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テレビから流れた衝撃の映像から29年

1995年1月17日
関西で大きな地震があったらしい、という情報は知っていたけれど、
普通に仕事をしていました。
しかし、昼休みに行った社員食堂で、いつもと違う空気が流れていました。
長田地区の火事の報道です。

明け方の地震で、やっと明るくなってきて
様子が分かってきたところでの火事。
何が起こっているのだろう?
と自分の目を疑うような、テレビの向こうの情報が
信じられない感じでした。
同じようなことは、ニューヨークの同時テロの報道でも思いました。
「テレビの向こうの出来事は本当なのだろうか??」って。

明石に工場も持っており、大阪支社もある。
関連する部所は対応で大変だったと思いますが、
全く関連のない研究部門であったため、
自分の仕事はしなくてはならない。
でも、気になってしょうがない。
その日からしばらくは、
仕事をしつつも気もそぞろ、な感じで過ごした記憶があります。

今現在、知合いの中でも神戸在住、そっち方面出身の方がいたりします。
お母さんのお腹の中で地震にあっただろう子も。

私自身が大きな災害に出会ってないから
他人事のように書けるのかもしれません。
災害が起こると、何かできないのか?
ここにいていいのだろうか?
何もできないのが悔しい。

そう思うこともあるけれど、
何もできていない、ということを
自覚しているだけでも、
良いのかもしれない、
と思ってしまう自分がいます。

1月17日と
3月11日と
3月20日と
9月11日

この4日間は、私の中でも大きな出来事なので、
この日は、ずっと忘れないでいたいと
平和を願って祈ります。

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