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「誰もが主役の社会へ、第一歩。」 | Passions Worth Spreading vol.9

TEDxUTokyo実行委員会 2023の上田史比等(うえだふみひと)と申します。今日は少しだけお付き合いください。

「自分の人生だけど、初めて主役になれた気がしました」

「ウエストランド」井口浩之

M-1グランプリ、観ましたか?
初めに書いた言葉は、2022年の漫才頂上決戦を制した「ウエストランド」の井口浩之さんが、優勝が決まった直後に発したものです。
 
M-1グランプリは、結成から15年以内の「若手」のみが出場できる漫才の大会です。出場者の多くは無名に等しく、芸人としての収入だけでは食べていけていない人も少なくありません。若手とは書いたものの、結成から15年も経つともうだいぶいい年になります。人によっては解散と結成を繰り返しているので芸歴はもっと長くなることもあります。
 
この大会を毎年楽しみにしている私は、自分には想像もできないような過酷な人生を歩んできた芸人さんたちに大笑いさせてもらっているわけです。
(ちなみに、井口さんは優勝の半年前から上記のコメントを用意していたそうです。半分笑い話だと思ってください)
 
自分の人生で、自分が主役だと思えない人たちがたくさんいる、そんな状況は変えなければいけない。私はそう信じていますし、多くの人が賛同してくれるでしょう。一方で、当の私は、人生の主役でなかった瞬間は無い、と言えるかもしれません。このことは、ある種の「呪い」として私に付き纏っています。この「呪い」こそが人によっては嫌味っぽく受け取られるかもしれません。幸せな悩みだよ、と言われたら何も言い返すことはできません。そういう方に向けて、あらかじめ謝っておきたいと思います。ただ、一応私なりにもがき苦しみ、その途中経過として今ここ(TEDxUTokyo)にいるということだけでもご理解いただければ幸いです。

階級の再生産という暴力


ブルデューという社会学者がいました。20世紀で最も偉大な社会学者の一人と言ってもよいでしょう。彼は、「文化的再生産」という概念を提唱したことなどで知られています。文化的再生産とは、簡単に言えば、教育制度は社会のエリートに利益をもたらすように作られている、という話です。近代以降の教育は公平な判断基準をもっていると見せかけて、支配階層の家庭から来た子供が高く評価され、支配体制の維持・強化に繋がる構図になっているわけです。ブルデューはこれのことを「象徴的な暴力」と表現しました。まさに暴力という表現がぴったりな、残酷な現実です。
 
単刀直入に言いましょう。私はこの構図における「支配階級」側の人間です。
 
裕福な家庭で育ち、幼い頃から私立の小学校で英才教育を受け、中学受験では進学校に進み、とうとう東京大学という日本における支配階級生産ラインの最終工程にまで来てしまいました。道中、個人的に苦しんだことはもちろんありましたが、客観的に見て大きな失敗はしてきませんでした。
 
こういう話をするときに、「親に敷かれたレールの上を走る」という言い方をすることがあります。しかし、本当の問題は親という個人ではなく、社会という大きな存在がレールを敷いていることです。それによって階級再生産の過程が正当化されてしまうのです。
  
もしも都会に生まれていたら、もしも裕福な家庭に生まれていたら、そんな「もしも」がこの世の中にはたくさんあります。そういった人たちみんなが自分の能力を生かして活躍できる社会を作る。当たり前で平凡な目標ですが、それが実現できていない現状があります。しかも目標の邪魔をしているのが私自身。私が下駄を履かせてもらっている一方で、世の中には自分のポテンシャルを発揮しきれずに埋もれていってしまう人がたくさんいるのでは?そう思うと反吐が出そうです。自分だけがこんなに優遇され、他の人が犠牲になる状況があっていいはずがないのです。この感覚は時には私に自己嫌悪すら抱かせました。

社会のカラクリにより埋もれてしまうポテンシャルをゼロにしたいというのが、当分の私の夢になりました。
 
夢の達成のためにはどうすればいいのか。教育制度の大きな変革はあまり現実的ではありません。もちろん大きな目標として掲げる分には構いませんが、いち大学生として現実的なアプローチを検討するのも大切です。そこで私が選んだ選択肢が、TEDxUTokyoでした。
 

参加者のポテンシャル

TEDxUTokyoSalon 2022 "ゆらぐ" でのワークショップの様子。クレヨンでお絵描き、久々の方が多かったのでは?


私は、Off-Stageという部署でこのイベントに携わっています。具体的には、ワークショップを企画・運営したり、参加者同士がさまざまな形で交流する機会を用意したりと、当日のコンテンツのうち、ステージ上で行われるもの以外は大体Off-Stageチームの担当です。

TEDが”Ideas Worth Spreading”という理念を掲げていることからもわかるように、私たちのイベントの中核をなすのは「アイデア」です。スピーカーのアイデアをトークに昇華するのに携わるOn-Stageチームに対して、Off-Stageチームは、舞台上に収まりきらないアイデアを共有するための場所と時間を作るために存在しています。 

では、「舞台上に収まりきらないアイデア」とはどんなものでしょうか。十数分のトークからはカットせざるを得なかったアイデア、私たちの活動を支援してくださる企業のアイデア、私たち運営スタッフから提示するアイデア…。さまざまな種類がありますが、私が最も重要だと考えているのはズバリ、参加者一人一人の中に秘められたアイデアです。
 
人は誰しもその人なりの経験に裏付けられた世界の見方をもっています。それを明確に言語化できるか、またそれをもとに周りを巻き込み、変えていくような行動を起こすか否かは別の話ですが、100人いれば100通りの価値観や興味や目標があるはずです。そういったものは、広い意味で「アイデア」と呼んでいいでしょう。しかし、先ほど述べたような理由もあって、それらのアイデアは十分に生かされていないケースが多いのではないでしょうか。その意味では「アイデアの種」という表現が適切かもしれません。
もう自分は頑張ってるよ、と思っているあなた。あなたのアイデアもまだまだ育ち盛りかもしれませんよ。

 アイデアの種の観察・実験

TEDxUTokyo 2022 "Patchwork" での参加者交流の様子。気になるアイデアが共有されていますね。


自分のアイデアの種は、自分にとっては当たり前すぎて、じっくり向き合ってみたことがない人も多いでしょう。しかし一度スポットライトを当ててみると、隣の人のものとは違った色や感触をしていることに気づくはず。その独特さという点では、参加者もスピーカーも、もちろん今これを読んでいるあなたも、大差ないと私は信じています。
 
そして、TEDxUTokyoのOff-Stageセッションこそ、各々のアイデアの種にじっくりスポットライトを当てる時間になるといいな、と思って設計しています。
例えば、参加者交流時間は、同じ場所に居合わせた他の参加者の種と自分の種を見比べてみて特徴を再確認する機会。企業やサークル、研究室によるブース展示は、自分の種がどんな種類の刺激に強く反応し、好奇心や知識という栄養を蓄えるのかを見極める機会。
スピーカーによるワークショップは、自分の中の種にスピーカーのアイデアという刺激を与えてみて、どんな反応が起きるのかを見てみる機会。そんな機会を通じて、皆さんが自分の種の育て方を決めるお手伝いができれば幸いです。
 
もちろんこういった活動が、文化的再生産の仕組みをぶっ壊すのに直接貢献する訳ではありません。ブルデューによって再生産が指摘されてから50年ほどが経っても大きな変化が起きていないことからも、この課題がいかに根深いものかがわかります。

でも、個人個人の意識が変わるだけでも、少なくともその人の人生に対する見方の変化に繋がるはずです。参加してくださった人が、自分のポテンシャルを信じ、もっと活かしたいと思えるようなイベントづくりこそが理想です。街がそんな人で溢れたら、社会も着実に変わっていくのではないでしょうか。そのためには、TEDxUTokyoはもっともっとたくさんの、多様な人たちにとって魅力的な場になる必要があります。私もまだまだやらなくてはいけないことが山積みなのです。

夢物語に聞こえるかもしれません。けど、大学生の間くらい、夢抱いて生きさせてください。


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TEDxUTokyo 2023
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