなくなって、
脳の特性としては、想像したとおりの未来に向かうようになってるから、
望んでないのに、望んでるんでしょ、って判断して、思わしくない未来へ向かうのだ(笑)。


こうやって文字にしてみると、よくぞ30年近くも縫製関係の、しかも直しや、衣装という、替えのきかない、プレッシャー度めちゃ高い品物を取り扱ってきたな、と思う。

「あけ、ようがんばった」
と心からねぎらいの言葉を伝えなくてはならん。

きっと知識はなかったが、所々で、自力で自己肯定感を取り戻すワークをやっていたのだろう。だからこそ、その仕事を続けられ、おかげで、自己肯定感の低い時間の生きづらさをありありと味わい尽くし、今度は、そんな状態の自分みたいな苦しみを感じている人たちを、その沼から引っ張りだしてあげたいと思ってる。
いや、「あげたい」という、おこがましいことではなく、自力ではい出てくるための思考の訓練や、知識を増やすといった、ごく、当たり前の成長に必要なことを手に入れるお手伝いだ。

_______________________________


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?