サムライ 第3話

【前回の話】
第2話https://note.com/teepei/n/nada7e9f2da5d

 最初に変わりだしたのは上長だった。とにかく怒鳴り散らして、まるで自分が口にする理不尽に気付かない振りをしているような人だった。俺を含めて周りは怒鳴られないように顔色を伺っていた。徳本さんも入って一日目、当然のように怒鳴られた。それは通過儀礼のようなもので、入ってきた新人は必ずこの憂き目に遭わされる。そこからこの職場に横行する理不尽を受け入れるよう、自分を馴らしていかなくてはならなかった。だけど、徳本さんは違った。いったいどんな理不尽な理由で怒鳴っていたのかは忘れたけれど、上長は最後に吐き捨てるようにしてこう言ったのだ。
「分かったかこの老いぼれが」
 自分の理不尽が否定されることなどこれっぽちも考えていない、おそらく傲慢なその一言は、真っ向から徳本さんの言葉で否定された。それもまたただの一言で、分かりませんな、とそれだけだった。その時、俺は徳本さんの後ろにいたから表情は見えなかったけど、背中から凄みのようなものを感じた気がして、一瞬にして上長が呑まれたのが分かった。そして上長は気付いたのだ、自分の理不尽が犯した過ちを。しかし立場上簡単に引くことが出来ず、現場には緊迫した空気が流れた。
「ち、口答えしやがって」
 そう濁すことで取り繕い、ひとまず上長としての体裁を保ちながら退場していった。既に苦情のオッサンへの対処を見ていた俺は、徳本さんにこれまでにないものを感じた。職場の誰よりも早くそれに気づいたのだと、意味のない自負を今でもよく思う。上長は徳本さんに遠慮する様になり、他の人たちも少しだけ息苦しさから解放されたように見えた。徳本さんはそれを鼻にかけるようなこともなく、上長にはむしろいつもの誠意をもって接していた。しかし時間が経つと、周りは徳本さんに遠慮する上長を見下すようになっていた。揺り戻しが来たのだ。
 ある日のことだった。俺より一年先に入社した森井と、俺の一か月後に入社してきた山辺が、最後に任された片づけを行わずに帰ろうとしていた。確かに仕事が押していて、片付けの時間は既に残業へ食い込んでいた。
「おい馬鹿野郎、戻れ」
 上長が口にした言葉に森井が血気に逸った顔を見せる。次いで山辺も続くようにして、それらしい表情を見せる。
「うるせえな、てめえでやれよ」
 理不尽に抑圧されていた中でも、森井は限界が近いであろう人間だった。それだけ若くもあり、反抗意識が強かった。突き破るまでには時間が掛かりそうに見えたのだが、徳本さんが理不尽の均衡を崩したことで、一気に表面化したのだった。
(続く)

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