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肩書きのない名刺。

「名刺」には肩書きがつきものであるから破綻した「名詞」なのだけれど、そんな名刺をいただいたらきっと感動してしまう。

あるNPOの会員になってから生まれて初めて名刺を作り、なんだか少し大人びた感覚に浸りながら交換する。ただ、いただいておきながら役職が羅列された名刺にはなんだか物足りなさを感じてしまう。

私が知りたいことは、ビジネスの場では重要ではないことなのだけれど。むしろ、「余分」とされること。

昔から、「余分」なことが好きだった。高校時代に好きな人に告白したもののうまくいかず、道路に自転車を投げたらそこは交番の目の前。警察官に恋愛相談に乗ってもらったという国語教師のエピソードはきっと忘れない。植生に関する授業で、屋久杉の写真を何枚か見せ始めた理科教師。彼が見せたいのは屋久杉ではなくそのそばに立っている恋人だった。ミスを装って先生の彼女がパフェを食べる写真が間に挟まる。アツアツだ。これも授業の内容以上に記憶に残っている。効率的な授業運営には「余分」な雑談。

青い私が知りたいことは、雑談で交わされるようなこと、その人が熱中していること、好きなもの、大切にしていること、美しさを感じるもの、思想や人生の一部。そして、どのような文章をどのように書くのかということ。つまり、noteに蓄積されているような他愛のない日常やそれを彩るもの。

「肩書き」から零れ落ちるものにこそ、ちょっぴり触れさせてほしい。

#大学生 #エッセイ

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