6月22日(土)中央競馬予想(東京6,11,12R・阪神6,11R・函館11R)◎サンロアノーク☆イーグルフェザー☆シーオブセレニティ◎マイサンシャイン◎アイスストーム☆エルプシャフト◎ハイランドピーク

<お知らせ>
①仕事とのバランスが中々取れないので平日の南関予想については大井・川崎は基本毎日、浦和・船橋は不定期で継続していきます。
②見解や短評については時間の関係で省く可能性もあります。
③南関競馬は全レース自信度を(高・並・低)の3段階で記載、
中央競馬は勝負レースの有無を記載しております。
④(南関競馬予想のみ)各レース毎に記載している【馬券】項目はあくまでも推奨ですので、実際に購入され

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父の日

父の日ということで、父親の話。

父親が死んで9年が経つが、驚いたことにいまだに父親が普通に生きている夢を見る。先日見たのは家族みんなでリビングにいる風景。生き返った!とかそういうことは誰も言わず思わずに本当に平然とそこにいる。そして父親が出てくる夢の中の僕はだいたい小学生か中学生くらいになっているがそこにもいつも違和感は無い。

ものすごく天気が悪い外の様子を窓から見て僕が「雷を見に行きたい」と

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(仏)ディストピア川崎で生きる

また寺のすぐそばで、心を覆いたくなるような事件が起きてしまった。またと書くのは近年信じたくない事件が相次いでいるからで、「寺の最寄駅は登戸です」と答えるのも胸が詰まる。被害にあわれた方々に心から哀悼の意を捧げ、事件当事者全員に一刻でも早く平安が戻らんことを、ご祈念申し上げたい。

ディストピア化する川崎北部

ここ川崎という土地には、「北部」と「南部」という区分が伝統的にある。北部(麻生区・多摩区

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私は震災を乗り越えたのか その4

自分の情けなさ、弱さ加減に辟易しながらも、日々の生活を送っていましたが、その後、体調を崩し、簡単なものではあったのですが、手術をするに至り、仕事を休職してしばらく療養生活を送ることになりました。ちょうどその時期にあのヒノキアスナロが神戸に持ってこられることを知ったのです。

メディアに近い位置で長く仕事をしてきた経験から、プレスリリースをチェックすることが私の習慣になっていました。それは職業病のよ

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私は震災を乗り越えたのか その3

大学を卒業し、就職、その後の転職や転勤を経てそれなりに社会人としての経験を積み、忙しく日々を送る中で震災のことを不意に思い出すことも減ってきた頃に起こったのが、2011年3月の東日本大震災でした。テレビの向こう側に見える「非現実的な現実」を見るにつれ、1995年のことが強く思い出され、当時も何もできなかったことを思い出したり、2011年の自分も、今は何もできなさそうだという気持ちからなのか、精神的

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私は震災を乗り越えたのか その2

大学2回生の終わりごろ、ひょんなことがきっかけで知り合って仲良くなった同じ学部の子が大学の寮に住んでいて、その子に誘われて寮の彼女の部屋に遊びに行きました。その部屋で二人でお酒を少々飲んでいました。だんだん酔ってきた彼女が話す言葉が明らかに神戸弁だと思ったので(それまで、神戸弁とわかるような話し方を彼女は私の前でしていませんでした)、「実家、神戸なん?」と尋ねると、「全壊したんやけどね、実家」とい

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私は震災を乗り越えたのか その1

1995年1月17日、別の投稿にも記したように、当時十代なかばだった私は激甚被災地の中にいて、地震発生から半日以上、生き埋めになり、その後に助けられるという経験をしました。どうにもならない自然の大きな脅威を経験し、住む場所も、家財道具も、思い出のものも一気に失いましたが、家族・親戚が命を落とすことがなかったことは本当に救いでした。

ただ、自分が生まれて育った街、自宅が物理的に破壊されたこと、当時

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′95

随分と時間が空いてしまいました。
お久しぶりでございます。
幼少期から現在まで過ごしてきた平成とさよならをして、早2日目になりました。

ちなみに、私は平成7年生まれです。全ての義務教育をゆとり教育で過ごした、伝説の世代です。笑
ラッキー7のつくこの年は、どんな出来事があったのかを簡単に調べてみました。

阪神・淡路大震災や、地下鉄サリン事件などの衝撃的な災害や事件があったり
Windows 95

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新元号が発表されました

新しい元号が発表されました。
「令和」だそうです。
生前譲位ということもあり、祝賀ムードにあふれています。

しかし、占い師の私としては「?」と思ったのです。
「祝ってばかりはいられないぞ」ということです。

元号というのは、次の時代の繁栄を願ってつけられます。
それは当たり前のことなのですが、年号を考える人たちは潜在意識で何かを感じているから、ある言葉を選ぶのです。

よく「名は体を表す」と言い

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さよなら神戸

僕は、平成に入って間もないころ、神戸の隣の明石市に生まれた。
神戸で別れの話をするなら、震災が定番かもしれないと思う位には、震災の話はよく聞かされた。

弟がまだ母のお腹の中にいたころ、両親と3人で机の下に身を寄せながら、「頑張ろうよ」と家族に呼びかけたらしい。
3歳のくせに大したもんだと26歳になった今思う。

僕の震災で覚えていることと言えば後は、近所のそこそこ大きい公園のグラウンドに仮設住宅

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